ご質問をいただきました。
本当の自分・・・、ハートの喜びに従って、
自分がワクワクすること、 やりたいことだけをやることでしょうか?(2017年6月26日 6:35)
そうです。
人を犠牲にしてはいけません。
しかし、人の犠牲になってもいけません。
人をあてにしてはいけません。
人にあてにされてもいけません。
「常に文句が出る」からです。
人にあれこれ求めるよりも、自分のことは自分で満たした方がずっとうまくいくのです。
その人が本当は何を求め、何に喜びを感じるかはその人にしかわからないからです。
人をあてにし、自分を満たしてもらおうとすることは、二人羽織と同じですよ。
自分がどうしたいかは、自分にしかわからないのに、わからない相手に自分を満たしてくれ!と言っているのです。
だから目にお蕎麦を持ってくるのですよ。(笑)
わからないですから。
そうすると「あなたは思いやりがない!私の気持ちがわからない!」などとお互いに言いあっている。
初めから自分で箸を持って食べればいいんですよ(笑)
この二人羽織という日本の古典芸能は、人に求め、人をあてにして生きることの愚かさを端的に理解させてくれています。
世の中の不幸の大半がここに原因があります。
つまり、自分で自分の箸をもってご飯を食べようとしていないことです。
お互いに人にあれこれ求めて満たしてもらおうとしているんですよ。
そしてお互いに、自分はいかに正しいか、あなたはいかに「思いやりがない!か、人の気持ちがわからない!」か言いあっている。
二人羽織をやっているんですよ!(笑)
それで文句を言い合っている。
もっとうまくお蕎麦を食べさせろと!
それははじめからうまくいかないんですよ!
世の中の大半の不幸の原因がこれです。
すなわち、二人羽織ではうまくいかないのだなという、人生の基本的理解に欠けているのですよ。
不可能なことを求めているのです。
人をあてにしてもうまくいきません。
人にあてにされても「文句を言われる人生」が永遠に続くだけです。
この要点を早く見抜かなくちゃいけない。
・人をあてにしない。
・人にあてにされない。
・人を犠牲にしない。
・人の犠牲にならない。
・お互いに自分の箸は自分で持って食べる。
ここまでが「不幸を生み出さない」生き方の基本です。
しかもですよ!
自分が何に喜びを感じるかわからない、本当の自分がわからないという人もたくさんいます。
自分が何が食べたいかもわからないのに、人に自分を幸せにするよう求め、
それでは私は幸せじゃない「あなたは思いやりがない。優しくない。」と文句を言ってる。(笑)
そういう人の前からさっさと立ち去ることです。
そして、自分は自分の内面を見つめ、自分は今ほんとうは何が食べたいのか知り、自分で箸を持って食べる。
これが「不幸を生み出さない」生き方の基本です。
要するに二人羽織をやめ、二人羽織を続けたがっている人の前から立ち去ることです。
二人羽織では幸せになれないことははっきりしているからです。
もう一度いいますが、世の中の大半の不幸の理由はこれです。
そう簡単に立ち去れない、ということであれば一生二人羽織を続ければいいです。
そうすると来世では「もう二人羽織人生はやらないぞ!」と思うことでしょう。
どうせ永遠の命なんだから、かまうことはありません(笑)
いつでも自分が決めるタイミングでそうできます。
いつやめるか自分で決めることができます。
自分しか決めることはできません。
今生、二人羽織を続ける人生を選んでも何も問題ありません。
それもまた一つの選択です。
きっとファニーな人生になることでしょう(笑)
さて、二人羽織はやめました。
「不幸を生み出さない」生き方
・人をあてにしない。
・人にあてにされない。
・人を犠牲にしない。
・人の犠牲にならない。
・お互いに自分の箸は自分で持って食べる。
これを自分の人生で確立したとします。
そして、自分のハートの喜びに従って、やりたいことだけをしている人生になりました。
誰も犠牲にせず、誰もあてにせず、仕事は自分のハートの喜びであり、子育ては自分のハートの喜びであり、生活は自分のハートの喜びです。
実はそういう状況を生み出すことが「達成」なんですよ。
それが幸せな喜びあふれる人生を生きるということです。
・私にとって、ハートの喜びである仕事とは何なのか。
・私にとって、ハートの喜びである子育てとは何なのか。
・私にとって、ハートの喜びである生活とは何なのか。
・私にとって、ハートの喜びである人生とは何なのか。
自分の内面を見つめ、それを見つけ出し、それを自分の人生で実現し、経験すること。
それこそが「達成」です。
人生ほかに何かすべきことがありますか?
これ以外にすべきことは何もないんです。
そして「自分の喜びを分かち合える人」と一緒に過ごすのです。
なのに多くの人が二人羽織をやり続けて、人生がうまくいかない、面白くない、誰も私の気持ちをわかってくれないと文句を言いあっている。あたり前ですって!(笑)
・私にとって、ハートの喜びである仕事とは何なのか。
・私にとって、ハートの喜びである子育てとは何なのか。
・私にとって、ハートの喜びである生活とは何なのか。
・私にとって、ハートの喜びである人生とは何なのか。
自分の内面を見つめ、それを見つけ出し、それを自分の人生で実現し、経験する。
そうすると、その仕事楽しそうねとか、それって私も好きよとか、喜びを分かちあいたい人が必ずいます。
いっぱいいますよ!
だってみんな楽しいこと好きだから。
じゃあ、一緒にやりましょうってなります。
持ち寄るものはお互いの「喜び」だけです。
もう、
・人をあてにしない。
・人にあてにされない。
・人を犠牲にしない。
・人の犠牲にならない。
・お互いに自分の箸は自分で持って食べる。
そういう生き方がお互いにできていますからね。
別に相手に求めるものは何もないのです。
ただ、自分の喜びを分かち合えたらうれしい。
楽しいね!
それだけですよ。
「みんなちがって みんないい」がお互いにわかっているから相手に何も注文はないのです。
あなたはあなたのままでいればいいとお互いに思っています。
むしろその「あなたが見つけた自分の輝き、喜び」をわかちあいたいと思っています。
お互いに「あなたはあなたでいて!」と思っているのです。
いっときますけどね。
自分にないものは分かち合えませんよ!
喜びの人生を歩みたければ「まず自分の中に」喜びを見つけなくちゃね。
そして、持ち寄るものは「喜び」だけです。
なぜって、「喜び」をわかちあうのは楽しいからですよ!
ほかに理由などありません。
そして、自分の箸は自分でもって食べている人、自分のハートの喜びをわかちあいたいと思っている人と分かち合いたいことを、分かちあうことです。
これが喜びあふれる人生を生きる方法です。
それ以外の生き方は・・・それ以外のものを分かち合う人生です(笑)