幸せになる方法

幸せになる方法はとても簡単です。
不平不満をなくす方法はとても簡単です。

なぜ不平不満があるのでしょうか。
実は、家族であれ、友人であれ、職場であれ、社会であれ、
「自分以外の人に何かを求めている」からです。

不平不満をなくしたければ、それをやめればいいだけです!(笑)

簡単でしょ!

例えば、ある家族がモノを片付けられないのが腹が立ってしょうがないとします。
それは不平不満です。
何度か「こうして欲しいの」と言うのはいいでしょう。
それで解決できれば何も問題ありません。

しかし何回言ってもダメ。
でもそれが不満でたまらない、何年言ってもダメ。
相手に求めている限りその不平不満は一生解消しないでしょう。

ものの置き場所を決めたり、
それぞれが自由に置けるエリアを決めたり、
色々工夫はしてください。
そういうコミュニケーションは大切です。
そういうことで解決するならぜひそうしてください。

それでも解決しなかったら、そういう建設的なコラボレーションができないのなら。今後も一生それが改善する見込みがないなら。そしてそれが不満で不満でしょうがないなら。

相手に腹を立てることはありません。

自分が気にしないことにするか、それができないのなら自分が静かに家を出ればいいだけです。

不平不満で一生過ごすには自分の人生があまりにも貴重だからです。

いずれにしても「自分の課題」です。

それができないのなら、
経済とか、
世間体とか、
自分が「自分以外の人に何かを求めている」からです。

もし、自分以外の誰にも何も求めていないなら、いつでも家を出られるはずです。

少なくとも「いつでもそうできる」「いつでもこの状況から脱することができる」という自分の人生のコントロール感をいつも自分の手に握っています。
 今それを行使しないのは、自分がそうしないだけです。できないのではありません。
 それは自分の自由であり、自分の選択、自分で選んだことなので不満はありません。

 実はこの自分の人生のコントロール感が、自由の源であり、幸せの源です。
 あらゆることを自分が選んでいるからです。

もし自分の人生のあらゆることが自分で決められないなら、その自立しておらず自由のないこと、自分の人生を自分で掌握してないことが「自分の課題」です。

それを相手の課題にしてしまうと、相手が解決してくれるまで待たないといけません。いつ相手がそれをしてくれるのか、ちゃんとしてくれるか自分にはコントロールできません。つまり自分の人生が自分でコントロールできません。不平不満です。
すべて「自分の課題」にしてしまえば自分の人生はすべて自分でコントロール下に入るのです。

自分のことは自分で面倒をみれる経済力も必要でしょう。
それをつけるのもまた「自分の課題」です。

もし、今いる環境が気にいらなければ、何年経ってもそれが解消する見込みがないなら、
家族であれ、友人であれ、職場であれ、社会であれ、そこから静かに立ち去ればいいだけです。

そこから自分を救うのは「自分の課題」です。

それをせずに家族や職場に不平不満をぶつけ、文句を言い続けて、幸せになった人を見たことがありません。

どんな、家族であれ、友人であれ、職場であれ、社会であれ、相手に何も求めなければ、何も気になりません。

ああ、こういう家族なんだ、でも「私はこうしよう」、いい経験になった。
ああ、こういう友人なんだ、でも「私はこうしよう」、いい経験になった。
ああ、こういう職場なんだ、でも「私はこうしよう」、いい経験になった。
ああ、こういう社会なんだ、でも「私はこうしよう」、いい経験になった。

すべてこの状況に対して「自分に何ができるか」と問います。
「もう気にするのはやめた」というのは立派な選択のひとつです。
そして、素晴らしいことにどんな状況でも「常に」自分にできることは必ず存在します。
つまりどんなレベルの問題でも「自分のことは自分で解決できる」方法が必ずあるのです。

