お金の本質とは何ですか?

ご質問をいただきました。

「お金の本質とは何ですか?」

お金の本質は引換券

お金の本質は引換券です。

1744年生まれのマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドは5人の子供をもうけ、それぞれフランクフルト(長男アムシェル)、ウィーン(次男ザロモン)、ロンドン(三男ネイサン)、ナポリ(四男カール)、パリ(男ジェームス)の5か所で金の預かり業をはじめます。

それまでは貿易や旅をする時は重い金を運ばなければならなかったのですが、例えばフランクフルトに住んでいる人は、フランクフルトロスチャイルド商会に行き、金を預けて預かり証をもらいます。引換券ですね。そしてパリまで旅して、パリロスチャイルド商会で預かり証を渡して金を受け取り、パリでの費用に使います。

フランクフルトからパリまでの長い道中、重い金を運ばなくていいし、金をもっていないので盗賊などに襲われても盗られる心配がありません。

たちまちこの便利なサービスは大人気となりました。

やがて人々はいちいち金を受け取って支払うのではなくて、相手に引換券を渡すことで、支払いを済ませるようになりました。その引換券を持っていけばすぐに金が受け取れるので何も問題なかったのです。

人々は「引換券」で買い物をするようになり、わざわざ重い金をロスチャイルド商会に引き換えに行く人はいなくなりました。

ロスチャイルド家は、人々が金をどんどん預けて紙切れを受け取り、ほとんど金を取りに来ないことに気づきました。引換券を紛失することもあり、何もしなくてもどんどん金が集めって来るのです。

やがて、金の預かり証として紙幣を渡すのではなく、ただ単に自分が刷って紙幣を使っても何も問題がないことに気づきました!(笑)

それが現在のお金の起こりです。

ちなみに1971年のニクソンショックまでお札(米ドル)は金の引換券でした。

我に一国の通貨の発行権と管理権を与えよ。

初代マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの言葉に「我に一国の通貨の発行権と管理権を与えよ。そうすれば、誰が法律を作ろうと、そんなことはどうでも良い。」というのがあります。

通貨の発行権と管理権を持っていれば金は自動的に自分の金庫に積みあがっていき、自分はただ単に紙幣を刷って使えるということを知ったからです。

日本銀行も、FRBも、ヨーロッパ中央銀行も私企業

500玉などのコイン、貨幣の発行は国です。財務省造幣局です。
しかしお札はすべて「日本銀行券」です。民間企業、営利企業が発行しているのです。日本銀行は株式市場に上場している株式会社です。それはアメリカもヨーロッパも他の国々も同じです。

「通貨発行権と管理権」以上においしい商売はないので、民間企業が独占しているのですね。

紙幣は国の借金

貨幣(コイン)は国の発行なので返す必要はありません。

しかし紙幣は民間企業の発行です。

国は例えば100兆円の紙幣を流通させたいと思えば、日銀に100兆円分の借金証書(国債)を発行して100兆円分の紙幣を受け取ります。そして財政支出して国内に紙幣を流通させます。

ところが100兆円は借金(国債)ですから利息をつけて民間企業(日銀)に返さなければいけません。

例えば年利3%なら103兆円返す必要があります。

国の借金は永遠に膨れ上がり続け絶対に返せない

1年後国債の返済日がやってきました。

ところが日本中の紙幣すべてをかき集めても100兆円しかありません。

100兆円しか紙幣を発行していないのですから。

ところが借金は利息を含めて103兆円になっているので、どんなにがんばっても返せないのです。

しかたなく国は「申し訳ありません。お金が用意できませんでした。必ず返しますからまた貸してもらえないでしょうか?」と言うしかないのです。

それがたまりにたまって今日本国の借金は1000兆円を超えました。

年利3%なら利息は毎年30兆円です。

日本の税収は年間約50兆円です。

どれだけ所得税、消費税、年金、健康保険・・・などを値上げしても追いつきませんね。

元々借金は永遠に増える仕組みになっているので、永遠に税金や保険料などを上げするしかないのです。

必ず誰かが破産する制度

このように100兆円しかお金がないところに借金は103兆円返さなければいけないので、今の経済体制では、常にお金に追いまくられ、そして誰かが破産するようになっているのです。

今の社会は10個しか椅子がないのに11人が椅子取りゲームをしているのと同じです。

椅子取りゲームをやったことがありますか?

いつ音楽が止むかいつも神経を張り巡らし、ぐるぐる同じところを回り続け、いざとなったら近くの人を押しのけて自分が座らなければ生き残ることはできません。

もともとすべての借金を返せるだけのお金が流通していないからです。

それがお金の本質が生み出す今の社会構造です。

お金を集めることに上達すれば幸せか?

ある金持ちのユダヤ人の逸話があります。

彼は生涯に渡って財産を蓄えることに熟達し、膨大な金銀財宝を集めることに成功しました。

しかし死は誰にも平等にやってきます。

死の床に臥せっている時に稼ぎ仲間がやってきて、とても有利な条件を提示して彼の金銀財宝をすべて預かりました。そして大事な預かり証だから肌身離さずもっておくようにアドバイスし、彼はそうしました。そして死後その預かり証は彼と一緒に火葬されました(笑)

お金の本質は引換券(預かり証)

私たちはこの金持ちユダヤ人を笑えるでしょうか。

お金の本質はこのユダヤ人が受け取った「預かり証」とまったく同じです。

要するにグリコのオマケの引換券を生涯をかけてコレクションし、「俺は引換券をいっぱいもってる!」と思って死ぬのと同じです。

お金の本質は引換券なのですからね(笑)

引換券を集めるのも愚かですが、もしかしたらオマケを集めるのも愚かかもしれませんね(笑)

あなたより立派なオマケを持っている人は必ずいますから。

「僕はこんなすごいオマケをもってるぞ!」という競争にはキリがないのです。

そこに価値観がある限り、人は心の底から満たされて死ぬということはできません。

死を間近に控えて「もっとお金を稼げばよかった」と後悔する人はいませんからね。

人は、

「自分自身に忠実に生きれば良かった」

 「あんなに一生懸命働かなくても良かった」

 「もっと自分の気持ちを表す勇気を持てば良かった」

「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」

と後悔して死んでいきます。

そこではお金は、ほとんど問題になっていませんね。

どうしたら私たちはこの椅子取りゲームの社会で賢明に生きていることができるのでしょうか。

それはまたページを改めて書きます。

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