変化しない人生を生きるか、主体的に選ぶ人生を生きるかを分ける鍵

【人生の大きな秘密】「自分がその時意識を向けたものが、現実世界にも反映される、っていうのを改めて気づきました。」の続きです。

Mさんシリーズ継続中~

過去の自分を笑えると、もうそれに巻き込まれてない

>自分の内面を見つめ、「地道に、実直に1つ1つ選択して進んでいる」ともう誰かのせいにできないんですよ!
>もうお父さんのせい、お母さんのせい、〇〇先生のせい!と言えないんです。
>「自分の本来の道」を生きるということは、自分の人生に全面的に責任を取ることなのです。

わたしはずーっと、両親や周囲のせいにしてきたんです。
その生き方を、表面的には憎んで離れたがっていましたけど、
本質的には居心地が良かったんですね、楽だったんですね。
誰かのせいにし続けていれば、自分で責任をとらなくて良いですから。

もしくは、そうやって自分で責任をとらない=大人にならない、子供でいる、ことを選んで、両親に執着していたのかもしれません。

ずいぶん素直ですね!

多くの方がこういうことを言われると、腹を立てたりムキなったりして、感情的な反応をするものです(笑)

あなたは私のことが何もわからない、とかね。

いかに自分がひどい目にあってきたかと主張することも多いです。

しかし、自分をこんな風に冷静に見て、あたかも他人事のように表現できる人は、もうそのことに巻き込まれていないのです。卒業まじかですよ(笑)

・感情的に反応してしまうこと=自分がまだそのことに巻き込まれてしまっていること。

・他人事のように笑い飛ばせること=自分を客観視できている、もうそれに巻き込まれていないことを表します。

理解からくる思いやりが「許し」

世に言う、両親に可愛がられる、愛されて大事にされる、という経験がなかったので寂しくて、恨んでて、でも本当は大好きで、という色んな感情がぐちゃぐちゃになった状態。
それでずっと生きてきたのかもしれません。

あ~
この辺の感情のもつれをきれいにほどくことは大切ですね。

>世に言う、両親に可愛がられる、愛されて大事にされる、という経験がなかったので寂しくて、恨んでて、

ご両親は共働きだったのでしょうかね。

でも小さいころは一緒にお風呂に入ったり、お休みの日には、一緒にショッピングに行ったりしたのではないでしょうか。ご飯を一緒に食べたりとか。

「世に言う、両親に可愛がられる、愛されて大事にされる」というのはそういうことですよ!

ご両親が学校のお金を出してくれる、ご飯を一緒に食べてくれる、それが普通の親というものです。

ただまぁ親が自分が成し遂げれなかった夢を子供に託すというのはよくある話なんですよ。

だから、「勉強しなさい!」と厳しく言ったりすることもあります。

しかしそれもまた愛情の一種なんですよ。

色々ご両親が忙しかったり、口うるさかったりしたことがあったかもしれませんが、ご両親はご両親なりに「よかれ」と思ってせいいっぱいやってこられたんですよ。

今の日本で、家庭を支え、子供に教育を与えるというのは本当にたいへんなことなのです。

多くの親が独身時代には、自由にできたお金や時間の大半を20年間前後も子供のために捧げるのです。

これはもう、大変な「両親に可愛がられる、愛されて大事にされる、という経験」なんですよ。

それに両親も人間です。

神様じゃないんですよ。

完璧な人間などいません。

ですから、その人間の有限性からくる色々なことは誰でもあるのです。

時々完璧な彼氏を求める人がいますが、絶対に幸せになれませんよ!

完璧な人間はいないからです。

同様に、完璧な両親もいないのです。

おおらかか気持ちで許してあげます。

そして、許すためには大人にならないといけないのです。

「自分で責任をとらない=大人にならない、子供でいる、ことを選んで」いると、親も色々言います。

そりゃそうですよ!

