千と千尋の神隠しの主題歌【いつも何度でも】の意味

チェルノブイリで被災したナターシャの歌う、千と千尋の神隠し主題歌【いつも何度でも】にえらく心打たれてしまい、この頃はつい時々再生しては聞いてしまう。

(演奏は5分30秒付近から)

宮崎駿氏の映画の主題歌なので、日本ではよく知られた歌だが、この歌詞を完全に覚えて歌える人は少ないのではないだろうか。

それくらい普通の詩とは違っている。

【いつも何度でも】

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心踊る 夢を見たい

悲しみは 数えきれないけれど
その向こうできっと あなたに会える

繰り返すあやまちの そのたびひとは
ただ青い空の 青さを知る
果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける

さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる

生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ

ラララララララララ・・・・・・・・・

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも何度でも 夢を描こう

悲しみの数を 言い尽くすより
同じくちびるで そっとうたおう

閉じていく思い出の そのなかにいつも
忘れたくない ささやきを聞く
こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が 映される

はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ

海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに 見つけられたから

ラララララララララ・・・・・・・・・

この歌詞の意味を私なりに解釈してみます。

まず最初の出だし。

呼んでいる 胸のどこか奥で

これはもう「本当の自分」、魂の声です。

こんなフレーズをいきなり一行目に持ってきてるところがすごいです。

いつも心踊る 夢を見たい

これはいつも私がいうところの「ハートの喜び」なんですよ。

そして思考は現実化します。

ですから、「胸のどこか奥で呼んでいる「ハートの喜び」に従って、いつも心躍る夢を見たい」

これが最近東京とかの「理想の現実化セミナー」で私が繰り返し言っているメインテーマなんですよ!

これを一行目、二行目に持ってきたところが本当にすごいと思うわけです。

私なんかこの大切さに気づいたのはホント最近のことですよ!

この作詞家なに者?!と思うわけです(笑)

悲しみは 数えきれないけれど

その向こうできっと あなたに会える

人生いろいろありますね。

悲しみも。

そして、「その(悲しみの)向こうできっと あなたに会える」と言っています。

この「あなた」というの恋人とか身内とか大切な人とかそんなんじゃないですよ。

むしろ、そういう人たちとの数えきれないほどの悲しみ(離別)があったのです。

「その向こうできっと あなたに会える」とは、

これはもう神さましかいません。

ほんとうの自分と言ってもいい。

悲しみは数えきれないけど、その向こうできっと神さま(本当の自分)にあえる。

繰り返すあやまちの そのたびひとは
ただ青い空の 青さを知る

人はあやまちを繰り返してきました。

しかし、今回の出来事は軽いものではありませんでした。

「ただ青い空の 青さを知る」

なにか呆然とするような出来事ですよ。

泣きわめくこともできない。

もう泣きつかれてしまったのかもしれません。

誰になぐさめられるような事でもない。

文句を言えるようことでもない。

ただそのあまりの出来事に、あきらめの境地で、

ただ青い空を見上げるしかなかった。

そして、今まで気づかなかった「空の青さを知った」

果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける

この先を思うとき、ただ「果てしなく 道は続いて見える」

永遠の魂である、私たちの命の巡礼に終りはありません。

(大好きな東山魁夷の絵「道」を思い出しました。)

