「第二第三の神田孝子さん」を目指したいという情熱をもつ人求む!

 私の人生の主要なキャリアは教師

私は学生時代に家庭教師や塾の講師をはじめて自分の「教えることの才能」に気づいた。

私は教えることが楽しかったし、情熱を感じた。全体像を把握して簡潔にポイントをまとめるのがうまかったし、生徒たちもよく伸びた。
以後私は、人生の主要なキャリアとして教師としての経験を積むことになる。

私は正式な教員になって数年も立てば結構難しい国家試験でも全国レベルの合格率を出すことができるようになった。
自分が教えたことと学生の結果が連動し、国家試験にも合格し、就職もうまく決めていく。

私は自信に満ちた有能な教師であった。
学園祭や夏に学生たちを海やキャンプに連れて行ったりすることも楽しかった。

そんな日々に手ごたえと充実感を感じてながらかなりの年月が過ぎた。

教え子の自殺未遂

そんなある日、学生時代によく勉強し、国家試験にも合格し、自分の望む分野に就職を決めて卒業していった教え子が、自殺未遂を図ったと聞いた。

それから何年か経って彼と連絡がつき、他県に訪ねて行ったことがある。

まじめで有能な彼は、だんだんと大きな仕事を任され、その期待に応えることに充実感を感じていたが、残業に次ぐ残業で、
深夜に帰宅しては朝から出社したり、職場に寝泊りしたりするような日々になってしまったという。
それでも仕事が間に合わず、思い詰めた彼はついに自殺未遂を図ってしまう。

ストレスと重圧に押しつぶされて冷静な参っていたのだろう。

今はのんびりした職場に変り「もう大丈夫です」と言っていた。
このことはずっと私の心に残った。

母子家庭だったが、学生時代は、まじめに勉強し、素直で優秀な子だった。
頭もよかった。

ふたりで飯を食いに行ったこともある。
彼はきちんと結果を出した。
私は教師としての本分を尽くしたし、彼は学生としての本分を尽くした。
私は彼が無事卒業して行くのを見送りながら、「よかったな」と思ったものだ。
そんな彼が自殺未遂をするなんて。

私は、いったい何をしているのだろう。

私は、いったい何をしているのだろう。
私は本当に彼らの幸せの役に立っているのだろうか?という思いが胸の中でくすぶり続けた。
教師である以上定められた知識をうまく教えるのは当然のことだった。
しかし、それをいかにうまくやって難関の資格に合格させ、就職させて、その結果が自殺未遂では何にもならない。 もちろん、その後の人生を問題なく充実して過ごしている学生も多いに違いない(そう信じたい。)
しかしまた、「優秀で素直にがんばる」一定数の学生が、ストレスに苦しみ、人生にあえいでいるのもまた確かだった。

彼は氷山の一角にすぎないだろう。

難しい国家試験に合格させ、いいと考えられている就職をさせることが、必ずしも本人の幸せにつながっていないケースがある。

大教室での授業ではなかなかできないが、少人数の授業では隙間時間を使って「生き方」みたいなことを話すことも多くなってきた。
そういう授業を取った学生の中には、そういう話を楽しみにして「もっと聞きたい」と、楽しみにしてくれる学生が少なからずいた。
ただそれはあくまで隙間時間に行うことであり、それにたくさんの時間を使うわけにはいかなかった。
このブログの読者さんには改めて説明することもない話だが、私は同時に遠隔浄化にも興味を持ち、今はそれを教えるようになった。

自分以外に人生を左右されるものが一切ないということはいかに痛快なことか!