親の「この子にはまだ色々言わなくちゃ!」という面を刺激するからです。

「あ~ もうこの子も大人なんだから、いちいち言うまい。任せよう」という関係ができるまではとても「許す」という地点に立てないんですよ。

小さな子供が「親を許します」と言ったところで、説得力ないじゃないですか。

自立し、自分の二本の足で立っている自分を支えている大人が、初めて「優しくなれる」のです。

強くなければ優しくなれないのですよ。

震えて怯えている人が相手に「許します」と言ったところで、それはただの「強がり」でしかありません。

「親も一生懸命やってくれただな、精一杯やってくれたのだな」その理解からくる思いやり、それが「許し」です。

言うことを聞く量産型を生み出すことがこれまでの学校教育の目的

学校で「自分の人生に責任をとる」ことを絶対教えたほうがいいですよね!
義務教育に入れるべきだと真剣に思います。
そうでないと、両親や先生のいう事を聞くことが良い事だ、っていう
量産型がますます増える一方になってしまうかもしれません。。
まぁ、反発して、自分のやり方に挑戦する子が増えるかもしれませんけど。
でも、必要なことですよね。。

素晴らしいことを言いますね!

私も完全に同意します。

「両親や先生のいう事を聞くことが良い事だ、っていう量産型がますます増える一方になってしまうかもしれません。」

実はそういう量産型を生み出すことが学校教育の目的なんですよ。

なぜ小学校1年生から繰り返し「前ならえ!」「右向け右!」「左向け左!」「回れ右!」を繰り返すと思いますか?

言われてことを何も考えずに良いことだと思う量産型を生産するために、ずっと訓練しているのです。

「前ならえ!」「右向け右!」「左向け左!」「回れ右!」はまさに軍隊の訓練ですよ。

「もしかしかたら彼にも愛する家族がいるかもしれない」などと考る隙間もなく、

「打て!」と言われたら反射的に銃の引き金を引く訓練です。

そして、毎学期のテストでは、「正しい答え」を書くことを求められます。

もちろんその答えは先生に教えてもらった答えですよ。

それ以外はダメです。

それを1年3学期中間試験と期末試験、6回、繰り返します。

自分の判断、自分の考え、求められたことなど一度もないし、そんなことを書くと「×」されるんですよ。

なぜエライ先生が書いた教科書通りに書け、授業でならった通り書け、

これが今の学校教育です。

それは自分で考えず、言われたままに動く「兵士」「労働者」「事務員」「官僚」などを量産するのに大変都合がいいのです。

それこそが日本の教育の本質なんですよ。

素晴らしい答えと思いますけどね。

「どこですか?」という問いは場所を聞いています。

「どこ行きたい?」「海!」と使いますよね。

一番たくさんの都道府県と接しているのはどこですか。

「海」

素晴らしい!

私にはどこが間違いなのかわかりません(笑)

何か不完全であり、常に「成長の余地」をもつのが、存在の完璧なありよう

わたしはずっと、自分が幸せだ、完璧だ、ちゃんとしていると思い込もうとしていただけで、
現実は「~のせいでうまくいかない」「どうせわたしはだめなんだ」ばかり見ていたんです。
なんていう矛盾をかかえて生きてきたんでしょう!
ていうか、望むものと見るものがごちゃごちゃ噛み合ってないってこのことですね。

幸せは思い込むようなものじゃないんですよ。

感じるものです。

そして、不完全さの中に完全さを見ることです。

この「芽」が「あ~なんでボクは完璧じゃないんだろ!きれいな花を咲かせていないんだろう」「ボクはダメだ」なんて考えだらノイローゼになりますよ!(笑)

すべての神経症はそんなようなものです。

神じゃないんだから、誰もが何らの不完全性、いうなれば「成長の余地」を持っています。

不完全性とは「成長の余地」ということなのです。

そして、宇宙には不完全性、すなわち「成長の余地」は不可欠なものです。

なぜなら、すべてが完璧になり、完成されたら、「成長の余地」がなくなるからです。

もうこれ以上1ミリも改善の余地がない、すなわち完璧になったら、生命は終わるのです。

ですから宇宙というのは常に「成長の余地」という不完全さをもっているものなのです。

何か不完全であり、常に「成長の余地」をもつのが、存在の完璧なありようなのです(笑)

ですから、誰もが自分の素晴らしき未完成を祝うべきなんですよ!