しかし、数えきれない悲しみだけが旅ではありません。

「果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける」

この両手に「光を抱ける」という確信を秘めて歩み続けます。

さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる

この「さよなら」はやはり小さいことではありませんでした。

泣きわめくこともできない。

根こそぎにされて、呆然とするような「さよなら」です。

「ゼロになるからだ」

今まで自分を支えてくれてたものが根こそぎになってしまって、体の力が抜けてしまったのでしょうか。

もう何も考えることができない。

ある種の瞑想状態のような静かな境地かもしれません。

ただ静かにたたずみ 胸に耳をすませている。

生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ

そうすると、生きている不思議 死んでいく不思議

生命の神秘が胸にせまってきました。

私は生きている。

そして、「花も風も街も みんなおなじ」

生命の一体感を感じています。

ある種の諦観のようなものも感じているのでしょう。

ラララララララララ・・・・・・・・・

ここで軽やかにラララ・・・と歌うところがまたいいですね。

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも何度でも 夢を描こう

「いつも何度でも」これがこの歌のタイトルです。

ここに一番思いがこもっています。

「数えきれない悲しみ」があっても、その度に「いつも何度でも 夢を描こう」。

その夢は胸のどこか奥で呼んでいる「心弾む」ような夢です。

「本当の自分」の夢です。

悲しみの数を 言い尽くすより
同じくちびるで そっとうたおう

つい私たちは、何度も何度も悲しみを口にしてしまいます。

心の重荷をおろしたい。

でも、いつまでもそんなことばかりしていないで、「いつも何度でも「心弾む」夢を描こう」

つい心がマイナスに傾いてしまっても、いつも何度でも思い直して「心弾む」夢を描こう

そして「同じくちびるで そっとうたおう」

閉じていく思い出の そのなかにいつも
忘れたくない ささやきを聞く

大きな悲しみがありました。

それはその時の自分ではどうしようもなかったことです。

その「閉じていく思い出の そのなかに」、

ただ目を背けて、忘れ去るだけでなく、

きちんと向き合い、

「忘れたくない ささやきを聞く」

大切なメッセージを受け取り、この出来事を決して無駄にしない。

こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が 映される

「こなごなに砕かれた 鏡」

今回の悲しみは心が張り裂けるような出来事でした。

しかし、その心にはまた「新しい景色が 映される」

はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ

そんな根こそぎにされるような悲しみに、呆然として体の力が抜けて、

もう何も考えることはできないけれど、はじまりの朝はまたやってきた。

そんな朝の、静かな窓。

ある種の瞑想状態のような静かな心境

「ゼロになるからだ 充たされてゆけ」

何かの力を感じています。

海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに 見つけられたから

今まで外に自分を支えてくれるものを探し続けてきたけれど、

「輝くものは いつもここに
わたしのなかに 見つけられたから」

いいなぁ~

すごい歌です。

これは今私が一番共感する歌ですね。

この「いつも何度でも」を作曲した木村弓さんは、脊椎を痛め、20数年間もほとんど遊ぶために外出もしないような生活を送っていたそうで、たまたま「もののけ姫」を見に行ったらひどく感動し、宮崎駿監督に自主製作のCDなどを添えて手紙を書いたそう。

宮崎監督のもとには多いときで一日に段ボール3箱分の手紙が来るそうで、手紙に目を通すことも、ましてそれに返事を書くことも天文学的な確率の低さなのだそうですが、「たまたま」その手紙を読んで「いま進行している企画の音楽をお願いするかもしれないが、期待しないで待っててください」と返事が来たという。

その後、その企画自体はボツになったが、2年半後、ジブリから「あの曲を宮崎監督が忘れられないので、『千と千尋の神隠し』で使わせて欲しい」と電話があったという。

作詞した覚 和歌子さんは、

「さよならのときの静かな胸

ゼロになるからだが耳をすませる

生きている不思議死んでいく不思議

花も風も街もみんなおなじ」

この4行を書いているとき、何故だか泣けて仕方なかったんです。自分でも変だなと思いました。自分で書いているのに、自分が書いていない感じ。

書き始めたらそれこそ12.3分でできてしまったんですね。ちょっと普通じゃない感じでした。

「大きなもの」とつながったからでしょうか。

魂をふるわす言葉を紡ぐ」(覚 和歌子)より

なんかもう、神さまが作曲家の木村弓さんに「もののけ姫」を見に行かせ、感動させて、宮崎駿監督に手紙を書かせ、その手紙を宮崎監督に奇跡的に読ませて返事を書かせ、作詞家の覚和歌子さんにインスピレーションを与えて、ものの12,3分で作詞させてしまった。

そして、宮崎監督に忘れないようにさせて、その企画がボツになっても、次の『千と千尋の神隠し』で使われるように働きかけ、世に出るようにしむけた。

そして、チェルノブイリで被災したナターシャに歌わせた。

ロシア人の彼女が、この日本語の歌の単語をひとつひとつ解釈し、自分の胸に落とし込み、きちんと発音し、歌詞も楽譜も見ずに演奏しながら、ここまで深い意味を与えて歌い上げることができるまで、いったい何百回、何千回この歌を練習したのだろうかと思うわけです。

そして私の心に届いた。

関係者のみなさん、(目に見えない方々も含めて!)

