イエスはこう言われた。
「もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒(いまし)めなさい。」
だから私ははっきり言う。
「自然の力の伝授者は日本で最も無責任で、最も心が汚い人々」だと。
しかし、イエスはこうも言われた。
「そして悔い改めれば、赦しなさい。
かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、”悔い改めます。” と言って七度あなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」
私もこのようなメールをうけとったなら、素直に「はい」と言ってしまう。
昨日紹介した、モーツアルトのフィガロの結婚の場面は、映画アマデウスにも登場した。
(アマデウスとはもちろん、ウルフガング・アマデウス・モーツアルトのことだが、「神に愛されし者」との意味がある)
日本語訳
(男性) お許しください 私をどうかお許しください お許しください。
(女性) 私は素直なのです。だから「はい」と言います。
(ふたりで) それが私たちみんなが幸せになる道なのですから。
(みんなで) それが私たちみんなが幸せになる道なのですから。
「私は素直なのです。だから「はい」と言います。」という単純なフレーズなのにキリ・テ・カナワは涙をこぼしながら歌っている。
映画の中でこの場面を回想するサリエリ(モーツアルトの宿敵)は、「神があの小男(モーツアルト)を通じて、天上から世界に歌いかけていた」と表現した。
私が昨日紹介したメールを受け取った時、この曲が心の中に何度も何度も繰り返しよみがえってきた。
私もこの曲は神が天上から世界に歌いかけているものと感じている。
赦しとは神の御業だ。
イエスはこうも言われた。
「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。
しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。」
「あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、そのようになさるのです。」
「あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。
さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。与えなさい。そうすれば、自分も与えられるのです。」