それは当然の在りようであり、祝福すべきことです。

変化しない人生を生きるか、主体的に選ぶ人生を生きるかを分ける大きな鍵

現実世界から、自分の感情や思考を選択するのではなく、
自分が主体になって、感情や思考を選択するのですね。
 それは素晴らしい指摘です。
 これが変化しない人生を生きるか、主体的に選ぶ人生を生きるかを分ける大きな鍵なのです。
 「現実世界が変わらないと、自分の感情思考を選択できない」と思っていると、周囲の人々、社会、環境、そういうものが変化しないと自分も変われないということなのです。
 しかし、自分は相手ではないから、相手の人生を変えることはできません。
 ですから「現実世界が変わらないと、自分の感情思考を選択できない」と思っている
人は常に相手に腹を立て「あなたが変われ!」と思い続けて、結局人は思い通りに操作できませんから、自分の思考感情を選べない。
 思考感情が現実を作っています。
 それが「現実が思考感情を作っている」になっています。
 そうなると、思考感情が選べませんから、結局自分の人生はずっと変化しない。
 ずっと不平不満が続くという結果になるのです。
 「自分が主体になって、感情や思考を選択するのです。」
 現実がどうであれ、「自分が主体になって、感情や思考を選択するのです。」
 厳しい状況にあればあるほど、「自分が主体になって、感情や思考を選択するのです。」
 そうすると「自分が主体になって、選択した感情や思考から」別の現実が生まれ始めます。
 これが変化しない人生を生きるか、主体的に選ぶ人生を生きるかを分ける大きな鍵なのですよ!
 これが自分の人生に責任をもつということなのです。
 ですから自分の人生に責任を持たない人は、自分の人生を主体的に選べないのです。

私は給与明細をもらってもほとんど開封したことがない(笑)

先日、今月の給与明細を見た時に、
今月は思っていたより低くて、とても気分が落ち込んだんですよね。
(派遣なので、勤務日数で給与が増減しています)
「この年でこれだけしか稼げないなんて」「これだけで今月やっていかなきゃいけないなんて」
「でも、もっと稼げる仕事につこうって気概もないから、仕方ないんだ」
とか、色々自分をマイナスにする思考が芋づる式に・・・
 実は私はおそらく日本人で最も給与明細を開封したとこがない人間だと思います。(笑)
 たまに4月の給与明細は見たかもしれません。多少変動しますからね。
 あとはもう決まっているのですから、ほとんど見たことがない。
 私は給与明細をもらってもその封筒をほとんど開封したことがない。
 なぜって、見てあれこれ思ってもしかたがないことだからです。
 自分に決定権がないことですからね。
  無駄な行為ですよ(笑)
 で、そういうどうしようもないことはほっておいて、真理の探究の本を読んだり、楽しく遊んだり、遠隔浄化したり、そうして自分の好きなことに情熱を傾けて、無駄な給料明細を見るということさえしませんでした。
 それは意味がある行為ではなかったから(笑)
 そうすると自分が好きなことを情熱を傾けて来たことが自然と育ってしまった!

お金のことを考えている間はお金に縛られる

でも、今の時点で、現実世界で手にできるお金の金額はこれだけ、でも、
今こうしてわたしが生きている事、身の回りに存在している物、こと、
目に見えない色んなつながり、命、愛、そういった豊かさとか、幸せにする存在に意識を向けることのほうが、
嘆いているよりよっぽど有意義だし、幸せになれますよね。

そうなんですよ!

「お金のことを考えている間はお金に縛られているんですよ!」

お金を自分の人生の主要な関心事にしたいですか?(笑)

私はそうは思わなかった。

お金は大事ですよ。

現代の社会で生きて行くうえで必要不可欠なものです。

私もそのくらいは知っているんですよ!(笑)

でも私はずっと給与明細さえ開封しなかった(笑)

私にはお金の計算よりも大切なことがたくさんあるからです。

私にとっては、ほとんどのことがお金のことより大切なことです。

ですから給与明細の封筒をちょきんと切る時間さえなかった(笑)

私は今日はブログに記事を5本書きました。(これが5本目です。)

今日は1日一食です。

今日は1円もお金を使っていないですね。

だからって、私はとっても幸せなんですよ。

読みたい本を読み、浄化し、メールの返事を書き、ブログの記事を書き、本当に楽しい。

今日も情熱的な1日を過ごしました。

頭もフル回転です。

そしてでかける時はもうそろそろ20年目になる自転車。

今週2回目のブレーキワイヤー切れを起こし、数百円で交換してもらいました!

自転車のブレーキワイヤーとか切れたことないでしょ?

私はこの自転車で同じ個所が2回目ですよ!

約10年毎に1回、数百円!(笑)

自転車は本当に最高なんですよ!

「目に見えない色んなつながり、命、愛、そういった豊かさとか、幸せにする存在に意識を向けることのほうが、嘆いているよりよっぽど有意義だし、幸せになれますよね。」

その通りです!

