量子論の生みの親である物理学者【マックス・プランク】ら「意識は物質よりも根源的で、物質は意識の派生物に過ぎない」「肉体は死にますが、精神的な量子場はなくなりません。そういう意味で、我々は不死身なのです」

こちらのコメントにカナメさんとおっしゃる方から、
「中には消滅どころか魂自体が無い人間もいるなんて見立てる人もいる。・・・そこら辺は榎本さんはどう思いますか?どうか榎本さんの感じた事をご教授お願いいたします。」という以下のようなご質問をいただきました。

なんで霊能力者始めスピリチュアリストによって
見立て方は勿論、感じ方がこれほどまで違うのでしょうか?
(中には消滅どころか魂自体が無い人間もいるなんて見立てる人もいらっしゃる位です)
・・・

宇宙や人間の「真実を探究する」ならば、最終的に誰もが同じ結論に達するはずです。

最近の物理学者は我々が従来「魂」と呼んできたような存在を認め始めています。

私は以下の量子論を生み出したマックス・プランランクらの主張に同意します。

物理学者も「意識は物質よりも根源的で、物質は意識の派生物に過ぎず、肉体は死にますが、精神的な量子場はなくらない」と考えている。

ついに臨死体験が科学の常識に!複数の物理学者「死んだら意識は宇宙に放出され、未知の世界に行く」

量子論の生みの親である物理学者のマックス・プランクは、「意識は物質よりも根源的で、物質は意識の派生物に過ぎない」と言っています。

英紙「Express」(2016年12月7日付)は、世界的に評価の高い複数の物理学者が「意識は肉体の死後も残り続ける」という驚きの発言をしていたと報じていますし、米アリゾナ大学のスチュアート・ハメロフ教授によると、「意識は量子レベルに貯蔵された単なる情報」である可能性が極めて高いと言っています。

世界最高レベルの量子物理学研究機関である、ドイツ「マックス・プランク研究所」の元所長ハンス・ペーター・デュル博士は

「我々が“今、ここ”と認識しているもの、つまりこの世界は物質的に理解されただけのものに過ぎません。物質世界の向こうには、無限の現実が横たわっているのです……肉体は死にますが、精神的な量子場はなくなりません。そういう意味で、我々は不死身なのです」と言っています。

この物理学者たちがいう「物質よりも根源的であり、肉体は死んでも決してなくならない精神的な量子場のことを、私は「魂」であると考えています。」

宇宙はビッグバンによって生じたことは現代科学の共通理解になっています。

私は宇宙を生じる前、ブッダの言うところの「空」にビッグバンを生じる原因者(意識体)があったと考えています。

人によってはその万物を生み出した意識体を「神」と呼んでいます。

宇宙はすべて、その空なる意識体に由来しています。

これが物理学者のいうところの、(物質宇宙も生み出した)「物質よりも根源的な精神的な量子場」ですね。

私は宇宙のすべては、「根源的な精神的な量子場」の派生物であり、この「精神的な量子場」に由来しないものは何もないと考えています。

この宇宙に存在するものは、すべてこの物理学者の言う「根源的な精神的な量子場」すなわち「神」と一体なのです。

その人が「人として存在している」限り、その原因である魂も存在している。すなわち、「魂のない人は存在しない」。

米アリゾナ大学のスチュアート・ハメロフ教授のいう、意識すなわち「量子レベルに貯蔵された情報」を私は魂であると考えています。

そういう意味で、どんな悪人であろうと、冷血無比な人間であろうと、「量子レベルに貯蔵された情報」をもたない人間はいません。

それはその人の肉体という、意識の派生物を生じている根源的なものです。

逆に言うと、意識(魂)という根源的なものがなければその派生物である肉体も存在し得ません。

ですから、その人が「人として存在している」限り、その原因である魂も存在している。

すなわち「魂のない人は存在しない。」のです。

また人間だけでなく、動物はもちろん、植物も愛情をかけるとよく育つことが知られています。

モノでさえ愛情を持って接すると、非常に長持ちすることが知られています。

日本人は「物を大切にする」とか、「食べ物を粗末にするとバチがあたる」など、

動物であろうと、植物であろうと、モノであろうと、「感受性」を持っていると捉えています。

事実、動物はもちろん、植物にもある種のセンサーを取り付けると、ハサミを持った怒った人が「切るぞ!」と思うと、急激な反応を示すことがわかっています。

「物質は意識の派生物に過ぎない」のですから、それらにも「ある種の意識」をもっていると考られます。そうしないと物質として存在できませんからね。

何しろその宇宙では意識が物質に先立つのです。

それが万物を結びつけています。

「肉体は死にますが、精神的な量子場はなくなりません」から、魂は永遠の存在であり、日本ではよく「神の分け御霊」などと言われるのです。

日本人が八百万の神々と言って万物に神を見るのも同じ視点だと思っています。

「いわゆる」心ない人、魂がない人とは、あまりにも唯物的な人

ただ、ある人があまりにも、唯物的思考になり過ぎてしまい、このように相互につながりあっているということが理解できず、自分さえよければ他人はどうなってもいいという自己本位になる人が確かにいます。

