今日はエクス・アン・プロヴァンスからサン・マキシマム・ラ・サント・ボームまで走る。
ポール・セザンヌ
ポール・セザンヌはここエクス・アン・プロヴァンスで生まれ育ち、エクス・アン・プロヴァンスで亡くなった。
こうして背中に画材を背負ってあちこち描いた。
ぶどう畑の向こうに見えるのは、サント・ヴィクトワール山。
セザンヌもこの山を愛し、よく描いた。
世界で最も重要なサン・マキシマム・ラ・サント・ボーム教会
約40km走りサン・マキシマム・ラ・サント・ボームに到着した。
私はここは世界で最も重要な教会だと思っている。
私は基本的にダ・ビンチコードの解釈を支持している。
イエスは結婚しており、その妻は妊娠しており、イエスの血脈はフランスの地で引き継がれたという説だ。
数年前にミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会でレオナルド・ダ・ビンチの描いた「最後の晩餐」を見た。
イエスの向かって左隣に座っているのがイエスの奥さまだ。
ダ・ビンチは「岩窟の聖母」という絵も描いている。
この二人の人物をよく見比べて欲しい。
顔立ち、額の中央で分けた髪型。青いマントに赤い布。左に首を傾げた姿まで同じである。
レオナルド・ダ・ビンチは当然この二人を同一人物として描いている。
そして「岩窟の聖母」の子供は誰か?
イエスは馬小屋で生まれたのではなかったのか。
この子はイエスの妻マリアが岩窟で産んだ子供なのである。
そしてこの教会の名前サント・ボームとはプロヴァンス語で「聖なる岩窟」という意味なのだ。
プロヴァンスの地中海沿岸にサント=マリー=ド=ラ=メール(Saintes-Maries-de-la-Mer)という街がある。
この地図の左下だ。
この街の名前の意味は
Saintes-Maries(サントマリー)は聖マリアたち。
de(デュ)は 「から」。
la-Mer(ラメール)は海。
「海から来た聖マリアたち」なのだ。
これがこの街の紋章。
イエスが磔にされたあと、彼女たちは迫害を逃れて帆のない小舟に乗り、この地に漂着した。
2025年の現在も二人の聖マリアたちが海からやって来た場面を再現するお祭りが当地で執り行われている。
ひとりはイエスの妻(マグダラの)マリア。もうひとりは、マリア・ヤコベ(イエスの母マリアの姉妹)とも言われている。
そしてイエスの妻マリアはこの地サント・ボーム(聖なる岩窟)で生涯を過ごし、ここサン・マキシマム・ラ・サント・ボーム教会に葬られている。
サン・マキシマム・ラ・サント・ボーム教会に入って最初に目に入るマリア像。
腹部に注目して欲しい。
お腹が膨らんでいる。妊娠しているのだ。
ただ単にイエスを殺されて逃れて来ただけであれば、悲嘆と絶望の表情をしているはずだ。
ところがこのマリアの表情はイエスの子をお腹に宿した希望と喜びに満ちている。
こちらがこの教会の「主祭神」である。
この教会はマグダラのマリアに捧げられた教会である。聖母マリアではない。
どうして子供を抱えているのか。
彼女はイエスの妻であり、これはイエスの子なのだ。
下はかつてのイエスの弟子がはるばるサント・ボームを訪れ、大きくなったイエスの子に会ったシーンだろう。
イエスが磔になった後いく歳月が過ぎたが、こうして大きくなったイエスの子に出会い、安堵と懐かしさに感慨深い表情をしている。
そしてここには今もイエスの子を生んだ妻マリアがいる。
近年の学術的な調査でこの遺骨は本物であるとの結論が出された。
この遺骨と同じDNAをもつ人が本当のイエスの血脈もつ人と判断できる。
ここサン・マキシマム・ラ・サント・ボーム教会は世界で最も重要な教会なのである。