神は神であり、神の前、など存在しないのでしょうか。

 ご質問をいただきました。

ガンについての記事も興味深く拝読しました。
ガンは「我慢」のガン、なんて耳にした事ありますけど、
やっぱりそういうものなんですね。
臓器が色んな感情とかに属する、とかも本当なんだろうなと思っています。

 はい。
我慢もよくないです。
憎しみもよくないです。
自己否定もよくないです。

 色々な感情的な原因もあります。

 しかし今回の質問ではガンが増加する社会的な傾向ということで発癌物質を生産する社会の根元について書きました。

 わたしは、とっても若いわけではありませんが、
まだまだ先があるであろう身です。
真の知識、力に今から触れられているのだから、
これからの人生はちゃんと良くいたいです。
やったほうが良い事をやり、やらないほうが良い事はやめて。

 あ~
素晴らしいことですよ!

 あと、榎本さまにお聞きしたい事があります!

・幼いころから、生死を超えた向こう側、存在そのものの向こう側、裏側というか、  すべてが存在する前とかの事を考えると、発狂しそうになるくらい怖くなってしまう 時があります。神は神であり、神の前、など存在しないのでしょうか。
そういう仕組み?摂理?どんな言葉で指せば良いのかわかりませんが、  そういう所に何か見解とかお持ちでしたら、教えて頂きたいです。

 私は今のところすべての存在は無から、意識であった神が思考することで生じ、存在しているという立場です。

 その神なる意識が(それは私たちの魂、私たちの意識でもあるのですが)なぜ存在したのか、については「わかりません」。

 古来からの賢者の見解などを色々調べたりしますが、その点については、わからないとしているものが多いです。

 永遠に存在しているものに、存在する理由などないのです。

 存在する理由があるものは、理由がなくなれば消えますので永遠ではないからです。

 だから、神なる意識が存在している理由はわからないのです。

・わたしは、何かに引っかかったり不快感を感じると、
その原因を自分なりに深く内観して追及するようにしているのですが、  どうしても、詰まってしまうというか、探りきれない時も多々あります。
こういう時は、どういうアプローチをすれば根本に辿り着けるのでしょうか。

 内観するというのはとてもいいですよ。

 内観というのは内を観ることであって、決してごちゃごちゃ考えることではありません。

 ごちゃごちゃ考えても堂々巡りを繰り返すだけです。

 私たちは言葉で考えますが、言葉というのは生命の歴史からすれば、ずっとあとの発明品です。

 内観というのは、言葉以前の生命を生じた意識のフィーリングを感じとることです。
言葉ではないのです。
直感であり、ひらめきです。

 はっ、とわかることです。

>  それとも、そんな事放っておいて、踊っていた方がいいんでしょうか?笑。

 ああ、ごちゃごちゃ考えるよりも踊っていた方がいいですね!

 つまるところ生きることの意味は喜びにあふれることです。

 神は喜びのために宇宙を創造されたのです。

 喜びこそが命の意味ですからね。

 あれこれ「考えること」が人生の意味ではないんですよ。

 喜びにあふれて生きる瞬間瞬間が人生の意味なのです。

 ですから喜びに満ちている人は健康ですよ。

早速のご返信ありがとうございます♪
長い年月をかけて、最初は小さかった不調和がどんどん広がり、
不調和が色んなシステムを覆う、作り上げるようになってしまった、ということでしょうか。
わたしにいきなり社会や大きい物は変えられないですけど、せめて自分は、自分にも他者にも、命や幸せを尊重する姿勢、大切にする、調和を重んじる姿勢で在り続ける事が、出来る事なのかな、と思いました。
 素晴らしいです!
 自分だけで充分なんですよ。
 気がついた人が変われば、自分が幸せに健康に長生きになっていきます。なぜなら生命に調和しているからです。
 不調和な人は病気になったり短命かもしれませんが、何も問題ありません。生き残った調和した健康な人の子孫として生まれるからです。
 もっとも人生はもっとネガティブなものだと信じているいる人はその信念が実現できるもっとネガティブな環境に転生することになるかもしれませんが、それでも問題ありません。本人が気づいた時に別の生き方が開けるからです。
 最終的にはどのような人も神が見捨てることは決してありませんからね。
 なぜなら、この世には神以外で構成されているものは何もないからです。

