子供さんが幼稚園で嫌なことを言われたとお母さまからご相談です。
「学校や会社に行けなくなる人は、何か言われたと気にして行けなくなります。
何か悪口を言う人がいても、その人の問題であって、こちらの問題ではないのです。
こちらは何事もないように日常生活を送らないと、そんなことのために人生が台無しになるんですよ。」とお答えしました。
そして以下の返事をいただきました。
少々のことは気にせずに、受け流す。
私自身も、ずっとそうなりたくて、でもなかなかなれなくて
未だに人に言われたことや些細なことも気にしすぎてしまいます。
自分がそうだからと、子供までそうなるのは申し訳ない気持ちになります。
わりと似ているところが多く、旦那には少し心配されています。
はたから見て、私は生きにくいように感じるそうです。
確かにそんな時期もありました。今も、なんで私こうなんやろう?
と思うことは多々あります。何か悪口を言う人がいても、その人の問題であって、こちらの問題ではない。
頭で分かっているはずなのに、何故気にしてしまうのでしょう。。。自分の人生を力づよく切り開いていけるような子に育ってほしいです
どんなことを言われてもへっちゃらという子に、
私がまずなりたいです!!私がそうなれば、子供も影響受けてそのようになっていきますよね!?
このご質問には幸せになる唯一の方法が隠れています。
幸せになりたい人はこれをマスターする必要があります。
私も真剣に書きますので、ぜひ実践してください。
なぜ私が真剣に答えるのか?
真剣に求められたからですよ。
世の中はすべて実践が大切です。
実践とは、実際にやって自らの経験にすることです。
実際に幸せになっていかなければ、あらゆる知識は無意味です。
今幸せでない人は、今までやってきたことはいったん捨ててください。
役に立っていないからです。
その考え、その開運グッズ、その幸せになれるという本です!(笑)
何かを変える時、いつも始まりは役に立っていないものを捨てることから始まります。
「新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。
そんなことをすれば、革袋は破れ、
ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。
新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。
そうすれば、両方とも長もちする。」イエス(マタイ福音書第9章17節)
今まで色々やって幸せになれなかった人は古いやり方をきれいに捨て、これをまずやってみてください。
やってみることです。
実際に他の方法では幸せになることはできないのです。
たとえ、幸せと感じる瞬間があっても一時的なものです。
そして、長く続く幸せを実現している人は、意識的、無意識的を問わず全員これができている人です。
今から具体的に説明していきます。
ある3人の人が、同じ日に同じ時間帯に同じ商店街を歩きました。
あとで、それぞれにあの商店街には何がありましたか?と聞きました。
Aさんは、
「あそこの商店街にはおいしそうなラーメン屋さんとカレー屋さんがありました。」と答えました。Aさんはお腹が空いていたからです。
Bさんは、
「あそこの商店街には、おしゃれなジャケットを売っている店と、素敵なワンピースのある店がありました。」と答えました。Bさんは服を探していたからです。
Cさんは、
「あそこの商店街には、時給900円の居酒屋と、時給860円のカフェがありました。」と答えました。Cさんはアルバイトを探していたからです。
人生、地球という場所はこの商店街と同じです。
Aさんの言うこと、Bさんの言うこと、Cさんの言うことはすべて真実です。
あなたがもし意地悪な人がいたというのならそれは、真実なんですよ。
あなたがそれを見たからです。
そしてAさんには、ラーメン屋さんとカレー屋さんの記憶しかないのです。その店以外はAさんにとっては存在しないのです。
Bさんにとっては洋服屋さんの記憶しかありません。
Cさんにとっては、求人している店の記憶しかありません。他のことは記憶にありません。存在しないのです。
ある人にとって真実であることが、他の人にとっては存在しないのです。
