答えは自分の中にある

ご質問をいただきました。

(質問は)やはり自然の力のことになります。頼りもの、神様、仏さま、宗教、開運関連のブレスレット、お経、教祖、サプリメント、健康器具、など自分の自然の力を弱めるのは本当でしょうか?

愛する順番、空気 、先祖、自分、 はそうなんですか?
南さんの自然の力のうその部分と本当の部分を教えて下さいませんか?宜しくお願いいたします。

S(2018年4月22日 20:49)

>頼りもの、神様、仏さま、宗教、開運関連のブレスレット、お経、教祖、サプリメント、健康器具、など自分の自然の力を弱めるのは本当でしょうか?

ある意味本当ですよ。

自分以外に頼ることはある意味すべて本来自分の内にある力を弱めます。

それには、もちろん南さんや「自然の力」も入ります。

例えば子供のころから厚着をしたりいつもエアコンの効いた部屋にいると自分の体温調節機能が弱まります。

車ばかりに乗ると足腰が弱まります。

こういうご質問をされるということは、神様、仏さま、宗教、開運関連のブレスレット・・・などといったものに随分あれこれお金を使われたんでしょう(笑)

そして決め手はなかった。

外部の探究にキリはないのです。

自分自身を探究しないといけないんですよ。

それは身体であろうと、内面であろうと同じです。

その点、南さんや「自然の力」も、彼らの価値観を押し付けていることにかわりないのです。

南さんの考えを受け入れるか受け入れないか、YESかNOです。

「バカがいい」とされ、「自分自身がどう思うか」は関係ないのです。

「自分自身を探究させない」ということに関しては「南さんの自然の力」も、まったく同じです。

ある意味嘘でもあります。

プラシーボ効果というのをご存知ですか?

偽薬効果です。

例えば、小麦粉を薬と思わせてカプセルなどに入れて処方すると大半の人に効果を発揮するのです。

「それが効くと信じた人には効く」のです。

日本でもイワシの頭も信心からといいますね。

それは本当なのです。

ですから、

>神様、仏さま、宗教、開運関連のブレスレット、お経、教祖、サプリメント、健康器具、など・・・

自分がそれらを「心から効くと信じていれば」効きます。

このプラシーボ効果というのは医学界でも広く知られた事実です。

答えはあなたの内にある

答えはあなたの内にあるのです。

「あなたが自分自身や、それをどう捉えているか」が大切なのです。

ならば、あれこれ外部の「もの」を探究するのではなく、「自分がどう捉えているか」を探究すべきなのです。

自分自身で自分の思考を変えてプラシーボ効果を生み出せばいいんですよ。

「幸福の青い鳥はいつも自分の一番近くにいる」というのはそのことを現しているのです。

外部の探究にはキリがありません。

親でもいつまでも子供の「頼りもの」であってはいけない

>頼りもの、神様、仏さま、宗教、開運関連のブレスレット、お経、教祖、サプリメント、健康器具、・・・

南さんや「自然の力」も含めて、あらゆる「頼りもの」はその人の力を弱めます。

それはもちろん、私「榎本」も含みます。

例えば、私の子供が私をずっと頼ったとしますね。生活面、金銭面、思考面・・・

いつも自分で判断できず、私の判断を仰ぐ、

自分で自立できず、金銭的にも私に頼り続ける、

私が子供とって「頼りもの」であり続けたら、子供の自立、子供の幸せを妨げます。

たくましい子供に育たない。

親でもいつまでも子供の「頼りもの」であってはいけません。

自分自身に内なる力を見つけていない子供をいきなり放り出すことはできない

しかし、生まれたばかりの赤ちゃんを、親は子供の「頼りもの」であるべきじゃないと、寒天に放り出せば死んでしまいますよね。

人は「自分で自立」できていない状態で生まれてきます。

ある時期までは、親という「頼りもの」がいなければ生きていくことができません。

ですから「頼りもの」が一概に否定すべきもの、必要ないとは言えないのです。

親の健全性というのは、子供の自立をサポートしているかということにあるのです。

もし、ずっと子供の「頼りもの」でい続けたい親は、思考的にも金銭的にも依存させてしまい、子供をニートなどのようにダメにしてしまう可能性があります。

「親の言うことを聞け」という親は子供をダメにします。

「あなたはどう思う?」「そう思うならやってごらん」という親が子供を自立させます。

ですから私も「力の使い手」さんには、「自分で自立」できるように支援しているのです。

自然の力の南さんは、伝授者さんの思考力、判断力を養っているか?「自分で自立」させようとしているか?