そして、神田孝子さんのように「力の使い手」として、お礼をもらいながら遠隔浄化をして喜びにあふれて自分の人生を生きる人が育ってきた。
彼女は遠隔浄化で自分の生活を支えており、自分の人生のすべてにおいて、いつどこで何をするかは完全に自分で決められる。
彼女はささやかながら完全に自分の人生のハンドルを握った。
もはや彼女には、あれこれいう上司は誰もいない。
彼女は真の自由を獲得した。
自分のことはすべて自分で決めていきいきと生きている。
これからも彼女にストレスがないとか、困難がないとか、そんなことを言うつもりはない。
しかし、彼女は自分の人生のハンドルを100%握りしめ、そのチャレンジを楽しみながら乗り越えて行くだろう。
もはや彼女は遠隔浄化で人に貢献し、お礼をいただきながら、喜んでいただくというサイクルを完結させた。
あとは、それをまじめに誠実に楽しんで継続していけば、彼女のことを知る人はこれから増える一方であり、彼女が何らかのネガティブ思考で自分自身でこけてしまわない限り、
彼女の人生は磐石である。

自分以外に人生を左右されるものが一切ないということはいかに痛快なことか!

私は基本誰も管理しないし、監視もしないし、ああすべきこうすべきとも言わない。
ただ、何かあれば持てる力をもって「その人がしたいこと」応援するだけだ。
それが「力の使い手」の基本姿勢である。

そこには「ねばならない」ことは何もなく、ジャッジ(裁き)もなければ罰もない。
あるのはただ自分の喜びと誠実さ、愛や思いやりといった性質を大切にしながら、

永続的に喜びが拡大する唯一の生き方

「自分にして欲しいことを相手にする。
自分がされて嫌なことは人にしない。」というだけだ。
「力の使い手」の倫理観、道徳というのはそれだけだ。

そして、

「自分が自分なりの方法で喜びを追求すると同時に、人がその人なりの方法で自分自身の喜びを追求するのを尊重する」

「お互いの喜びの表現を楽しんでくれる人がいたら、一緒に分かち合う。」

それが喜びあふれる幸せな人生だ。

私は今生の生涯をかけて、それが、行き止まりに突き当たることがなく、永続的に喜びが拡大する唯一の生き方であることを発見した。

お互いに自立して、「自分が自分なりの方法で喜びを追求する」から「ねばならない」が一切ない。だからジャッジ(裁き)もなければ罰もない。

お互いが自分で自分を律し、自分の思考と言葉、行動によって生じた結果に、自分で責任をとるだけだ。

自分の思考、言葉、行動に自分で責任をもつと、他者の思考、言葉、行動の結果との複雑な絡み合いがなくなり、自分のどの「思考、言葉、行動」が、自分のこの結果を招いたかが明確になる。

だから自分の現実の創造の仕方について理解が進み、自分が欲しい結果を得るためには、自分がどう「思考、言葉、行動」すべきかが理解できる。

「人のせい」は一切ない。

その人の会話の中に他者のことは大きな比率はない。

つまり誰かの悪口、批判、噂、・・・そういう無駄なことに思考を使わない。

なぜなら、それらはまったく自分の人生を左右する要素ではないからだ。

教師冥利に尽きる

神田孝子さんが、自分の人生のハンドルを100%自分で握り、ささながら自分の人生の完全な主人公になったことは、私にとっては本当に喜びなのだ。

もう彼女は100%自分の人生のハンドルを自分で握って軌道に乗りつつあるから、彼女が他の誰かからのストレスで自殺未遂をするとか、他の誰かからのストレスで人生を翻弄されることはもう二度とないのである!

これってすごいことだ!

私は振り返ってみるに、私は教師として、こういう絶対に不幸になりようのない生き方を教えたかったのだと、つくづく思うわけです。

私はこれがしたかった!