ある人にとって真実であることは、他の人にとって真実ではないのです。
人生とはそのようなになっています。
これが私たちの「経験の現実」なのです。
お腹が空いているAさんには、食べ物屋しか見えないし、
洋服が欲しいBさんには洋服店しか見えないし、
アルバイトを探しているCさんには、求人情報しか見えないのです。
その人にとって、現実がそのように見えることは商店街のせいでしょうか。
その人に原因があるのです。
その人が幸せでないのは地球のせいでしょうか。
その人に原因があるのです。
なぜなら、その人は自分の内にあるものしか気づかないからです。
それが人生の原理なのです。
ではなぜ「人に言われたことや些細なことも気にしすぎてしまう」のでしょうか。
それは自分が自分自身のことを認めてあげてないからです。
・自分はたいしたことない。
・自分はつまらない人間だ。
・自分は愛されない。
・自分はかわいそうな人間だ。
・自分は弱い人間だ。
・・・・
自分の中にそういう思いがあるから、地球という商店街を歩きながら、そういうことが気になるのです。
それは「自分が自分をそう思っているから」ですよ。
自分の内面にその理由があるのです。
ですから、あの商店街はつまらない、あの人はひどい人だといくら言っても決して解決しないのです。
お腹の空いている人はどの商店街に行っても、飲食店しか目に入らないのです。
自分を愛していない人は、どこに行っても愛されていない自分を見つけるのです。
自己卑下する人は、人生のあらゆる段階で小学校で、中学で、高校で、社会に出て、結婚生活で、あらゆる場面で、「人に言われたことや些細なことも気にしすぎてしまう」のです。
それは自分がお腹が減っているからですよ!(笑)
ですから、こんな意地悪な人がいる、あんな意地悪な人がいると、人生のどの段階でもあらゆる人を批判しても何ら解決しないのです。
解決しなかったでしょう!
それは自分がお腹が減っているのが原因だからですよ(笑)
だからその店しか見えないのです。
しかし、そこにすべての人が幸せになれる鍵があります。
もし、私の不幸が意地悪なこの人のせいなら、あの人のせいなら、自分の身近にいるその人のせいなら、政治家のせいなら、あの誰かのせいなら・・・
あなたは決して幸せになれないのです。
なぜなら、それらの人は変えられないからです。
世の中に意地悪な人がいなくならなければ幸せになれないのなら、あなたが幸せになのは極めて難しいのです。
なぜなら、決してそんな人はいなくならないからですよ!(笑)
しかし、それらの人は地球という商店街の中で、あなたが自分の内面にあるものに気づかせてくれただけなのです。
そうです!「あなたがお腹が空いていただけなのですよ!」
それだけです。
それだけだからこそ、すべての人が幸せになれるのです。
お腹いっぱい食べたらいいのですよ!
そうするともう同じ商店街を歩いても、飲食店に気づかなくなるのです。
「もう見るのもイヤ」なのです。
お腹いっぱいだからですよ。
その商店街には突然、他の店もあったことに気づくのです。
その店ははじめからあったのですよ!
ただあなたには気づけなかっただけです。
人生も同じです。
幸せは実ははじめからあるのですよ!
神様はすべてを用意してくださっています。
ただ「お腹が減っていて」他の店が目に入らなかっただけなのです。
さて、それではいまから幸せになる方法の核心部分を説明します。
「どんなことを言われてもへっちゃらという子に、
私がまずなりたいです!!
私がそうなれば、子供も影響受けてそのようになっていきますよね!?」
その通りです。
子供は親の影響を受けます。
親が自分自身を自己卑下していると、残念ながら子供にも移りがちです。
子供には親しか見本がありませんからね。
そして条件付の愛が子供を自己卑下に導きます。
いい成績をとったら「○○ちゃんいい子ね~」
おとなしくしていたら「○○ちゃんいい子ね~」
親の言うことを聞いたら「○○ちゃんいい子ね~」
・・・
本来のその子はどうでもいいのです。
ある条件を満たしたときだけ「いい子」なのです。
それを何百回、何千回、何万回と繰り返しているうちに、
自分は本来ダメな子だけど、親の評価、学校の評価、誰かの評価、誰かに認められたら「私はいい子」という条件付けができあがります。
今、肝心なポイントに気づきましたか!
