「力の使い手」に唯一求めること

 今月から新たなに「力の使い手」をご希望のMさまからメールをいただきました。

> 榎本様からのメールやブログをみながら
> 自分の考え方が神さまに添っていないところを気づかせていただきながら
> 日々を暮らしていました

 参考にしていただけたのならうれしいです!

> 私は、自分でふっとでる感情が(意識していないところで)妬みや怒りやなんでと心の中で文句をいう自分を愛と優しさと思いやりで日々暮らしていければと力の使い手のお勉強ができない間も気を付けていました。
> 先般のブログで首の痛みは自分を卑下する思いがそうなると書いてありましたので、自分浄化でその思いを消していただきましたら(浄化は多分使えないかと思い、神様に浄化をお願いしました)首の痛みは消えていました。
> その他、まだまだあちこち痛い所がありますが、この力は病気を治すのが本質ではなく、自分の神さまの気づきが大切と思い、自分の奥底にある真理に添わない思いを自分自身で気づくまで勉強しようと思います。

 そうです。

 それが本質です。

 そして理解を通じてその痛みが存在する理由がなくなればおのずと消えます。

 その気づきこそがもっとも重要なものです。

 その体験を通じて得た気づき、叡智こそが無上の宝なのです。

 それこそが死を超えて次の転生に運べる唯一のものです。

 身体がよくなることも大切ですが、身体は所詮まもなく脱ぎすて土に帰ります。

 そうではなく、自分の魂、すなわち永遠に属するもののために気づき、叡智を学び続けるのです。

 それこそが人間の本来の生きる道です。

> 今、マザーテレサ教えと榎本様のメールとブログで勉強させていただき、もっともっとみなさんに愛と優しさと思いやりが伝えられるように
> 仕事と自分自身の絵のブログをとうして関わり合う方が幸せになってもらえるように、力を身に付けたいと思っています。

 「人に貢献したい」という思いこそが、最も大切なものです。

 その思いを堅持し続ける限り「必ず」道は拓けます。

> まだまだ、人様に浄化するまでの思いとお金をいただいて浄化することに少し抵抗があります。

 「力の使い手」はお金をいただくいただかないは自由です。

 過去に無償で癒しを提供し続けた聖者方はたくさんおられます。

 その方々にならうことは素晴らしいことです。

 私は当初無償で数年浄化し続け、現在はお礼をいただくようになっています。

 両方の経験を持っています。

 私のこれまでの経験では、お礼をいただいた方が有効なのです。

 無償の時は、浄化だけ依頼してその結果さえ教えてくれない人がたくさんいました。

 そちらの方が圧倒的に大多数でした。

 そうすると、私の方も依頼を受け、浄化し、返事はない。

 空に向かって浄化しているようなものです。

 アドバイスも何もできません。

 自分の浄化がどうなったのか、フィードバックがないため学びがないのです。

 虚しいのです。

 お礼をいただくと、相手も一定のコミットをしてくれます。

 もちろんあまりフィードバックをくれない方もいますが、継続してお礼をいただけるということは、
 「浄化が効いているよ」というメッセージです。

 やはり、そういうフィードバックに勇気付けられ、自信を深め、一歩一歩進んでこられたのです。

 「力の使い手」になるということは、今まで社会で理解されていない、地図のない道なき道を歩いていくことです。

 前人未到の地を歩むことなのです。

 頼りになるのは、自分自身しかありません。

 自分の目を見開いて、自分の目の前で起こっていること理解し、日々最善を尽くしていくだけです。

 前人未到の地を歩む時、それしかないのです。

 それこそが「今、ここに生きる」ということです。

 その時唯一頼りになるのは、

 「どうか私を人の役に立たせてください。」という思いなのです。

 それだけです。

 しかし、私たちが心の底から本心で「どうか私を人の役に立たせてください。」と乞い願う時、

 必ず神様は応えてくださるのです。

 これは絶対です。

 動機がすべてなのです。

 これこそが私が体験から理解した真理です。

 ですから私たちは前人未到の地を歩くときも、何も恐れるものはないのです。

 「どうか私を人の役に立たせてください。私をその道具としてお使いください。どうか道をお示しください。」と心の底から乞い願うのです。

 そして必ず応えられるという確信とともに待ちます。

 必ず道が拓けます。

 この神様に対する絶対の信頼感。

 これこそが、私が「力の使い手」さんに自分の実体験として唯一学びとってもらいたいことです。

 頭で考えたことなど理解したうちにはなりません。

 自分の人生を通じてそれを証明するのです。

 それこそが私が「力の使い手」に求める唯一のことです。


(2016年5月31日撮影)

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