私たちは誰もが幾多の過去世でありとあらゆる経験をしてきています。
誰もが殺し、殺され、奪い、奪われ、騙し、騙され・・・・・・
過去世をさかのぼってそういうことがまったくないという人はまず皆無です。
そうやって私たちはありとあらゆることを経験し、それを超えてきたのです。
私たちはの肉体はいつか死にます。
しかし、肉体の死を超えて、魂は次の転生の肉体に入っていきます。
肉体の死を超える魂は決して傷つくことがないのです。
肉体になにがあっても、たとえ心臓を槍で貫かれようとも、魂は決して傷づくことはないのです。
一方、いつまでも傷つられたという思いを抱き続けることができます。
恨み、怒り、悲しみ・・・・・それらの思いが手放せない時、それは因果となって来世へ引き継がれていきます。
その恨み、怒り、悲しみ、・・・・あなたがその思いを抱くのは当然でしょう。あれだけのことがあったのです。
どうしてそれが簡単に許せるでしょうか。
恨み抜いていいんですよ。
その深い思いが実現し、来世できっと復讐する機会に恵まれることでしょう。
相手は自分のなしたことから決して逃れることはできないのです。
そういうことをされたら、いったいどれだけの怒り、悲しみに打ち震えなければならないか。
嫌という程思い知らせてやればいいのです。
そして、相手はなぜ自分がこんな理不尽な目に合わなければならないかわからず、深い悲しみ、怒りに打ち震え、来世でまた、その復讐をきっと遂げることになるでしょう。そうして悲しみの連鎖は尽きることがないのです。
あなたにはもう一つの選択肢があります。
もう相手を許してしまうことです。
あれだけのことをされても、私の魂までは傷つけることはできなかった。
完璧な人間などどこにもいないのです。人間は神様ではありません。
人間は誰もが過ち、間違いをおかす存在です。
程度の差こそあれ、誰もがそうやって学んできたのです。
あれだけのことがあったけれど、決して私の魂まで傷つけることはできなかった。
肉体はどうせ滅びてゆくのです。
いいではないですか。
自分も多くの過ち、間違いをおかしてきたのです。
「もういいよ」と言ってあげたらいいのです。
そうすると、自分自身はもうその因果を手放したのですよ。
もう来世、その思いの続きから人生をはじめることはないのです。
相手のために許すのではないですよ。
自分のために許すのです。
相手がその因果をどう解決するのか、それは相手の問題です。
相手の魂に任せておけばいいのです。
自分が気をもまなくても、いずれ相手は、どこかの人生で深い後悔に打ちのめされ、
許しを請うて号泣することになるのです。
それまで決して自分自身の魂が自分を許すことはないのです。
だから、そのことをもう思い煩うことはやめにして、相手の未熟さを許し「もういいよ」と言ってあげたらいいのです。
それは相手のためではありませんよ。
自分自身のために許すのです。
自分の未来のために許すのです。