「バカがいい」とされ、自分で考えず、全員に「裏切り者認定」や、「〇〇さんとつきあうな」というようなことを事実上強制させています。そうしないと、あそこには居れませんからね。

ですから「自然の力」の南さんは「頼りもの」として不健全なのです。

世の中は不健全な「頼りもの」であふれている。

不健全な「頼りもの」は別に、自然の力の南さんだけではありません。

ただ「私の言うことを聞け」という親や上司、学校の先生、医者、エライ先生・・・

対症療法の薬、食べ物、健康食品、サプリ、・・・

あらゆる「頼りもの」は、あなたが継続して「頼って」くれるからビジネスとして成立するのであって、あなたが自立することを望まないのです。

自然の力の南さんは「経済」(お金)が大事と常々教え、実践しています。

株式会社は、利益をあげ、株主に還元するのが正義です。

お金「経済」が本音で最優先のところは、ずっと人々を依存させるのが正義なのです。

あらゆる製薬会社、健康食品、サプリ、宗教、スピリチュアルグッズ・・・

それらがお金「経済」を大きな価値観においている限り、ずっとあなたを依存させるのが彼らの正義であり、そういう「頼りもの」はすべてあなたにとって不健全です。

ということは「経済社会」に存在するものは、ほとんどあなたが依存するよう仕向けており、あなたの自立など望んでいないのです。

世の中は不健全な「頼りもの」であふれているのです。

判断基準はそれがあなたの自立を促すか

健全な親は子供を自立させますよね。

健全な「もの」はあなたの自立を促します。

例えば、あなたの能力を本当に鍛え高めるもの、そういうものはあなたにとって価値あるものです。

要するに「基準はあなた」なのです。

私には「自然の力」は役立った

私は「自然の力」で7年半、天光地で唯一の講師でした。

そこで多くの経験を積みました。

そして、「裏切り者認定」によって、また非常に鍛えられた。

私は、自然の力の中にいた時も、依存的ではありませんでした。

私は何を話すかをすべて自分で決めて月一の講師をやましたからね。

納得いかない理由で「裏切り者認定」されたとき、私ははっきりNOと言いました。

私は「自然の力」の中にいた時も(ほぼ)一度も伝授が切れたこともないし、南さんに依存的に思考したこともあまりない。

理由がわからなくても従えと求められた「裏切り者認定」では、私はさっさと拒否しました。

私は、自然の力の中にいた時もずっと自立した存在であり、「裏切り者認定」後も自立した存在です。

どちらの経験も、私の「能力を本当に鍛え高める」ために大いに役立った。

もし、「自然の力」での経験を私のように自立したものとして終始できるなら、あなたにとってもきっと役立つでしょう。

自主的な思考、自主的な判断、自主的な行動にポイントがある

それは学校で学んでいても、仕事をしていても「受け身」の人「指示待ち人間」は、結局どこにも行きつきませんよね。それと同じです。

主体的な学びだけが意味をもつのです。

自主的な思考、自主的な判断、自主的な行動にポイントがあるのです。

私は自然の力にいるとき、唯一の講師でしたから、それができていたのです。

しかしもう今は「バカがいい」などとされて南さんの考えを強制されているだけです。あそこで自主的に思考し、自主的に判断し、自主的に行動することはもはや不可能になっています。

私は自然の力でそのように行動した最後の人間ですよ。

自分をどう把握するかがすべて

>愛する順番、空気 、先祖、自分、 、はそうなんですか?

「愛する順番」久しぶりですね(笑)

もうすっかり内容を忘れていました。

私は、この2年半の浄化の経験の中で、「愛する順番」を思いだしたり、役立ったりしたことは一度もありません。

えっと、どういう内容だったかな(笑)

1、神様(空気)2、祖先、3、自分、4、家族、5、人々、6、理想をもつ 7、理想を手にする

でしたね!(上手に思い出せた(笑))

まぁ今の自然の力の主な考えである、人生は「セックス(半分以上)、お金、遊び」がすべてよりよっぽど健全です(笑)