私は物質的な豊かさも大切にしますよ。

おいしいものも食べるし、旅も大好き。

おしゃれをして、キレイめのところに出かけるのも好き。

でも、「目に見えない色んなつながり、命、愛、そういった豊かさ」も大好き!

お金のことで頭をいっぱいにして一生すごすなんてまっぴらごめんですね。

「現実世界から、自分の感情や思考を選択するのではなく、
自分が主体になって、感情や思考を選択するのです。」
 私はお金のことをほとんど気にしない思考と感情をもう何年間も選び続けているのです。
 そうすると、お金のことがほとんど気にならない現実世界を創造するのですよ!
 要点がわかりますか?
 お金のことを気にしている限り、お金のことに煩わされる現実を創造し続けるのです。
 お金のことを気にしない思考と感情を何年も選び続けていると、お金のことにほとんど煩わされない現実を創造するのです。
 それが創造の原理です。
 私が一人暮らしを始めたとき、私のアパートには半年間「明かり」がなかったですよ。
 まぁ流しの上にはじめから備え付けの蛍光灯がひとつだけありましたが。
 ずっと半年間、部屋に帰ると明かりはそれだけでした(笑)
 私の親は普通のサラリーマンだったし、私自身も決して豊かにスタートしたわけじゃないでうすよ。
 でもまぁそういう環境を「楽しむ」心はいつも持っていた。
 そうすると今はこうなれちゃった。
 要点がわかりますか?
 現実にとらわれないことなんですよ!(笑)
 かといって現実を拒否したり、否定するわけでもない、
 現実は楽しみます。

わたしは物心ついた時から「人はなんで生きているんだろう、存在しているんだろう」って考えてきました。

 わたしは物心ついた時から「人はなんで生きているんだろう、存在しているんだろう」

「死んだらどうなるんだろう」「宇宙の始まりの前と終わりの後って何?」「神様の存在する前って?」とか
そんなことばっかり考える子供で、そのまま大きくなっているんです。。笑。
だからずーっと、友達やクラスメートが興味を持っている事とかに没頭するより、そういう謎というか、自分の存在そのものに引っかかってる何かをなんとかしたい!が優先事項なんだと思います。
 お~っ
 それは私と同じじゃないですか!
 私もずっと、どうしてこの世の大切なこと、生きる意味もわかないのに、スポーツの勝敗とか、そんなことに熱中できるのかっ!と思っていましたね。
 もう私の人生を簡単に自己紹介すれば「10代後半から真実を探究し始め、現在に至る」以上終わり。そういうことなんですよ!(笑)
 意外と気があうかもしれませんね。
 まぁこういうメールのやり取りが続いているということは気があっている証拠でしょう(笑)
 お会いしたことはありませんが、こういう探究というかコミュニケーションも本当に私にとっては楽しいとなんですよ。
 グルメもおしゃれも楽しいかもれいないけど、私にとってはずっとこっちらの方が楽しい(笑)
 だから私は一番楽しいことをしているとお金が1円もかからない(笑)

みんな未完成、常に「成長の余地」あり、それが自然な状態

>「自分の現状を受け止める」ことに抵抗感や恐怖感を感じるならば、「現状の自分はつまらない」という無意識の自己評価があるのです。
ぐさっと刺さりました!!!笑。
でも、榎本様に言って頂けて、よかったと思います。良い感じに刺さりました。笑。
自分がつまらない、って認めたら負けなんじゃないか、っていう
よくわからない抵抗感、恐怖感があったんですね。
でも、認めてしまえば、ただそういう事実がそこにあるだけで
「じゃぁ、今からわたしが楽しく面白く生きるにはどうすればいいんだろう」って建設的に考えて、実行すればいいだけだ、ってなりますね。ただそれだけですね。
 そうです。
 私は「あなたがつまらない」と言っているじゃないんですよ。
 「あなたの自分はつまらないという無意識の自己評価」がつまらないと言っているのです。
 認めるも何もないんですよ!
 そういうガラクタはさっさと手放してしまいなさい!と言っているのです。
 そして、「何か不完全であり、常に「成長の余地」をもつのが、存在の完璧なありよう」ということをさっさと受け入れてしまいなさい!(笑)
 みんな未完成、常に「成長の余地」あり、それが自然な状態なんですって!

さっさと情熱をもって経験したいことを経験し尽しなさい!

