Aさまよりメールをいただきました。
> 榎本先生 先日はお電話の相談をありがとうございました。
> 自己卑下についても、そういう思い込みをいつまでも持つ必要はないとだんだん思えるようになってきています。
もつ必要がないばかりか、非常に害があります。
さっさと手放した方がいいですよ。
「みんなちがってみんないい」からです。
そもそも劣等感、(優越感)というのは「人と比べる」ことから生じています。
「人と比べる」こと自体がそもそも間違です。
それはユリとヒマワリの優劣を決めるようなものだからです。
「私はなぜヒマワリより背が低いんだろう」とかですね(笑)
そんなことを思っていたらユリは病気になっちゃいますよ!(笑)
「人と比べる」とはそういうことです。
Kちゃん Aけみ ちいさいTちゃんとビリ争い、姉も兄も、Yちゃんが・・・
「人と比べる」ことがそもそも間違いなのです。
人は比べられないからです。
> ダメ意識がなかったら、違う人生を歩んでいたと思います。
その通りです!
そもそも「人と比べる」ことが不要で、無意味ですし、それに付随する「ダメ意識」も当然百害あって一利なし!
さっさと捨てるべし!
なぜならあなたは本来神の分け御霊である偉大な魂をもつ、無限の可能性をもつ崇高で神聖でパワフルな存在だからです。
あなたはそれを知らなくても、私はあなたがそうであることを知っています。
だから人はバカにされるとすごく嫌な思いがするし、自己卑下も本当は嫌な気持ちがするはずなんです。
それは「本当のことじゃない」からです。
自分の魂が違うということには「NO!」叫ばないとダメなんですよ。
まぁしばらく「世界にひとつだけの花」でも毎日歌ってください!
この歌詞が自分のしっくりくるまで口ずさみ続けてください。
(この歌は本当に素晴らしい歌ですね!日本はたまにこういう歌が出る素晴らしい国です!)
また過去世は意味があって思いだせないのです。
不要だからですよ。
逆に今生生きていて、過去の思いや執着に捉われ、がんじがらめで自ら幸せに向かって「変化」できなくなったとき、
神様がまた新たに「リセット」して新しい人生をくれるのです。
今生自ら変化するか、神様に「リセット」してもらうか2つにひとです。
どちらにしても幸せに向かっていきますから、心配ないんですけどね(笑)
> この星では喜びを大きく表現すると妬まれる、
妬む人の前では大人しくしていればいいんです。
そして喜びを分かち合うことが大好きな人と喜びを分かち合えばいいんです。
大体妬む人とお付き合いしなくてもいいんですよ。
何もそういう人と無理にコミュニケーションする必要はないのです。
「喜びを分かち合う」人たちと類友になればいいんです。
これは幸せになるために一つのポイントです。
これは意地悪でも差別化でもないんですよ。
好みの問題です。
「妬みや嫉妬はいや」「喜びを分かち合うのは好き!」という好みの問題です。
格闘技が好きか、自転車旅が好きかというようなものです。
そして、自転車旅が好きな人は自転車旅が好きな人と一緒に旅に出れば、単純に楽しいのです。
格闘技好きの人は退屈だし、こんなの何がおもしろいの?というでしょう。
ですから「みんなちがってみんないい」で自分の人生に「妬み嫉妬」を楽しむ人も好き好きですが、
自分はそれは選ばない。
私は自転車旅が好き!
それでいいんですよ。
何も問題ありません。
そして、もし格闘技好きの人が、最近自転車旅に興味があるんだよね~と言えば、「こんど一緒にどう?」と誘ってあげればいいのです。
同じ「好み」を持っているですから、楽しめるでしょう。
>目立ったら叩かれるとの意識はどう手放せはいいと思われますか。
> 一番最初に自分はダメだ(無能)と感じたのは思い出せる限りでは小学校に入るころだったと思います。
> 入学式から最初のころ、自分でうまく服が着れませんでした。ボタンの掛け違えとかだったと思います。誕生日も家も近いところに同級生の・・・・・・
> 同じような気持ちでブロックしてしまってる人もいるかもしれないのでブログでも構いません。よろしくお願いいたします。
ということでブログに書かせていただきました。
私に言わせれば、すべての人は本来神の分け御霊である偉大な魂をもつ、無限の可能性をもつ崇高で神聖でパワフルな存在です。
魂は永遠です。
なぜ私たちは転生を繰り返し、無限とも思える旅を続けるのか。
それは私たちの本来の姿である、偉大な魂をもつ、無限の可能性をもつ崇高で神聖でパワフルな存在である自分を取り戻すためです。
それこそがこの無限の旅路の目的なのです。
「力の使い手」というのは、その学びを進めてしまおうというチャレンジです。
それは、誰かを「偉大な魂をもつ、無限の可能性をもつ崇高で神聖でパワフルな存在」であることを思い出すことを手伝うことによって、自分も「偉大な魂をもつ、無限の可能性をもつ崇高で神聖でパワフルな存在」であることを思い出す過程です。
「力の使い手」というのは、すっかり眠りこけている人を肩を揺り動かし、
おい!
過去の呪縛は解けたんだぞ!
長い間お疲れさま。
もう本当に自分に向かって飛び立つ時が来ているぞ。
いつまでも肉体という身体意識の中で寝ぼけていないで、自分は本来魂の偉大な存在であったということを思いだせ!
とお互いにゆり起こし合い、この身体意識の次元を旅立つ準備をはじめるよう促すことです。
それが「力の使い手」の活動のすべてです。
目を覚ませ ヴェドルシアの民よ。
(アジア人、ヨーロッパ人、ロシア人、アメリカ人は実際には一つのヴェドルシア文明に起源をもつ、神なる民です。)