しかし何の真理もない。

まずですね。

輪廻転生をご存知ですよね。

ある家族の祖先が、その家系に生まれることは珍しい事ではありません。

時々、「この子は死んだおじいちゃんにそっくりだねぇ」ということがあります。

本当に転生してくるケースは珍しくありません。

つまり祖先は子孫であり、家族でもあるのです。

それに祖先というのはすでに自立した存在です。赤ちゃんは自立していませんよね。

愛の比重は、子供が優先されるのは当然です。

どこの家庭でも子供が優先されています。

それが正しい順番です。

母親はそれを本能でよく知っている。

でも何度もいっているように、お互いに自立した存在になるのが幸せです。

祖先も自立して生活し、自分も自立して生活し、子供も自立する。

そして、時に一緒に食事したり、旅行したり、一緒に過ごすことを楽しむ。

それらが本当に楽しいのは「お互いに自立しているから」ですよ。

親が寝たきりで看病に疲れたとか、子供がニートで疲れたとか、誰かが自立出来ていないと、やっぱり健全ではない。

お互いに支え合うことはありますが、それはお互いが自立して、それぞれが楽しい人生を謳歌し、お互いに歓びを分かち合うためです。

お互いが自立し、自分の人生を謳歌し、それを分かち合うのが一番いい状態です。

優先順位もくそもない。

親も自立した方がいいし、自分も自立した方がいいし、子供も自立した方がいい。

それだけです。

自立のために必要な支援ができるならその時すればいい。

いつ何を優先すべきかは、その時々で変化します。

適切な結果をもたらすのは、状況に応じた「自主的な思考、自主的な判断、自主的な行動」です。

しかし、あくまで自立するのはそれぞれ「自分」なのです。

ですからお互いが、それぞれ自分で「自分の能力を本当に鍛え高める」ことが大切なのです。

周囲はそれを助けるだけです。

そしてもし、自分や自分の家族が、自立して幸せを謳歌しているのなら、いったいそれをどうやったのか知りたい「人々」と分かち合えばいい。

その視点はすべて神の現れであり一体

自分の周囲の人は実はすべて自分の反映なのです。

子供は自ら親を選らんで生まれてきます。

親に引きつけらたのは自分ですし、子供も自分に引き寄せられたのです。

祖先も家族も結局「自分の反映」です。

ですから「自分の状態がどうであるか」が一番大切なのです。

自分の周囲の人々も「自分の状態がどうであるか」であるかのただの反映です。

類が友を呼んでいるだけなのです。

自分の周囲の人々に働きかけるためには、やはり「自分の状態がどうであるか」が大事なのです。

結局、祖先も、子孫も、人々もすべて「自分の状態がどうであるか」の反映です。

ですから、自分が自立しバランスのとれた幸せな人間となり、それを縁のある人々と、自分と同様に愛するのです。つまり自分が自立して幸せになったように、彼らが自立して幸せになることを手伝うのです。

だから、祖先も、子孫も、人々の順番もくそもない。

自分が自立しバランスのとれた幸せな人間となり、周囲を「自分同様に」愛するのです。

すべての人をです。

すべての人は神の分け御魂であり、内側でつながっている

なぜなら、すべての人は神の分け御魂であり、内側でつながっているからです。

本当は彼らは自分自身なのです。

そして、地球や宇宙全体すべてが神の現れです。

だから身近なものから愛したらいい。

自分自身があなたにとっても最も身近なものです。

あなたが子供を愛するとき、あなたは神を愛しているのです。

あなたが恋人の目をのぞきこむとき、あなたは神を愛しているのです。

あなたの中に神聖を見出すとき、あなたは周囲のすべてに神聖を見だすでしょう。

この宇宙に神でないものなど何も存在しないのです。

あなたの周囲はすべて神の現れです。

いったい何を優先するというのですか?

