真に神に従うとは「自分のハートの喜び」に従うこと

ご質問をいただきました。

「感謝の順番は、自然の力と同じ順番(自然→ご先祖様→自分→家族→人類→自分の理想)で大丈夫でしょうか?お手数おかけしますが、宜しくお願い致します。」Yさま(2017年4月17日 20:07)

感謝に順番などはありません。

愛する順番もありません。

すべてに感謝を見つけ、すべてを愛してください。

この宇宙のすべては神の魂であり、すべては神の身体だからです。

また人は転生を繰り返すものであり、以前は自分が親でも、今生は子供ということもあります。
また親は若い未熟な魂なのに子供はとても成熟した魂という場合もあります。
そのようなケースでは、親は子供から学んだ方がはるかに人生がスムーズになります。

一番大切にするのは「自分のハートの喜び」なのです。

例えば親が虐待する場合、自立することが「自分のハートの喜び」であることが多いです。

当然のことですし、その方がいいのです。

親に感謝すべきだからと虐待されるがままというのはもちろんよくありません。

順番にとらわれず臨機応変に「自分のハートの喜び」に従うことなのです。

ある時は、親から離れ自立することが「自分のハートの喜び」であり、ある時は老いた親に育ててもらったことに感謝し親孝行するのが「自分のハートの喜び」かもしれません。

その時々で最適な行動は変わるのです。

いずれの場合でも「自分のハートの喜び」に従うと人生に失敗はありません。

それ以外の尺度をもっていると、ある場面では幸せになれない場面がでてきます。

そして誰よりも自分の「自分のハートの喜び」を大切にし、同じように自分の周囲のすべての人が「自分のハートの喜び」に従うことを尊重することなのです。

誰もが自分の人生を自分の考え、言葉、行動で100%作っていますから、
お互いに「自分のハートの喜び」に従って自分で幸せになり、その自分の幸せをお互いに分かち合うのです。

そうするとみんなが幸せになれるんですよ。

とても分かりやすい説明をありがとうございます(^^)
そうですよね。他人はコントロール出来ないですよね。
まさしく、自由意思なのだなと思いました。
あと、感謝の順番についても教えていただき、ありがとうございます。
自然の力の固定概念を壊してきましたね!しびれます。
「自分のハートの喜び」を最優先して、生きていこうと思いました。
私は人に優しくしたり、助ける事が大好きです。
多分それが「自分のハートの喜び」だと思います。(^^)
もちろん、自分が満たされている状態で人助けをするのが好きです。
(昔の私は、自分を満たしてない状態、つまり、自己犠牲の状態で人を助けていました。
今は自分が満たされていますので、ストレスフリーです♪)Yさま(2017年4月18日 9:49)

私は遠隔浄化という一般の方は「わけのわからん」ことをやってますからね(笑)

きち、きちっと結果を出していかなければなりません。

的を射ない、通用しないアドバイスをしている場合じゃないんです。

そして、常に世界中でいつの時代でも、いついかなる時でも有効なものでないと行き詰ってしまいます。

私は10年間遠隔浄化をやってきて、自然の力の愛する順番はいついかなる場面でも有効ではないことを実際に知っているのです。

それは長い間生きていればどなたでもお感じになることです。

実際「自分のハートの喜び」よりも、「自分たちの神」を至上とし、最も素晴らしいと言いあっている人たちが、イスラムしろ、キリスト教にしろ、お互いに、「自分たちの神の考えとされるもの」を最優先するあまり、異教徒を裁き、弾圧し、殺害すること歴史を通じて繰り返しやってきました。

ところが、ある人を目の前にして、この人を裁き、殺すことが「自分のハートの喜びなのか?」と問うたとき、

地球上の誰一人として、それを「自分のハートの喜び」と感じる人はいないのです。

「自分のハートの喜び」に従う人は決して人を裁きませんし、人を傷つけません。

ただ支配され、抑圧されるのも「自分のハートの喜び」ではありませんから、そのようなものに「NO!」ということは当然あります。

しかし、「自分のハートの喜び」に従う人は、人を支配し、抑圧し、コントロースしようとは決して思わないのです。

なぜなら、自分がそうされたら嫌だからです。

自分にされたら嫌なことは人にもしない、それが「自分のハートの喜び」に従うことです。

そして自分が嬉しいことを人にもしてあげよう、人と喜びを分かち合おう、それが「自分のハートの喜び」に従うことです。

「自分のハートの喜び」に従う時、いつの時代でも、どのような場面でも、絶対に間違いをおかさないのです。

ハートこそ、魂の座であり、「自分のハートの喜び」こそ、誰もが一体である神からのメッセージなのです。

ですから、真に神に従うとは「自分のハートの喜び」に従うことです。

それ以外は、どんな教えに従っても、どんなエライ人に従っても、人が人を裁き、殺害し、争い、戦争を引き起こしてきました。

人は「自分たちの神」を最優先することで、正義の名のもとに人に最もむごいことをしてきました。

それは歴史が証明するところです。

「自分のハートの喜び」以外の、どんな外部の価値観に従ってもうまくいかないのです。

だってそれは人の価値観であり、「自分のハートの喜び」ではないですからね。

「自分のハートの喜び」に従えばすべてうまくいき、幸せになっていきます。

幸せとは「自分のハートの喜び」にあふれるということですから!

今、問題があるとしたら、あまりに人の顔色をうかがって生きることを長くし過ぎて、
「自分のハートの喜び」、「自分がしたいこと」「自分がどうしたらしあわせになるのか」感じ取れなくなっているからです。

そういう人は外に答えを求めてさまよい歩きます。

しかし、決して答えは見つからなのです。

すべての人の人生の経験は異なるからです。

そのすべての人の経験にあう外部の尺度など「ない」のです。

それがあると信じ、求め、人に強制するところにあらゆる悲劇の源があります。

「自分のハートの喜び」以外に従うべき尺度はなかったと気づくまで、人は迷い続け、これでもない、あれでもないと、あらゆる外部の価値観を遍歴し続けることになります。

ただシンプルなことです。

「自分のハートの喜び」に従えばよかったんだ!

それだけです。

それはすべての生命に共通する神が与えた羅針盤なのです。

「自分のハートの喜び」に従うとき、とてもスムーズに幸せになっていきます。

とてもスムーズに人と幸せをわかちあえるようになります。

誰とも争わなくなります。

誰も支配しコントロールしようとは思わなくなります。

だって、私は幸せですから!

どうして、人を支配しコントロールなどという面倒なことをしなくちゃいけないんです?(笑)

「自分のハートの喜び」に従って生きている人は、ただ単になぜそんなことをしたいのか理解できないのです。(笑)

確かに、私も自然の力の愛する順番には違和感がありました。
イスラムとキリスト教の例、とても分かりやすかったです(^^)Yさま( 2017年4月18日 21:50)

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