どうもありがとう。

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『千と千尋の神隠しの主題歌【いつも何度でも】の意味』へのコメント

  1. 名前:銀の音 投稿日:2017/06/22(木) 12:02:16 ID:5743f9010 返信

    いつも何度でも
    の解説ありがとうございます。

    この歌はもう、私にとってもアンセムです。

    一つ、大きく榎本さんと解釈が違う点がありますので聞いてください。

    「果てしなく 道は続いて見えるけれど
    この両手は 光を抱ける」
    は、道は果てし無くみえるけれども、同時にその「今」、今のいま、光を抱けるのだ。

    こう私は読みます。

    そのように、今を全肯定する力に満ちた歌だと思うのです。

  2. 名前:榎本 投稿日:2017/06/22(木) 12:36:07 ID:5743f9010 返信

    銀の音さん

    >この歌はもう、私にとってもアンセムです。

    (※榎本注 アンセムとは聖歌・賛美歌、派生して自分にとってとても大切な曲をいいます)

    >一つ、大きく榎本さんと解釈が違う点がありますので聞いてください。

    >「果てしなく 道は続いて見えるけれど
    この両手は 光を抱ける」
    は、道は果てし無くみえるけれども、同時にその「今」、今のいま、光を抱けるのだ。

    >こう私は読みます。

    >そのように、今を全肯定する力に満ちた歌だと思うのです。

     その通りですね。
     上の解説に書いていた「いつか」をとりました(笑)

     最後に、

    「輝くものは いつもここに
    わたしのなかに 見つけられたから」

     とあります。
     それはもちろん、ずっと自分のなかにあったから「いつもここに見つけられた」わけです。

     それはもちろん、今もあるからですね。

     しかしそれが「数えきれない悲しみ」によって時に見えなくなっている。
     
     それを
    「呼んでいる 胸のどこか奥で

    いつも何度でも「心弾む」夢を描こう

    悲しみの数を 言い尽くすより

    同じくちびるで そっとうたおう」
     
     そうすることで、

    「輝くものは いつもここに

    わたしのなかに 見つけられる」と教えてくれています。

     本当に素晴らしい歌です。

  3. 名前: 投稿日:2017/06/24(土) 21:50:42 ID:db7750d8c 返信

    自分は、青さを知るというのは、
    今までも気づていたけど、ずっとあった自らの未熟さに改めて気づくという意味だと思います。

    さよならの時というのは、文字通り死ぬときで、
    ここでの”ゼロになるからだ”というのは、魂が肉体から離れていくときに、雑念がなくなる境地。

    はじまりの朝というのは、新たな体で誕生するとき。
    ここでの、同じ”ゼロになるからだ”という表現は、前世の経験を忘れるという意味。

    という風に自分は思うな。

    まあ、歌の解釈などは、正しさを求めるようなものではないですけど。(笑)

  4. 名前:榎本 投稿日:2017/06/24(土) 21:58:43 ID:db7750d8c 返信

    「さよならの時というのは、文字通り死ぬとき」と読みますか!

     なかなか深いっすねぇ~

     しかしこの歌は「自らを再生している」歌であることは間違いないです。

     私の考えでは、ひとつの人生の間に、過去や記憶、エゴなどにがんじがらめになって身動きできなくなった人を再生するために、死があるのであって、自分で過去を超えて「自らを再生」させ続けることができれば、長く健康を保ち、力強く生き続けることができると考えています。

     そういう意味では、死んで「自らを再生」しようと、ひとつの人生の間に「自らを再生」しようと大した違いではありません。

     まぁ同じことですね(笑)

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