【力の使い手の3つ状態】ジャイアンから去ること、ジャイアンにならないこと

ご質問をいただきました。

鬱々な感じでやる気がない状態、・・・・・・が解消されてきたら、是非「力の使い手」になりたいと思っていたのですが、自分に愛を溢れさせることが出来るか自信がありません。

もうウジウジしている自分が嫌です。

S( 2018年2月13日 12:58)

まず私はとてもうれしく思ったのは、「力の使い手」であることは「自分に愛を溢れさせること」の学びであると非常に的確に理解しておられることです。まだ力の使い手でないにも関わらず!(ブログを通じて理解されたのでしょうかね。)

その通りです!

必要なことはそれだけです。

ただ私たちは残念ながら、なかなか「愛に溢れた状態」を維持できないでいます。

しかし、最終的にはいつもどんな時でもずっと「愛に溢れた状態」であることに挑戦する学びなのです。

そのために必要なことは何なのかというが私の探求なのです。

私のみるところ、人間関係の不和や不幸、病気などはの大きな原因は、「継続されたネガティブな感情」の結果なのです。

内面の不安定さ、アンバランスさです。

ずっと「愛に溢れた状態」であるためには、外部に影響をされない強さが必要なのです。

それはある種の「力」なんですよ。

強さ、パワーです。

それは必ずしもいつも「愛に溢れた状態にはない人たちからの影響」を、受けないでいられる強さなのです。

あなたの人生はどのくらい「愛に溢れた状態にはない人たちからの影響」を受けているでしょうか。

自分の人生を「愛に溢れた状態にはない人たちからの影響」から守れなければ、「愛に溢れた状態」でいることはできないのです。

簡単に言いえば、日々穏やかに過ごすことができないからです。

なぜなら、あなたは「愛に溢れた状態にはない人」たちからの要求に応えることに忙しく、自分の時間がないからです。

結局、地球上では幸せな人生というのは、いかに「愛に溢れた状態にはない人たちからの影響」から自分を守り、そして彼らを許し、「彼らの影響」からも「彼らに対する恨みつらみ」というようなネガティブな感情もすべて手放して、

自分の自身の内面を見つめ、自分のハートの喜びだけに100%生きることを自分自身で獲得した人だけがずっと「愛に溢れた状態」でいることができるのです。

この世の中にはジャイアンがいる

そばにジャイアンがいるだけで、一瞬で吹き飛ぶのび太の心の平安、「愛に溢れた状態」に一体どれだけの価値があるでしょうか。

それはとても頼りないものです。

あなたの人生にジャイアンがいる限り、あなたの「愛に溢れた状態」はせいぜいのび太が獲得できる平安と同じようなものです。

実にはかなく、もろい。

のび太の人生にジャイアンがいるのはなぜでしょうか?

のび太が自分の人生にジャイアンがいることを許しているからです。

残念ながら世の中にジャイアンみたいな人がいるのは事実なんですよ。

あなたもご存知のように、小学校にも、中学校にも、高校にも、職場にもジャイアンみたいな人はいるのです。

どこにもいるのです。

でも、ジャイアンとは関わりのない人生を歩んでいる人はたくさんいるのですよ。

なぜ、その人はジャイアンと関わりなく生きていけるのか。

ただ単に、ジャイアンが自分の人生に関係するのを許さないからです。

なぜジャイアンが、しずかちゃんやできすぎ君をのび太ほどイジメないのかに気づく必要があります。

しずかちゃんやできすぎ君には、のび太にはないある種の「強さ」があるのですよ。

ジャイアンがちょっかいを出しても、「やめて!」と言ってその場を立ち去る強さをもっているのです。

その人がそういう「強さ」を持っていると、ジャイアンは初めからそういう人にはちょっかいを出さないのです。

ジャイアンは、ちょっと大きな声を出すと「ああ、ごめんなさい、許してください。私が間違ってました。」と言いそうな人に目をつけてちょっかいを出しているんですよ。

違いは、その人が内面に持っている「強さ」にあるのです。

そして、その「強さ」はあなたの中にあるんですよ。

誰の中にもあります。

ただ、その「強さ」も、他のすべてのものごとと同様、自分がその存在に気づき、自ら行使しないと力を発揮しないのです。

あなたは「自分がそう考える存在」だからです。

それが思考が現実化するという意味です。

あなたは、「愛に溢れた状態にはない人」に気に入られるために、彼らの言うことを聞き、彼らの掲げる正義を受け入れ、その型に自分をはめようと、いつまでもがき続けるのでしょうか。