もうすでに「自分は本来ダメな子」と自分のことを思っているのです。
見事な自己卑下が完成しているのです。
そして、学校の成績や誰かの評価で高い評価を勝ち得ていく人は一部です。
子供の頃からそういう刷り込みをされ、高校を卒業するころには、その外部の高い評価を勝ち得る人は一部なのです。
「勉強ができる子はいい子」という刷り込みのある子供にとって、外部の高い評価を得ることができなかった子、外部の期待に応えることができなかった子はみんな「つまらないダメな子」なんですよ。
ですから、多くの人が自分を自己卑下していきます。
つまらない人間だと自分で自分を思っているのです。
その「自分の内面にある自分の自分自身に対する低い評価」を商店街の中で見つけていくんですよ。
それは本人以外にはとめられません。
そしてその商店街に「ラーメン屋やカレー屋」があるのは真実なんですよ。
その人はお腹が空いているからです。
ただ人は自分の内にある「自分の真実」を商店街に見るだけなのです。
さて、
「自分の人生を力づよく切り開いていけるような子に育ってほしいです
どんなことを言われてもへっちゃらという子」に。
ですよね。
そのために親にできることは、
子供を無条件に愛することなんですよ。
勉強ができようができまいが、運動ができようができまいが、いい子であろうがなかろうが・・・
常に無条件の愛を感じながら育てることなんです。
そうすると勉強はできなかったけど「私はいいんだ。愛されているんだ。私は大丈夫なんだ。」
かけっこは早くなかったけど「私はいいんだ。愛されているんだ。私は大丈夫なんだ。」
時々いたずらしちゃうけど「私はいいんだ。愛されているんだ。私は大丈夫なんだ。」
・・・・
その無条件に愛されているフィーリングの中で、何があっても愛されている、何があってもへちゃらという、絶対的な自己肯定感をやしなっていくのです。
ですから親が子供に無条件に深く深く愛のフィーリングを感じられるようにしてあげたらいいんですよ。
親の愛は絶対であるべきです。
条件をつけてはいけません。
そうすると、学校に行ってもその深い自己肯定感のフィーリングは失われることはないのです。誰かに何を言われてもへっちゃらなんですよ。
そして自分に対して深い自己肯定感のフィーリングを持っている人は決して誰かの悪口を言ったりいじめたりしないものです。そういう誰かを否定するフィーリングが自分の内にまったくないからですよ。ですから、人をいじめることもありません、ほとんど悪口も言われません。
その子の中には人を否定するフィーリングがないので、商店街を歩いても、それが見えないのですよ。
その子の辞書には「人を否定する」という文字はないのです。その子には思いもよらないことなのです。
彼は「人を否定する」ということを知らないのです。
ですから、彼の人生にはそれが起こらないのです。
その子の内面には「自己否定」がないからです。
そしてもし、たまたまそういう人にあって何かを言われても、何を言われてもへっちゃらなんですよ。
それはその人の問題であって、自分の問題ではないということを深く知っているからです。
何でそんなことを言うのかぁ きっと心の中に暗いものがあるんだなぁ かわいそうだなぁとしか、チャンスがあったら仲良くしてあげようとしか思えないのです。
そして気にしないので、まったく影響を受けません。
世の中のことで、自分に影響を与えることは「すべて自分が気にしていること」です。
自分の中にあることだけが気になるのです。
自分の中にあることだけが見えるのです。
それはただ、自分がお腹が減っているだけなのです。
幼少から親から無条件の愛を受けられなかった子は、絶対的な自己肯定感を育めなかった人は、今日から自分を無条件に愛すればいいのです。
もう大人なのだから、自分で自分のお腹をいっぱいにするのですよ。
それだけです。
実に簡単なことです。
最初はちょっと慣れないかもしれません。
何しろ今までめいっぱい自己卑下してきましたからね(笑)
しかしただ単に慣れの問題です。
自分を無条件に愛するとは、頭で考えることではないです。