「自分のことは自分で解決できる」から
「自分以外のことは自分では解決できない」から
「自分以外の人に何かを求める」ことをやめるのです。

 できないことはやめ、できることをする。
 不平不満をなくし、幸せになるのは実に簡単なことです。

もし立ち去るならば、何もケンカして別れることはありません。
今までありがとう。お世話になりました、お元気で!
と言って別れればいいだけです。

それはそこにいて一生不平不満を言い続けるより、よほどスマートな選択です。

不平不満で一生過ごすために生まれて来たわけではありません。

そこから自分の人生を解き放つ必要があります。

もし、自分にそれができないのなら。それはただ単に「自分がその相手に依存している」という事実を示しているだけです。

依存しているのは実に自分の方だったのです。
依存している方は、与えてくれる人に少なくとも「ありがとう」と感謝しないといけません。

それがあろうことか、依存している方が、与えてくれる方に不平不満を言うからものごとはうまくいかないのです。

自分は自分自身の二本の足で立ち、人に求めなくても、自分自身を自分で幸せにできるという地点にさえ、成長していなかったのです。

ひな鳥から、自分で自由にエサをとり、大空を飛べるようになっていなかったのです。

もう人に何かを求めるのはやめる時です。

自分は自分で面倒をみれる。人に依存せずに生きれる。

それが自由のなんたるかです。

人に依存している人に自由などないのです。

人に何かを求める限り、自分もそこから逃れられない、拘束された存在です。

その拘束された不自由感、不平不満は実に、「自分がその人に依存している」ことに源があったのです。

人に何かを求めるのはやめなさい。

自分だけで自分の幸せを保てる存在になりなさい。

それが出来た時、余裕があるほど自分で自分を幸せにできるようになった時、その豊かさを自分だけで味わうのは何だか味気なく感じるでしょう。

その成長した、しなやかで力強い自分がありあまるエサを取ることができるとき、その成長した自分を誰かと分かちあうのは純粋な喜びです。

 必要性があって分かち合うのではなく、ただ喜びからそうするだけです。

人に依存している人は、必ず「もっとよこせ」と権利を要求し始め、その美しい分かちあいは、早晩醜い利権争い変わります。

それが多くの家庭で、職場で、人間関係で起こっていることです。

もし、誰かが自分に何かを要求し、不平不満を自分にぶつけ始めたら、
静かに空に舞い上がって、そのまま飛び去ればいいだけです。

自分は自分以外の人を利用しませんが、誰かが自分を利用しようとするとき、上手に自分を守ることもまた大切です。

NOと言う強さです。

人がいつでもそれができるとき、お互いにそう簡単に相手に不平不満を言わないものです。

今は素敵な分かちあいが続いていても、何かあればお互いに 静かに空に舞い上がって、そのまま飛び去ることができることを知っているかです。

しかし、そこに不平不満が一切ないとき、素敵な分かちあいという愛と感謝という喜びしかないとき、そこから飛び去る理由は何もないのです。

ただ喜びから分かちあうだけの存在となった時、同じような存在と出会うことになるでしょう。

類は友を呼ぶからです。

その時、喜びの分ち合いと感謝の連鎖の中に、初めて人は永遠の愛を垣間見るのです。

だから「自分以外の人に何かを求めている」人同士で不平不満をぶつけ合っている人は、それをやめ、自分自身に働きかけ、自分だけで自分の幸せを保てる存在にならない限り、不平不満の種が尽きることはありません。

そして、今までありがとう。お世話になりました、お元気で!と言って、
静かに空に舞い上がって、そのまま飛び去りなさい。

残された者は、そこで初めて成長の機会を与えられます。

今まで、自分がいかに人に依存し、人に求め、あげくに不平不満を言うだけの存在であったか。
自分がいかに寄生虫であったか。
立ち去られて初めて、人に向かっていた意識が、自分に向かわざるを得なくなります。
不平不満を言う相手はもういません。

自分に向き合うのは早ければ早いほどいいのです。

人は自分自身と向き合い、自分自身に取り組むとき、初めて成長できるのです。

ですから、成長したあなたがそこを飛び立つことで、残された人は、素晴らしき成長のチャンスを与えられるのです。

それは自分のためでもあり、相手のためでもあります。

もし、人が「自分以外の人に何かを求めている」不平不満の生き方から、どんどん飛び立ちはじめる時、地球にどんどん幸せが広がります。

「自分以外の人に何かを求めている」不平不満の人はどんどん取り残されます。

それでいいのです。それが彼らのためであり、地球のためであり、人類のためです。

もし、子供がいたら「自分で自由にエサをとり、大空を飛べるように」なることを教えてください。

もし、子供の羽がまだ充分生え揃っていなかったら、しばらくあなたが付き添ってやる必要があるでしょう。

ひな鳥の口にエサを入れてやるのも楽しい経験です。

それができる自分を楽しんでください。

ひな鳥は間もなく、自分で自由にエサをとり、大空を飛べるようになるでしょう。

そして、人に依存せず、自分だけで自分の幸せを保てる存在に育てたのなら、それは親が子供に与えられる最大の贈り物です。

あなたは、子供にすべての幸せの基盤である自由と、何があっても幸せでいられる生き方を与えたのです。

「自分以外の人に何かを求める」ことをやめること、それだけで今まで不平不満となって外部に向かっていた意識のベクトルが自分に向き、自分自身の成長がはじまるのです。

成長がはじまれば、もう幸せです。

それは出獄間近の因人と同じです。

まもなく、自由になることがわかると、まだ出獄していなくても、もうウキウキです!

あれをしよう!これもしよう!すべて自分でできるぞ!

だから、「自分以外の人に何かを求める」ことをやめると決めた時点で、幸せへの道を歩きはじめます。

今までの永遠の因人から、いつでも出獄できる鍵を手にしたのです。

「自分以外の人に何かを求める」ことやめると決めた瞬間から、不平不満は消え、自由と幸せがはじまります。

簡単でしょ!
bird2

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