「自由意志」と「因果応報」

今朝のメールからお届けします。

おはようございます。

読みました。

よくなって頂くため、幸せになっていただくため、どうしても理解していただかなければならないことがあります。

それは「人は変えられない」ということです。

神様は人に自由意志をお与えになりました。

その人がどんな立派なことを考えようと、愚劣なことを考えようとそれはその人の自由なのです。それに干渉することはできません。

しかしまた神様は因果律をお定めになりました。

ですから、立派な行いには立派なことが必ず返って来るし、愚劣な行いにはそれにふさわしいものが本人に「必ず」返ってくるのです。

この「自由意志」と「因果応報」は原則です。
ですからどうしても捻じ曲げることはできませんし、逃れることもできません。

これを前提にして生きていくしかないのです。

ここまでいいでしょうか。

これはすべての人に共通する大原則です。

「因果方法」がなければ、「自分の名前がわからなけれ何をやってもかまわない」世界になります。例えば強盗殺人をして金が手に入っても、殺された人は泣き寝入り、お金を盗った人は、丸儲けの世界になります。神様はそんな無慈悲な世の中になることを決してお許しになりません。
ですから強盗殺人を犯したものは、たとえ誰にも一切自分の名前がわからなかったとしても「必ず」その酬いを受けます。

今生でなければ、死後に酬いを受けますし、来世かもしれません。それは神様がなさることですが「必ず」その酬いを受けますから、我々がそのことを心配すことはありません。ただ神様を信頼しておけばいいのです。

ですから、相手が「自由意志」で何をしようと、それに干渉することはできないし、たとえ相手がどんな愚劣なことをしようと、「必ず」相手はその酬いを受けます。ですからそれは神様に任せておけばいいのです。あなたがそのことにいちいち気に病むことはありません。
いちいち気に病んでもしかたがないのです。相手には「自由意志」があるのですから。

この「自由意志」と「因果応報」がある世界で生きる私たちは、

・相手が何をしようと気にしない。(いいことも悪いこともすべて相手に返るので何も心配することはない。)
・自分の「自由意志」を使って、自分の現実はいくらでも変えることができる。

ですから、相手のことはほって置いて、「自分の現実を自分で変える」ことに集中する。

これしかありません。

ですから相手に「何か」を期待することは、不毛なことなのです。
それは相手の「自由意志」に対する干渉だからです。

ですから、あなたが人生を幸せにするために必要なことは、

・誰が何を言おうと、気にしない「自分になる。」
・自分の現実を自分で変える「自分になる。」

意識の焦点が相手から、自分に移ったのがおわかりになるでしょうか。

意識の焦点を「相手」に合わせている限り、人生は何も変わりません。

意識の焦点を「自分」に合わせることで、自分の人生がはじめて変わり始めるのです。

そして「自分」に取り組むことによって、どんな健康も、どんな豊かさも、どんな幸せも可能です。

人間は、本来健康で強くたくましく、豊かで、幸せになるように神様がお作りになっているからです。

その健康で強くたくましく、豊かで、幸せな自分に戻ることは実に簡単なことです。

なぜなら神様が本来自然をそのように創造されているからです。

そして、それは「自分」に意識の焦点をあて、自分に本来備わっている神様がお与えになっている宝に気づき、それを掘り起こす過程で得られるのです。

その決して失われない宝はすべての人に「必ず」あります。

いまだかつて、その宝を失った人はいませんし、未来永劫失うこともありません。

たとえ死んでもです。

なぜなら魂は転生を超えるからです。

そして、それはすごい力をもっているのです。

なぜなら、魂は神様に直結しているからです。

ですから、私のアドバイスはすべて、自分で自分をどう変えていくのかということになります。

外を見ている間は、幸せの青い鳥を見つけることはできないでしょう。

幸せの青い鳥は、最も自分に近いところにいるのです。

bluebird

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