【初期のキリスト教は女性が主導】最新の研究ではイエスには彼女がいて頻繁にキスをした。


イギリスBBC放送の神学者と考古学者によるドキュメンタリー番組「The Lost Gospels(失われた福音書)」によると、初期のキリスト教は女性主導だった。

イエスには彼女がいて頻繁にキスをした。

キリスト死後しばらくの間は、現在の新約聖書以外にもたくさんの福音書(イエスの言葉を色んな人が記したもの)があった。しかし、それらはすべて異端とされて廃棄された。

それらの福音書は長らく知られていなかったがエジプトのナグハマディなどで発掘され、近年研究が進んできた。

これらの再発見された福音書に描かれていたイエス像こそ、私は本来のイエスに近いと考えている。

イエスの死後、初期はキリスト教の信仰の中心には女性がいた。

それはその時代のローマの地下室の壁画に今でも残っている。

その信仰の部屋で、中心に大きく描かれているのは女性なのだ。

この女性は誰か。

イエスの教えを最もよく知る女性である。

イエスの彼女である、マグダラのマリアだ。

失われた福音書もそのことを示している。

しかし、現在キリスト教は完全に男性だけの社会だ。

三位一体とは、父と子と精霊だ。

イエスはもちろん男性だし、神も「父=男」として描かれている、

精霊とは天使のことだ。

ヨーロッパの教会に行けばわかるが、天使にはみんなちんちんがある。男の子だ。

ローマ法王をはじめ、枢機卿も、司祭もすべて男性なのである。

女性はせいぜい修道女にしかなれない。

キリスト教は初期、女性が支配的だったのに、完全に男に乗っ取られてしまった。

なぜか?

男は常に権力を追い求める。軍事でも政治でも宗教でも男が権力を追い求めるからだ。世界中どこでもそうだ。

女性に参政権が与えれたのはせいぜい何千年の歴史の中で数十年前の話しだ。

日本でも71年前の1945年のことである。

女性にはこんな基本的な権利さえ与えられてこなかった。

それと同じことがキリスト教会にも起こっただけである。

ローマ法王を選ぶ方法はコンクラーべと呼ばれるが、この制度の移り変わりを見るだけでも、いかに激しい権力闘争を繰り広げてきたかわかる。

こういう闘争をのし上がっていくのは常に男なのである。女性は闘いに関心がない。

女性は平和と思いやり穏やかさや調和を愛する。

その優しさから争うくらいなら自分が譲ってしまうからだ。

コンクラーベでは穴の開いた椅子に教皇候補者が裸で座り枢機卿の委員が下からのぞいてチェックする儀式まであるという。委員はチェック後ラテン語で「Testculos habet et bene pendentes(彼には金玉がある。そして、それはきちんとぶら下がっている)」と厳かに宣言する。

司祭も枢機卿も全員男性なのに、そこまでして女性をローマ法王にさせたくないのだ。

しかし、初期のキリスト教の女性が支配的な地位にいた。

イエスの彼女マグダラのマリアである。

キリスト教会はマグダラのマリアに「娼婦」というレッテルまで貼って、何重にも教会の信仰から葬り去った。

もしキリスト教の信仰の中心に女性がいたとなると、男達が作り上げてきた男中心の偉大な教会制度そのものが崩壊してしまう。それは絶対に許されない。

だからイエスに彼女がいたなどという福音書は徹底的に弾圧された。

勝者が歴史を書くという、いつの時代でもどの国でも行われた必然的な理由により、我々はそのことを知らなかっただけだ。

イエスが伝えた福音書は、愛、許し、償いの教えだった。

女性的な優しさにあふれた内容だった。

それを男達は、支配の都合にいいように、厳格に命令し、告白させ、裁き、宣告し、死や地獄で永遠の業火に焼かれる恐ろしい教えに変えてしまった。

弾圧された福音書には、イエスはマリアとヨセフの性交によって生まれたとある。

当然だ。

イエスが地上を歩いた肉体を持つ存在であるなら、母マリアからX染色体、そしてY染色体をどこから手に入れたというだ。父も精霊も肉体をもたない(Y染色体)を持たない存在だ。肉体を持つものはセックスから生まれるのは当然のことだ。

自然で素晴らしいことだ。

初期の福音書はちゃんとそのことを伝えている。

しかし、そんなことではみながイエスに親しみを覚え、自分の可能性として捉えてしまう。

イエスは手の届かない特別な存在にしなければならない、そこで処女降誕をでっち上げた。

そしてセックスを原罪などと呼び、すっかり汚らわしい罪悪感をともなうものにしてしまった。

しかし、それは人間のごく自然な素晴らしいものだ。

みんな恋愛が大好きだ。恋が描かれてていない映画や歌やドラマはないくらいだ。

そんな魅力的なものを罪にしてしまったら、みんな必ず罪を犯す。だから教会は大繁盛になった。

実にうまい仕組みを作った。

そうやって教会の繁栄が築きあげられた。

仏陀も母マーヤの脇から生まれたことになっている。

どうでも聖者はまともな生まれ方にしたくないようだ。(笑)

イエスは人々に兄弟姉妹と声をかけたが届かなかった。

彼は上手に非人間的な存在に祭り上げられてしまった。

イエスは血の通う人間だ。

そしてセックスのごく自然な結果として肉体を持って生まれることができた。

そして、彼には彼女がいた。

彼は彼女に何度もキスをした。

大好きだったのだ!

素晴らしい~(*^^*)

私はダ・ヴィンチコードの妊婦モナリザの考察を支持する。

彼は子供をもうけた。

だからと言って私はイエスが俗物などとまったく思わない。

イエスは至高の存在だ。

私のイエスへの敬愛は限りない。

私はイエスが大好きだ。

肉体を持つ人間が至高の神聖を体現しうることを身をもって示された。

そして、彼女を愛した。

何度もキスをした!

素晴らしい~

途方もなく素晴らしい!

私たちは恋をしていいし、何度もキスをしていいし、熱く抱き合っていいのだ!

イエスがそうされているのだから!

そして同時に至高の神聖さを体現しうるのである。

イエスはその人間の素晴らしさを伝えるためにやって来られた。

私はイエスが凡庸だとはまったく思わない。

人々を不幸から救い出すためにやってこられた。

人間とは至高の神聖さを体現しうる存在あることを教えにこられた。
私はそのことを確信している。

イエスは偉大な魂だ。

途方もない魂だ。

素晴らしい愛の光なのである。

人類ははるか二千年前に至宝を受けた。

その輝きは二千年後の今に生きる私にまで届いている。

「ものみなこぞりて」

私は日本語のこの歌詞が好きだ。

もろびとこぞりて、祝えまつれ
久しく 待ちにし
主は 来ませり
主は 来ませり
主は 主は 来ませり

この世の闇路を照らし給う
妙なる光の
主は 来ませり
主は 来ませり
主は 主は 来ませり

メリークリスマス!

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