>大事な視点は、「人間は本来無限の可能性をもつ永遠の魂である」ということです。
この視点に立ったら、肉体をもって生きているこの一瞬一瞬すべてが、
かけがえがないし、ある意味、わたしの頭ではまだ理解できなくても、
魂は、肉体をもって経験したかったすべてなんだ、って思えますね。
 そうです!
 そうです!
 今こうして地球次元を生きているということは、自ら地球次元での経験を望んだのですよ。
 そして、この肉体を持つということ。
 ハグしたり、誰かのぬくもりを感じたり、キスして唇の温かさを感じたり、大地を踏みしめてあたり、水を飲んだり、自転車で風を感じたり(笑)・・・
 この3次元でには素敵な経験に満ちあふれているんですよ!
 あらゆることを経験せずに、この肉体を去れますか?
 そんなことをするから、また何度も何度もこの次元に生まれてくるんですよ(笑)
 さっさと情熱をもって経験したいことを経験し尽しなさい!
 以上終わりっ!
 人生の目的はそれだけです。(笑)

当所(とうじょ)即ち蓮華国  この身即ち仏なり

Eテレで宗教とか生き方をテーマにした番組をやっていて
歌人の方が語っていらしたことが、とても響いたんです。
って言っても、寝起きで1度見たきりでうろ覚えなんですけど
「この心は、自分がすべて作っていると思ったら大間違いで、
向こうの世界の仏様のみわざ、仏様が体験したくて作っている」
「自分もさかのぼれば、ご先祖様を越えて仏様がいらっしゃる。
仏様が自分を知りたくて肉体をもってこうして生まれてきたのが自分なんだ」
みたいなことを仰っていて、なんか、ちょっと楽になったというか。
「あー自己嫌悪になったり、もっとこうなら、とか思ったりもするけど、
仏様がわたしを通じて感じたい、体験したいと思ってこうなってるんだったら
そりゃーしかたないよなー。笑。
それに、こうなってるのはわたしのせいじゃないんだなー」みたいな。
まぁ私に言わせりゃ、あなたもその仏様の一部なんですけどね。
「衆生本来仏なり  水と氷のごとくにて
水を離れて氷なく  衆生の外に仏なし
・・・
当所(とうじょ)即ち蓮華国  この身即ち仏なり」
私の敬愛する白隠禅師の「坐禅和讃」です。
ここまで書いてて「歌人の方についてググろうわたし!」となって検索したら
西川和榮さんという方で、説明にこうありました。
「西川和榮さんは小学6年の時、疎開先の囲炉裏(いろり)端で、
煙に浮かぶちりが日光に照らされきらめく光景を前に、「あのちりも仏さんやで」と教えられたという。
西川さんはその仏さんを日々呼吸しながら、
自分はなぜ怒ったり悲しんだりを繰り返して生きているのか疑問を抱き、その解決を仏法に求めた。
そして、自力の枠の向うに生きて用(はたら)いている本当の自分が、仏さんの他力の世界にいることに気づいたという。 」
 まあ、私に言わせれば「怒ったり悲しんだり」するのも素敵な経験なんですよ。
 命をかけた恋をし、胸が張り裂けるような失恋をしなさい!(笑)
 それが人生ってもんですよ。
 そして、本当の自分、別次元の自分と言ってもいい、それは確かに存在します。
 しかし、それはどこかよそじゃなくて、
「当所(とうじょ)即ち蓮華国  この身即ち仏なり」なんですよ!

自分の喜びが、過去ではなく今にある人

自分の喜びが、過去ではなく今にある人になりたいな、って思います。
だから、なります!思ってるだけじゃ先延ばしですものね。笑。
 すごい要点に気づいていますね!(笑)
今までは、きっと人が綺麗と言っている色で、
自分の人生を塗ってきたことがほとんどだったと思います。
だからこれからは、自分が綺麗と思う色で、
自分の人生を塗っていきます。
 素晴らしい~

近所の公園で裸足で木登りでもしようかなー

いきなりイカダはハードルが高いので(笑)
とりあえず、近所の公園で裸足で木登りでもしようかなー(怒られるかしら。笑)
樹に登りたいなら、お登りなさい !(笑)
 私は子供のころ十分に登ったので、最近海辺の樹の根元に、リクライニングみたいにもたれかかってのんびり過ごすのがお気に入りです。
 ガキはこれだから困る!(笑)

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