昨夜(2016年1月12日)夜9時ごろ、またひとり女性の伝授者さんから「裏切り者認定」のお詫びの電話をいただいた。
娘さんのことを思うお母さんだ。
「裏切り者認定」はただ、顧問の先生にそうしないと伝授が戻らないと言われ、今までこれだけやってきたのだし、ここでやめたら娘のこともふくめて不安があり、教えられるまま書いたということだった。
そんなところだろう。
今まで聞いてきた理由もだいたいそんなところだった。
私は言葉を大切にする人なので、どうも言葉を額面どおりに受け取ってしまうところがある。
しかしこの方の場合も娘を思う母ゆえにやったことだ。
だから私は私に向けらた「言葉」に注目するのではなく、その背後にある「動機」に注目することにしよう。
そこには母の愛があった。
ならもうこれ以上あれこれ言うまい。
私も本来根に持つタイプではないので、そのお母さんともすぐに楽しい長話になった。
その電話で娘さんの相談にのり、解決法までアドバイスした。
何というかな。
私も本来人の役に立ちたいと思っているし、お母さんも娘さんの役に立ちたいと思っている。
本当はお互いに誰かの役に立ちたいと思っている人の波長はすぐにあってしまう。
だから私はもう私に向けられた「言葉」に注目するのはやめた。
言葉に注目すると、マザーテレサも指摘しているように「人は不合理、非論理」であり、そこに言葉で合理的に筋道立てて訴えても、本来不合理なものは、合理的に解決できないことがわかった。
私は合理的に考えれば考えるほど、不合理なことに憤ったわけだが、いくら憤ったところで、もともと不合理なことは、合理的には解決できない。
合理を追求した私は完全に袋小路に入り、やり場のない憤りを持て余してしまった。
母の愛というのは、合理でも論理でもない。
子供のためなら何でもやってしまうものだ。
だから私も、合理のステージを超えることにしよう。
これがマザーテレサの言われることかな。
残った宿題が少しわかった気がする。
「People are unreasonable, illogical, and self-centered,
LOVE THEM ANYWAY
人は不合理、非論理、利己的です
それでもなお、人を愛しなさい」