バレなければ何をしてもかまわない、強盗殺人しようが、やったもん勝ち。

死人に口なし。

そういう思考をもち、実行する人たちが残念ながら世の中には存在します。

そういう人の思考の中は、物質的なこと、すなわち、肉体やお金、権力、支配、暴力といったことで占められているのでしょう。

そういう人を、あいつは「心がない」とか「魂が腐ってる」などと「文学的に」表現するのではないでしょうか。

その人の中では「人を思いやる心」や「魂」はたしかに活性化していません。

まるで魂がない「かのよう」です。

しかし、この世に生命として存在している以上、「物質よりも根源的な精神的な量子場」は必ずあります。

その人はまさに魂などなく、血も涙もない、何の心も持ち合わせていないように「見えます」が、その人の思考の中で活性化していないかもしれませんが「量子レベルに貯蔵された情報」すなわち魂は万人に存在するというのが私の立場です。

それとそういう人達の意見を矛盾なく辻褄が合う様に自分なりに考えたんですが魂が無い人=魂年齢(レベル)がまだ幼い人でまだ動物っぽいところが残ってるから人によっては動物っぽく感じ人間に思えない=無い様に感じるのかな?と・・・

まさにその通りです。

人間に思えない=魂が無いように見える。(しかし究極のところではなくなってはいない)というのが私の立場です。

魂が消える=魂レベルがかなり上がって分霊(わけみたま)と言うものが出来る様になり自身の魂を無数に散らばせ産み出していくorかつてそうなった魂の1つが輪廻転生の中での学び&役目を終えてその魂の集まる霊団の元に行くつまり戻るor魂が別次元に行くって事なんじゃないのかなぁ?って思いますけど・・・

まずあまりにその人が唯物的であり、心も魂もないように見えることと、

魂レベルがかなり上がって、「その魂の集まる霊団の元に行くつまり戻る」ことによって、=「魂が消えること」は、まったく別の話です。

魂の成長の下端と上端の話ですね。

別次元は今ここにある

「別次元に行くって事なんじゃないのかなぁ?って思いますけど・・・」

物理学者は宇宙は多次元であると主張しています。

私は人間も「既に」多次元的な存在であると考えています。

あなたも私も、すべての人も「肉体をもつ存在」であるということは同意されると思います。

あなたも、私も多くの人も「心がある存在」であることも同意されるのではないでしょうか。

あなたも、多くの人が「魂がある存在」であることも同意されるかもしれません。

例えば大学教授の父と内科医の母を持つロバート・モンローは体外離脱をして、科学的側面と体験による裏付けを基とした体外離脱体験の研究をしました。

多くの人がモンロー研究所のヘミシンクと呼ばれる手法を学び、実際に体外離脱体験をしています。

ですから、私たちは、本来体外離脱できる存在なのですが、多くの人はその事実に気づいておらず、活性化していないため、その人の人生には存在していないようにみえるだけなのです。

例えば、私や「力の使い手」は日常多くの「遠隔浄化」をして過ごしています。

私にとっては空間を越えて瞬時に遠くの人を癒すことは、ごく普通のありふれたことです。

これも物質次元とは違う、次元の力のはたらでですが、私にとっては普通の出来事なのです。

実は、ロバート・モンローや、遠隔浄化をする私たちのように、すでに物質を超えた「多次元」が通常の日常生活になっている人は本当に大勢います。

「別次元」というのは「どこかへ行く」ようなものではなくて、「今ここ」に存在しているんですよ。

意識を向けないものはその人の人生に存在しない

ただ、それに意識を向けない人は活性化していないだけです。

それは「心や思いやり」に意識を向けない人は「心ない」人にみえるのと同じです。

私がよく使う例えですが、

3人が同じ時に同じ商店街を同じように歩いても、3人とも違うものを見るんですよ。

ひとり人は「ああ、おいしそうなラーメン屋がありました。」と言います。

もうひとり人は「素敵なブラウスを売ってるブティックがありました。」と言います。

もうひとり人は「とてもいいアルバイトの求人がありました。」と言います。

同じ時に同じ商店街を同じように歩いても3人とも違う現実を認識するのです。

その人が意識を向けたものだけを認識し、それだけがその人の人生に感知されるのです。

ラーメン屋を探している人には、同じ商店街にあるブラウスやバイト求人は見えないのですよ。

だからと言って、ブラウスやバイトの求人がなかったわけではありません。

それらは存在しているのです。

しかし、意識を向けない人にとっては存在しないのです。

多次元も意識を向けた人にだけ存在する

多次元も同じです。

「今ここ」で意識を向けない人は、多次元は存在しません。

その人は物質的な存在であり、死すべき肉体的な存在です。

それはその人が、物質的なもの肉体的な「次元」しか意識を向けていないからです。

だからと言って、心とか、魂といった「次元」が存在しないわけではないのです。

誰もが今ここに持っているのです。

それに意識を向けていない人は、それを認識しませんから、その人の人生にはそれが活性化せず、存在しないように「見える」だけです。

だから、ある人が「心がない」人に見えたり、「魂がない」人に見えたりすることは実際あります。

そして、実際にその人は、「心がない」人生を歩むし、「魂がない」人生を歩むことでしょう。

しかし、それはその人が意識を向けなかったから、その人の人生で「心」や「魂」が活性化しなかっただけなのですよ。

けしてそれが「ない」わけではありません。

みんな「心」や「魂」を持っています。

それが私の立場です。

ただ、まあ実際「心がない」「魂がない」ように見える人はいますから、嫌な思いをしないように気をつけた方がいいとは思いますけどね(笑)

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