「私は自分を愛しています」と何度言ってもダメですよ(笑)
アファメーションですね。
あなたは理想のリストを作り、肯定的な文を読んで自分に読み聞かせたことがあるかもしれません。
よくある成功哲学ですね。
そのこと自体は何も悪いことはありません。
素晴らしいことです。
しかし、あなたの理想は現実化しなかったのではないでしょうか。
その口で唱える肯定的な文章の数々の背景に「自分はダメだ。自分は愛されない。自分は値しない。」という自己卑下のトーンが継続しているからです。それが理想が実現しない真の原因です。
その本音のトーンがすべての肯定文を打ち消すのです。
なぜなら、「頭で考えた言葉より自分が感じているフィーリングがまさる」からです。口で、上っ面で何を言っても本音がまさるのです。
「自分はダメだ。自分は愛されない。自分は値しない。」というトーンが、すべての素晴らしいものを見えなくしているのです。
商店街にはあらゆる店がありますが、決してあなたには見えないのです。幸せに気づけないのです。
それは「自分はダメだ。自分は愛されない。自分は値しない。」基本トーンがあるからです。
あなたは空腹なのです。
自分を愛するとはどういうことでしょうか。
あなたは自分の子供を愛していますね。
あなたは自分の子供を無条件に愛するでしょうか。
今すぐ子供さんを抱きしめて「大好きだよ」と言ってあげてください。
その時子供さんはどう感じるでしょうか。
にっこりして胸に暖かいものが広がるのではないでしょうか。
その無条件ににっこりして胸に暖かなものを感じるフィーリング。
それが愛です。
今この子が感じるているフィーリングですよ。
あなたは自分に虚しさを感じてきました。
どこでどう間違ったか「自分はダメだ。自分は愛されない。自分は値しない。」というトーンを自分の内面に生み出してしまいました。
しかし、それは今この瞬間に落とすことができます。
内面をどうするかはすべてその人に自由意志だけにかかっているからです。
無条件に自分を愛するとは、今この瞬間に
私ってよかったんだと無条件ににっこりして胸に暖かなフィーリングを感じることです。
これですよ!
あなたってよかったんですよ!
成績はよくなかったかもしれませんが、
かけっこは早くなかったかもしれませんが、
タレントさんのようではなかったかもしれませんが
・・・
あなたはよかったのです。
あなたは愛されるに値するんですよ。
実際愛されてきました。
なぜならあなたは生きているからです。
他に理由などありません。
神があなたを深く愛しているから今生きているのですよ。
他に理由などありません。
あなたは無条件に愛されるに値します。
実際に愛されてきました。
神はあなたがどんな人であろうと、無条件に愛してきたのです。
だから現にあなたは生きているのです。
他に理由などないのです。
「どんなことを言われてもへっちゃらという子に、
私がまずなりたいです!!」
あなたはすでにどんなことを言われてもへっちゃらな子なのです。
どんなことを言われても今まで生きてるじゃないですか!
あなたは深く愛されてきました。
あなたが愛されなかったことなど一度もありませんでした。
ただ自分で気づけなかっただけなのです。
その無条件に「私ってよかったんだ」という胸の中に暖かいフィーリングを感じるとき、
どんな子であっても、何をしても、何ができなくても、何をしなくても、愛され続けてきたことを知るとき、
あなたは自分を愛しているのです。
そして、その胸の暖かなフィーリングを保ち続けるとき、あなたは商店街の中に別の店を発見し始めるでしょう。
その店は、「あなたの胸の暖かなフィーリング」にそったものになります。
なぜなら、あなたの内にそれがあるからですよ。もう空腹はないからです。
だからあなたは商店街のという人生の中に「あなたの胸の暖かなフィーリング」にあう店を見つけるのです。
それしか見えないのです。
それが幸せになる幸せになる唯一の方法です。
あなたはすでにこれまでもずっと無条件に愛されてきたということを自分に許しますか。