この地球上において、いつもあなたが「愛に溢れる状態」「喜びあふれる状態」でいること以外に正義はないのです。

あなたは「力の使い手」ではないのに、「力の使い手」が必要なことを非常に的確に理解されています。

力の源は自分の内にあり、それは決断から

是非「力の使い手」になりたいと思っていたのですが、自分に愛を溢れさせることが出来るか自信がありません。

自分が愛にあふれること。

その自信はどこから獲得するのですか?

あなたの内からです。

誰がそれを決断するのですか?

あなた自身です。

私は私自身について決断しています。

それがあなたにとって何の役に立ちますか?

あなたの人生はあなたの思考、言葉、行動で100%できています。

私の決断はあなたの人生には関係ありません。

もし、「あなたがいつも「愛に溢れる状態」「喜びあふれる状態」でいること」を決断するのなら、多くの道が開けてくるでしょう。

なぜなら愛はこの宇宙で最高の力だからです。

しかし、それを選ぶのはあなた自身なんですよ。

なぜなら、あなたは「自分がそう考える存在」だからです。

「力の使い手」にとって正義とは「あなたがいつも「愛に溢れる状態」「喜びあふれる状態」でいること」です。

そして、「人がいつも「愛に溢れる状態」「喜びあふれる状態」でいること」を手伝うことです。

もしあなたが自分自身が「愛に溢れる状態」「喜びあふれる状態」でいることを目指すことを、自分自身で決断できないなら、いったいどうやって人がそうなることを手伝うのですか?

たとえあなたが「力の使い手」になったとしても、すぐにずっと「愛に溢れる状態」「喜びあふれる状態」でいることはできないでしょう。

なぜなら、まだあなたの人生にはジャイアンがたくさんいるからです。

しかし、それは問題ではありません。

「決断をすること」が大切

あなたが、ずっと「愛に溢れる状態」「喜びあふれる状態」でいることを目指す「決断をすること」が大切なのです。

わたし自身、いつも必ずしも「愛に溢れる状態」「喜びあふれる状態」ではなかったことは、このブログをお読みなればわかることです。私の人生にもジャイアンはいたからです。

しかしそれは大丈夫なんですよ。

OKなんです。

ジャイアンあふれるこの過酷な地球上で、すぐに「愛に溢れる状態」「喜びあふれる状態」を保ち続けらないことは仕方がないことです。

しかし、あなたがそれに向かって「自ら決断すること」は大切なのです。

「力の使い手」にとって正義とは、自分がいつも「愛に溢れる状態」「喜びあふれる状態」でいることです。

そして、人がいつも「愛に溢れる状態」「喜びあふれる状態」でいることを手伝うことです。

「力の使い手にとっての不正義」とは、それ以外の思考、尺度や基準、力、ある種のジャイアンが自分の人生に存在することを自分で許し、誰かにとって自分がジャイアンであることです。

「力の使い手」にそれ以外の価値判断や尺度はありません。

「力の使い手」の学びとは、自分自身が「愛に溢れる状態」「喜びあふれる状態」を達成し、人がそれを達成しようとするのを助ける学びです。

そのためだけに、一体何が必要なのか、どのようなプロセスを経るべきなのか、使える世の叡智をすべてを使ってチャレンジし続ける学びです。

強さを自分の中に育てる学びとは

あなたは、「力の使い手」が内面に「愛を溢れさせる」状態を保つための学びであるということを理解されています。

しかし、そのためにはこの地球上に存在する人が「愛に溢れる状態」「喜びあふれる状態」を妨げるあらゆるジャイアンに負けない強さを自分の中に育てる学びもでもあるのです。

強さを自分の中に育てる学びなのですよ!

あなたが今人生にいるジャイアンに打ち勝っても、次々にもっと強力なジャイアンが登場するかもしれません。

私たちは、「自らを強くする学び」から逃れられません。

しかし、そのジャイアンはただ単にあなたを鍛えるためだけに存在しているのです。

いかにそのジャイアンをスルーするか。

それもまた「力の使い手」の重要な学びなのです。

ジャイアンの前から静かに立ち去り、ジャイアンにちょっかいを出されない強さです。

なぜなら、そうしないと決してあなたは自分の「愛に溢れる状態」「喜びあふれる状態」を保てないからです。

のび太に何ができますか?

