【認知症】すべての人の人生は途方もなく貴重で素晴らしいものなのです

 今朝メールをいただきました。(2017年3月15日 5:32)

> 昨日は、ご連絡ありがとうございます。
> お気遣いありがとうございます。ネットで、今までの父の症状をかんがみてみると、アルツハイマー型認知症の初期の症状に、あてはまるのではないかと、思いました。浄化に、病名が必要かわかりませんので、必要なければ、申し訳ありません。

 いいえ~

 何でも参考になる情報はあった方がいいですよ。

 その観点から浄化しています。

 認知症は、その方が世の中をもう魅力的な世界に感じなくなったとき、そのつらさから逃げるためになることがあります。

 例えば対症療法で、睡眠導入剤、精神安定剤で、ごまかすこともあります。そのような薬は神経をブロックし、「にぶく」「感じなく」させるものですから、長年の服用で、脳神経もブロックされて認知症になる場合もあるのです。

 いずれにしても、薬などでごまかさず、本来地球に生きるということはエキサイティングでとてもわくわくして、幸せなものなのだという本来の生き方を取り戻すのがすべきことです。

 そういう幸せでワクワクエキサイティングな生き方をしていると、神経をブロックして、「にぶく」「感じなく」するなどあり得ません!

美しい花は咲き、大自然は美しく、恋愛は素晴らしいわけです。

 そのきらめく一瞬一瞬を目に焼き付けようと思うんですね。

 そして、それらはすべての人のものなのです。

 すべてひとがそのような人生を生きるに値し、実際生きることができます。

 それには、ある種の「幸せをはばむ思い込み」を手放すだけでいいのです。

 人間は、本来そのように生きるように神様によって設計されているからです

 私たちは何も学ぶ必要はないのです。

 本来素晴らしい存在ですから!

 ただ若干の本来の自分でない」「幸せをはばむ思い込み」を手放すだけでいいのです。

ただ、本来の自分を忘れさせている「幸せをはばむ思い込み」を手放すだけで、本来の自分が輝き出すのです。

 そしていつでも輝きだす本来の自分は一度も失われたことはないのです。

 ただ少々の本来の自分とは何の関係もないくだらない考えで曇っているだけです。

> また眠れず、体が重く感じます。
> お気遣いありがとうございます。

 そういう眠れない考えはすべて手放すことです。
その考えをいくら考えても解決につながらないからです。

 それに気づくことです。

 そうすると考えるのがばかばかしくなりますから!

 もうそろそろいくら考えても解決にならないことに気づいてもいいころですよ!(笑)

 考えてもどうにもならないときは、どうするのか。

 散歩して、おいしいものでも食べて、運動して、寝るのです!(笑)

 考えてもしかたがないから、何かおいしいものでも食べに行こう!

 太るといやだから、運動しよう!

 運動していい汗かいたらぐっすり寝よう!

 それでいいんです(笑)

 それでいいんですよ!

ほんとうに。

 やってみてください。

 ただ考えても始まらない!ということに気づけばいいのです(笑)

 もうそろそろそれに気づいてもいいころですよ!(笑)

 そして考えてもしかたがないから恋でもしよう!

 散歩、健康的でおいしいものを食べる、運動、そして恋!

 そこまでできれば最高です。

 これらは何も「考えて」することではないですよ!

 散歩したと考えますか?

 おいしいものを食べたと考えますか?

 運動したと考えますか?

 恋したと考えますか?

 それらはすべて「考える」ことではありません。

 いますぐ散歩にGO!

> 私の症状も、父と同じような気がして、不安になってしまいました。私と、父は、人間がにています。

 それは本来そのようになっています。

 生命は継続した進化ですからね。

 ちょうど次の自分の進化にちょうどいい環境に自ら望んで生まれます。

 ご自分に似た親を持つのはよくあることです。

 それは、「自分を知るため」なんですよ。

 自分というのは、案外わからないものです。

 そこで、似たひとを人生に引き寄せます。

 そうすると、外に自分と同じものを見ますから、「自分についての理解」を深めることができるのです。

 お父さまの人生を観察して、このように考え、言い、行動していたら、このような結果になるのだな、ということを知ることができるのです。

 そして、親ですから何とか助けたいと思う。

 それが素晴らしいことなんですよ。

 何をどう考え、言い、行動したからこうなったのか、

 何をどう考え、言い、行動したら違う結果になるのか、子供というのは親を生涯観察し、知り得る立場にあるからです。

 そして、何とか助けたいと思い、気づきを深め、アドバイスをしてあげることができます。

 「こう考えるといいよ!」「こうするといいよ!」

 もしかしたら、それは親はもう今生に適応できないかもしれません。
それはすべてのその人の自由意思によります。

 もちろん、生涯を通じて変化し成長を望む人にとっては素晴らしいアドバイスになります。

 しかし、そうでなくても、親に「そうかもしれんな」という気持ちをもってもらうだけでも充分なのです。
そこに真実が含まれていたら、親の心に響きます。

 それは忘れえないものになります。

 もしかしたら「何を生意気な!」と言うかもしれません。

 しかし、そこに真実があれば、そのことを忘れないのです。

 そして、その胸に刻まれた思いと共に、また来世を生きます。

 それが永遠の進化であり成長なのです。

 ですから、その親を何とか助けたいという真摯な思いが無駄になることは決してないのです。

 そして何よりそのアドバイスは、

 親にしていると同時に、親に似たところがある自分自身にしているのです。

 自分に似た親を生涯にわたってその考え、言葉、行動を観察し、結果を見てきた、その親を何とか助けたいと思う気づきと真摯なアドバイス、

 それは何より、自分自身に対する最善の気づきとアドバイスだったのです。

 実はすべての人の人生は、「その人の成長のために」最適になるように設計されているのです。

 すべての人の人生は途方もなく貴重で素晴らしいものなのです。

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