あなたに今与えれているものを愛したらいい。

それがあなた自身の現れなのですから。

自由意志のないところに真の愛は存在しない

自由意志はすべてに優先されます。

次に愛です。

なぜなら、1ミリでも強制されたもの、自主的でないものは、真の愛ではないからです。

それは取引ですよ。

ですから、自由意志は愛の存在の前提なのです。

自由意志のないところに真の愛は存在しないのです。

ですから何かを強制することは美しいものをすべて破壊してしまう。

それが人生に支配がある人が欲求不満で死ぬ理由です。

彼らの人生に真の愛はないからです。

それらは両立しないのです。

あなたは自由意志で自らを自立した幸せな存在にしたらいい。

そして、愛をもって自分の周囲にそれを分かち合えばいい。

自由意志はすべてに優先されます。

あなたが、その人が「自分」をどのように考えているのかがその人の世界を作っています。

肉体意識は不安を呼び起こし、不安が支配を喚起する

肉体意識は不安を呼び起こし、不安が支配を喚起します。

例えば「自分は肉体である」と思っている人は、自分と人は別々であり、肉体の生存のためには競争に勝ち抜き、人を支配コントロールすべきであるという価値観を持ちます。

そして、そういう人生を生きます。家庭で家族を支配し、職場で人を支配します。

彼は「上下関係」でしか人間関係を把握しない。

ところがどんなにそういう世界で上手に勝ち組になって人を支配しても決して幸せになれないようになっているのです。

支配者は異常な性欲を持つ人が多いですが、それは彼らの支配の価値観によるのです。

彼らは人と「喜びの分かち合い」の関係なることができないのです。

人を交換可能な「もの」のように扱います。

彼らは人に真の思いやりを持つことができない。

それが彼らを満ち足りた異性との関係をはばみます。

下の3つのチャクラしか活性化していないので大きなオーガズムを得られないし与えられない。

だから、支配者には性欲異常者が多いのです。

それは宗教でもエリートの社会でも同じなのですよ。

彼らは自分のその思考で自ら不幸になっている。

食べ物を満たされた人は食べ物のことをまったく考えないように、

満ち足りた素晴らしい異性関係を持っている人は、セックスのことを考えないものです。

満たされているからですよ。

ところが人生に「支配」のある人はどうしても、その自らの在り方ゆえに、満たされることがないのです。

彼らは欲求不満のまま死にますよ。

結局幸せをもたらすのは「自分の在り方」であり、肉体意識で他者を支配する対象などと認識する人々は幸せになれないようになっているのです。

それは「真実ではない」からです。

>南さんの自然の力のうその部分と本当の部分を教えて下さいませんか?

例えば、肉体意識に生きる人々にとって「支配の構図」で世界を認識しています。

そうすると、家族を支配したり、職場の部下を支配したりという世界に生きます。

もし自分が肉体意識に生きるのであれば、そういう「支配の構図」のある会社で働こうと、「自然の力」をやろうと、同じような経験をします。

あなたが肉体意識だけで自己認識していないなら、そういうところはあなたには向きません。

あなたは自分をそういう競争の世界、支配と従属の世界から救いたいと思うことでしょう。

なら、「自分の能力を本当に鍛え高め」てきたことが役立ちます。

結局あなたの「自分自身」の問題なんですよ。

外に答えがあるんじゃない。

自然の力であれ、他の何かであれ、今自分に縁があるなら、その会社なりを味わい、経験し尽くし、卒業すればいい。

あらゆるものを「自分の能力を本当に鍛え高める」ために使い、「自己認識の拡大」に使っていくのです。

そしてこの次元に、幸せな世界を築いていくのは、誰あろう、あなたの責任です。

それぞれが「自己認識の拡大」によって得た世界観で、自分の幸せな世界を創り、それを類友の人々と結合させ分かち合っていくのです。

その選択を自ら主体的に行い、楽しむと人生の旅路は楽しいものになります。

一見苦しそうに見える巡礼がすごく楽しいのと同じです。

肉体意識のパワーゲームをし続けたい人はどうぞ

視点は「自分自身」にあるのです。

それを自分を愛するようにすべての人が愛せるように拡大していくのです。

もちろん自由意志は絶対ですから肉体意識のパワーゲームをし続けたい人には、そうさせてあげてください。彼らの自由意志を尊重してあげなければいけない。

しかしそのパワーゲームに自分が巻き込まれるかどうかは自分の選択なのです。

お好きならぜひどうぞ!

そしてそのゲームに巻き込まれず、巻き込まれそうなときはさっさと抜けられるほど「自分の能力を本当に鍛え高め」ることができるなら、自然の力をするものいいでしょう。

私には役に立ちました。

今私が自然の力をやるか?

子供や家族に勧めるか?

絶対にNOです(笑)

私が講師をしていたピークの頃からくらべると今は10分の1くらいになっているそうです。

多くの人がもう自分には必要ないと思っているからです。

正しい判断ですよ。

「頼りもの」は何であれ最終的にその人を害するからです。

仏陀に逢ったら仏陀を殺し、祖に逢ったら祖を殺す(臨済)

臨済に以下の言葉があります。

「仏(ぶつ)に逢(お)うては仏(ぶつ)を殺し、祖(そ)に逢(お)うては祖(そ)を殺す」

『臨済録』より

禅文化研究所の所長を長く務めた西村惠信さんは、『禅語に学ぶ 生き方。死に方。』という本でこれを以下のように解説しています。

権威をもって自分に迫ってくるものは、たとえそれが仏や祖師、父母や親族であっても、徹底して否定しなければならない

「正しいものの見方を持とうとするならば、決して人に惑わされてはいけない。

自分の内であれ外であれ、出逢うものは直ちに殺せという教えである。危険極まりない臨済禅師の言葉の陰に、人間としての主体性を確立させようという、禅師の熱い慈悲心が隠れているのを、見落としてはいけない。・・・

臨済は決して無神論者ではない。彼は門人たちに向かって、お前ら一人ひとりの中に具わっている「一無位の真人」(形なき真実の自己)を見い出せと迫ったのである。・・・

それこそが「本当の自分」というものであって、それ以外に真実の自己などあり得ないという。従って真実の自己に出逢うためには、自分を惑わせるもの、特に権威をもって自分に迫ってくるものは、たとえそれが仏や祖師、父母や親族であっても、徹底して否定しなければならないと臨済はいう。」

『禅語に学ぶ 生き方。死に方。』(西村惠信)

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