あなたは最終的にこの地球に存在する、どんな「愛に溢れる状態」「喜びあふれる状態」に反するジャイアンに打ち勝つ強さを身につけないといけないのです。

それがこの「地球での学び」なのです。

魂は永遠の旅路ですから、あなたが今生、あなたの人生のどのジャイアンを越えることを目指すのかはあなたの自由です。

いつまでそのジャイアンに屈し続けるのかを選ぶのもまた自由です。

すべて自分で決めていいのです。

しかし「力の使い手」の学びとは、そのジャイアンを越えていこうと「決心」した人の学びなのです。

それを「決心」できない人が、どうして他のジャイアンに苦しむ人の手助けができるでしょうか。

あなたの手助けとは、単なる妥協、誤魔化しに過ぎないでしょう。

「力の使い手」の学びとは、自分自身が「愛に溢れる状態」「喜びあふれる状態」を達成しようとし、人がそれを達成しようとするのを助ける学びです。

それには自分が強くなり、人が強くなることが必要なのです。

自分がいつまでものび太でいることを自分に許す人に何ができますか?

最終的には地球上に存在する、どんな「愛に溢れる状態」「喜びあふれる状態」を妨げるものにも負けない強さを身につける学びなのです。

そして、どんなにパワフルになっても自分自身は決してジャイアンにならない学びなのです。

 力の使い手が目指す3つの状態

・あなたは、「力の使い手」が内面に「愛を溢れさせる」状態を保つための学びであるということを理解されています。

・実は「力の使い手」の学びの道とは、自分自身の強さを追求する道でもあるのです。

・そして一定の強さを身につけたとき、決して自分自身はジャイアンにならない学びなのです。

これら3つの状態は、常に「愛に溢れる状態」「喜びあふれる状態」であることを達成するために必要不可欠なものです。

・常に「愛に溢れる状態」「喜びあふれる状態」を目指すこと。

それはすなわち、

・常に「愛に溢れる状態」「喜びあふれる状態」を妨げる地球上のすべてのジャイアンに打ち勝つ強さを身つつけることを目指すこと。

そして遠隔浄化で人の痛みをとったりすることは非常にパワフルなことなんですよ。

しかし、それは上記の2つを達成するためにあるのです。

・自分自身は絶対に誰かの「愛に溢れる状態」「喜びあふれる状態」を妨げるジャイアンにならないという、学び必要なのです。

しかし、これらはすべていつも「愛にあふれている」ために必要なものであるとわかるでしょう。

目的はそこにあります。

それは「ジャイアンから去る(強さを身につける)こと」、自分自身が「ジャイアンにならないこと」が含まれているのです。

あなたはそんなことが可能だろうかと考えるでしょうか?

なぜ、それが可能なのか。

イエスは「神は愛なり」と言われました。

私も遠隔浄化を10年やってきて、ますますその思いを強くしていまし、私もその通りであると思っています。

もし神が愛であり、神が宇宙の万物を創造された存在であるならば、常に自らを「愛に溢れる状態」におくことこそ、私たちの本質である魂に自らを導かせ、神と一体である状態に自らを導こうとすることなのです。

そして、地球や宇宙のさまざまな現実にも関わらず、いつも自分を「愛に溢れる状態」「喜びあふれる状態」に保つことができたとき、わたしたちが、自分の人生に何か神聖なものをもたらすことができるのです。

神が地上にお姿を現すというのはそういうことを通じてです。

決してひげの生えたじいさんが雲に乗ってやってくるんじゃないんですよ。

なぜ、「力の使い手」は遠隔浄化の力を使うにあたって、「愛に溢れる状態」を保ち続けるよう努めなければならないのか。

それは「神は愛」だからです。

そして、それを邪魔するすべてのものを越えてそれを守る強さなんですよ。

それをあなた自身を通じて表現すること。

そしてそれこそが「神が愛」であることを地上に現す道です。

イエスの言われた通り「神は愛」であるならば、それ以外のものは不要です。

あなたが「愛にあふれた」状態であればあるほど、あなたは神に近づいているのです。

それが神への道であり、魂の永遠の旅路の目的地なのです。

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