そして、これが今までの人生でどちらかというと負け組の、ただの「いい人」である神田孝子さんが、ただ愚直に誠実に、優しさと思いやりだけでやっておられるのを見て本当にうれしいわけです。

教師冥利に尽きるわけです。

まぁ「力の使い手」さんで整体の先生であるとか、すでに体の悪い人がお金をもってくる流れのある人は、結構簡単に軌道に乗ってしまうのだが。

要領の悪いだたの「いい人」である神田孝子さんが、こうして自分の人生の主人公として、100%自分の人生のハンドルを自分で握り、遠隔浄化で身を立てている姿をみて、何よりもうれしいわけです。

感慨深い。

私はこういうことが教えたかった。

今の私の主要な情熱は「第二第三の神田孝子さん」を生み出すことにある

神田孝子さがんが自分自身の人生でそういう生き方が可能であるということを実行してくれた。

私はもうあと何人かの「第二第三の神田孝子さん」を見たいわけです。

もう少しいないと寂しい(笑)

私の今の主要な情熱は「第二第三の神田孝子さん」を生み出すことです。

それが私の今の最も強い情熱のひとつです。

なぜなら、教師として、教え子が自分の人生のハンドルを100%握り、決して不幸になりようのない人生に到達するのを見たいわけです。

それが教師冥利に尽きるというものです。

それを見届けたら、私の教師としての魂は安らいで満たされ切って、満足してこの身体を去れると思うわけです。

幸い私は生活に何不自由していないし、子供たちも順調に自立に向かっている。

好きな時に自由に海外を旅することもできる。

たいていのものは手に入れて、もうあまり欲しいモノもない。

しかし、学生時代以来積み上げてきた、私の教師としてのキャリアの持てる力を十分に発揮しなければ死んでも死にきれん訳です。

遠隔浄化というものを教えることができるという、日本でも極めて稀なこの私の特殊な能力とキャリアを余すところなく発揮して、「第二第三の神田孝子さん」を生み出さずにおいて、私の人生は何であったかと思うです。

「第二第三の神田孝子さん」を目指したいという情熱をもつ人求む!

そういう訳で今の私の主要な情熱は、「第二第三の神田孝子さん」を生み出すことにあります。

もしあなたが日本語で遠隔浄化を学びたいと思うなら、私ほど適任な人は日本にほとんどいないでしょう。

私が知る限り、私のような特殊なキャリアパスを生涯をかけて歩んできた日本人はひとりもいないからです。

しかも私は、いよいよ遠隔浄化の見えない部分をおおかた理解しおえて、それを使って何とか

「第二第三の神田孝子さん」を生み出したいと燃えているわけです。

もし、私が日本人の平均寿命でこの身体を去るとしたら、私の声帯から生じる音声を通じたコミュニケーションによって私から、これらのことを学ぶことができる期間はわずかなものでしょう。

しかも私は、この教える能力と、見えない真理の理解力と、「第二第三の神田孝子さん」を生み出したいという情熱において旬なわけです。

もし私が自分自身で満足できるだけの「第二第三の神田孝子さん」を生み出すことに成功したら、私はもうそのことにそれほどの情熱を感じなくなる可能性があります。

みなさんも、ある一つのことに何年も何年も関心を持ち続けることはできませんよね。

人は自分の成長とともに興味関心が移り変わるものだからです。

もし「第二第三の神田孝子さん」を目指したい人は、ぜひ、今遠隔浄化を教えることにおいて日本で一番旬の私からぜひ学んでください。

こと遠隔浄化を教えることについては、あなたは日本で私以上の教師を見つけることは極めて難しいでしょう。

なぜなら、今の日本に私のようなキャリアパスを持つ人はほとんどいないからです。

私は、烏合の衆はいらない。

自分で考え、自分の言葉を発し、自分で行動する、

本当に遠隔浄化をモノにして、「第二第三の神田孝子さん」を目指そうという熱い情熱を持っているわずかな人がいればいい。

私はここしばらくは、この私の「第二第三の神田孝子さん」を生み出したいという情熱と、「第二第三の神田孝子さん」を目指したいという情熱をもつ人とのコラボをしばらく楽しみたいと思っているわけです。

「第二第三の神田孝子さん」を目指したいという情熱をもつ人求む!

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