お金の不安があります。不安をどのように手放したらいいのでしょうか。

腰痛は不安に関係していることが多いです。

今朝の腰痛の遠隔浄化でそのことをアドバイスすると以下の質問をいただきました。

「有り難う御座いました。
(腰痛は)良い感じです。
不安を解消するにはどの様にもっていったら良いのでしょうか。
お金の不安はあると思います。」( 2017年4月16日 8:41)

「引き寄せの法則」はご存知ですかね。

類は友を呼びます。

「不安感」を感じていると「不安感」にふさわしい現実を経験します。

いつも「怒りっぽい」人は、「とげとげしい人間関係」を経験しますよね。

自分の内面に「怒り」があるのに「穏やかな人間関係」を経験するのは極めて難しいのです。

「怒り」がある人が、それにふさわしい人生経験をするように
内面に「不安感」を感じていたら、その「不安」にふさわしい人生経験をします。

これは避けられません。

あなたも「怒りっぽい」人が「穏やかな人間関係」を築けないことはご存知ですよね。

それと同じです。

それはもう磁石のように「とげとげしい人間関係」引き起こすのです。

「怒り」の状態からどのように考え、行動しても人間関係はこじれます。

「不安」の状態からどのように考え、行動しても、その不安を現実化します。

「不安」がある時は何もしないことです。

「怒り」がある時は何もしないことです。

散歩するなり運動するなり、ゆったりお茶を飲むなりしてすっかり気分転換します。

自分なりのいい気分転換法をいくつかもっておいてください。

そして「楽観」を持ちます。

沖縄の方言でいう「なんくるないさ」(なんとかなるさ)ですね(笑)

「きっとなんとかなる」「今までも何とかなってきたのだから!」

実は必ず何とかなるのです。

すべての生命が生きていくのに必要なものは、すべて用意されています。

あなたは米や麦がどのようにして今のような状態に遺伝子を発達させてきたのか知りません。

農家のもみ殻からどのように発芽し育ち収穫され、流通し自分のキッチンまで届いたかしりません。

ジャーのなかでどのようにでんぷんが変化するのか知りません。

体内に取り込まれたご飯がどのように自分の身体やエネルギーに変化していくのか知りません。

実はあなたはどのようにして自分の生命が生じ、生きて、維持されているのか、まったく知らないのです。

米がどのようにして今の状態に進化したかさえ、考えることもできません。

今の状態がどうであるかは科学者が説明しますが「なぜ」そうなったのは説明できないのです。

わからないのです。

でも現実は「そうなっている」のです。

あなたは何も心配することもないし、不安をもつこともありません。

そしてなぜそうなるのかも理解できません。

しかしすべての生命は必ず面倒を見られてきたのです。

見られ続けているのです。

それが神の愛と呼ばれるものです。

なぜそうなのか。

わからないのです。

でも事実として、何十億年もずっと生命は面倒見続けられてきたのです。

だから必ず「どうにかなる」のです。

でそれがなぜ「どうにかなるのか」説明してくれ、はっきりしてくれ、理解させてくれと言われても、なぜそうなるのかわからいのです。

私は会社が倒産しないとか、銀行が破産しないとか、国家が破産しないとか、そんなことを言うつもりはありません。

今までもくり返しそういうことは起ってきたし、これからも起るでしょう。

でも「どうにかなる」のです。

なぜどうにかなるかは誰も説明できないのです。

それはなぜ米が進化し、私達の口に入るようになったのか誰も説明できないのと同じなのです。

気がついたらそうだった!としか言いようがないのです。

必ず何とかなるのです。

実際あなたの人生はいままで何とかなってきました。

戦中戦後の食糧難の時代さえ何とかなってきました。

会社が倒産しようが、銀行が倒産しようが、国が倒産しようが、必ずなんとかなるのです。

大丈夫なんですよ!

「なんくるないさー」(笑)

その生命の神秘を信頼し、

自分の状態を「不安」から「楽観」に切り替えます。

「なんくるないさー」ですよ!(笑)

自分のお気に入りの環境、切り替え方、できちっと「なんくるないさー」に切り替えることです。

実際あらゆる時代のあらゆる困難と呼ばれる現象に何十億年も何とかなってきたからです。

神の愛ですよ。

生命は守られるのです。

しっかり「なんくるないさー」に切り替わりましたか?完全に「何とかなる」「楽観」に切り替わったら、「その楽観の状態」から考え、行動しはじめます。

 「きっとなんとかなるさ!」と思いながら街を歩くのです。
 根拠なんて何もないのです。
 根拠のない楽観です。
 創造の最前線に立つ生命が明日を誰かに保証してくれ!と言っても誰もできません、
 未来は予測できないからです。
 ただ「自分の喜び」に従って飛んでいけば、どこに飛んで行こうと、明日そこに食べられる木の実をつけた木を見つけるでしょう。
 鳥は事前にその特定の「木」の存在を知っていたわけではないのです。
 だけど「自分の喜び」に従って飛んでいけば、なからず何とかなることを知っているのです。
 なぜそうなるかはわからないけど、「必ず何とかなる」ということは疑っていないのです。
 微塵もうたがってないですよ!
 すべての生命は微塵も疑っていません。
 「自分の喜び」に従って飛んでいけば、なぜそうなるかはわからないけど、「必ず何とかなる」ということだけは「知っている」のです。
 その「楽観」から発想し、行動する時、「自分の喜び」に従って街を歩く時「あっこんな私にあう求人があるじゃない!」
 「楽しそうだからこれをはじめてみようかしら」
 その「楽観」が楽観にふさわしい「ものごと」をあなたの目に触れさせ始めるのです。
 その自分のなかに「楽観」があり、それに響いた仕事なら、それに響いた新しいものごとならぜひチャレンジしてください。
 それはあなたの「楽観」にふさわしいもになります。
 そうならざるを得ないのです。
 それは内面の「怒り」を「穏やかさ」に切り替えた人の人間関係が以前よりも「穏やか」安らぎに満ちたものになるのと同じです。
 そうならざるを得ないのです。
 それは法則です。
 ですから、なぜそうなるかはわからないけど、「必ず何とかなる」という生命を信頼してください。
 それが宇宙というものです。
 それが生命というものです。
 あらゆる生命がそれを本能として知っています。
 ただ、そういうものなのです。
 なんくるないさー。

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