 って、今ふと気づきましたが、
いつも「自分がどんな仕事をやりたいか分からない」って 漠然としていることが苦しいんですが、でも、
そういう「仕事」のような明確な目標がはっきりしなくても、「自分や相手を大切にする姿勢をできるだけもつ」「今、自分の気持ちに寄り添う」自分でいたいな、
って気づいただけでも、その苦しさがちょっと和らぐ気がします。

 そうですよ。
それでいいんです。

 私も「自分がどんな仕事をやりたいか分からな」かったですよ。

 こうして遠隔浄化したりしていますが、こういう世の中にないことが自分の本来の役割であったりするとなかなか気づけないんですよ(笑)
すべてを忘れて普通の社会の価値観の中で育っていくのですからね

 しかし、それを導くのが守護霊の方だったり、自分の魂のフィーリングなんですよ。
それは言葉ではないんです。

 言葉で明確に説明でき、皆が納得できることは「社会の常識」なんですよ。

 ところがお感じになっているように、社会の常識って結構ゆがんでいるんです。だからこんなにガンが増加したりするわけですけどね。

 榎本さまが、褒める時「素晴らしい」って言葉を使ってくださるの、 とても嬉しいです。
なかなか日々「素晴らしい」って褒めて頂く事、ないですからね・・・

 いえ。
ほんと素晴らしいですよ!
普通の人は、オリンピックとかSMAPの解散とかにしか関心がないんです。

 しかし、それらは「自分の人生」には何の関係もないんですよ。

 ところがあなたは「自分の人生」に関心を寄せ、真剣にとらえておられるんです。

 そういう人は少ないのですよ。

そして、気になっていた事へのご回答、ありがとうございます!

> だから、神なる意識が存在している理由はわからないのです。

に膝を打ちました!
そうか、理由を求める事自体が有限な思考?なんですね。
あるものは、ただある、ですね。

 そうです!そうです!
永遠に存在するものは、ただある、のです。

そこを自分の理性が納得しきれなくて、爆発しそうで発狂しそうになるのかなーと
今思いました。 そうか・・・理由がそもそもないんですね・・・

 そうです!そうです!
理由がないから永遠なのです。

 そして、わたしが「内観」だと思っていたものは
自分の中に潜っていくものの、言葉で細分化、把握していく行為です。
これは、内観のようで違うものということでしょうか。

 細分化というのは、科学的アプローチなのです。
人体も眼科と外科と内科とすべて別ですよね。
眼なら目の専門で他のことは何もわからないのです。

 細分化してもその人を理解したことにはなりません。
あなたは筋肉の筋ではないのです(笑)

 全体が調和した、生き生きと笑う存在なのです。

 その本当のあなたはどんなに細分化しても見つからないのです

 全体像をフィーリングでとらえた時、はじめてその本質がわかるのです。

 あ~こんな人なんだってことですね。

 フィーリングを感じるために、意識を無にする、みたいなのは良く聞きますが、
出来ているつもりになっていて、ぜんっぜん出来てませんでした。爆。

あまり難しく考える必要はないです。

深く愛し合ってるふたりは、手をつないだり、目を見つめあったり
してあまりおしゃべりしないものです。

言葉がない方が、遥かに多くのことが伝わります。

言葉って大したことないんです。

「愛してる」と言ったって、ただかっこつけてるだけですよ。

手をつないで目を閉じたり、ずっと肩をもたれあって海を見ていたり、そんな「無言」の方がよほど多くのものを伝えます。

 そういう大きなフィーリングを感じているとき、「愛している」などというくだらない言葉で、このフィーリングを表現できるわけがないんです。それがわかっているから、あまりおしゃべりしなくなるんですよ。

 言葉というのは偽物なのです。

 「水」という言葉は本当の水ではありません。

 喜びに満ちている人になるぞー!!

 そうそう!

 それが一番大切です。

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