ご質問をいただきました。
私達は、生まれてくるとき、自分で国や家族や性別、そして今世での課題も決めてきますよね。
そのとき、どんな人と出会うのかも決まっているのでしょうか?初対面の人に会うと、なぜ、このタイミングでこの人と出会ったのだろう?と考えるときがあります。
よく、「もっと早くに出会っていたら」なんて聞きますが、そのときが一番いいタイミングということなんでしょうか?
榎本さんはどのように思いますか?Oさま(2016年12月14日 23:55)
まずですね。
前提を確認します。
大宇宙のすべては神と呼ばれる意識によって無から生じました。
ビッグバンですね。
そして、今日あなたが経験している宇宙を創造してきました。
宇宙はこれからも無限に進化していきます。
あなたも本質は神という意識から生まれた魂であり、不死の存在です。
よく臨死体験で、ベッドに横たわる自分を天井から見つめている話を聞きますね。
その自分の体を見つめている意識体(魂)が私たちの本体なのです。
魂は決して消滅することがありません。
それは神が決して消滅しないのと同じです。
魂は神の派出所だからです。
私たちの本質は神そのものです。
ただ私たちは自ら創造した物質世界を経験するために、自分の本性を忘れて肉体に入った存在なのです。
なぜ私たちは本来神と一体であるという本性を忘れなければならなかったのか?
それを覚えていると、体からすぐにすり抜けてしまうからです。
いくら肉体を持つ存在で物質的な世界を満喫しようと思っても、抜け出てしまうのです。
そこで私たちは、自分の本質である神と一体であるという本性を忘れ、肉体と自分を同一視することで、肉体に長く留まることができるようになったのです。
こうして、地球次元での肉体での生活を魂が享受できるようになったのですよ。
ですから、私たちの本性は常に神と一体です。
しかし、それを忘れてしまっています。
そして、私たちの地球上での生、すなわち肉体と物質世界の生は自ら(神々が)創造した、物質世界が自ら入り込んで、物質世界を満喫することにあるのです。
肉体ってすごい!
食べるってすごい!
お茶を飲むってこういうことなのかっ!
キスってすごい!(*^^*)
物質世界ってすごい!
地球ってすごい!
大自然ってすごい!
その神々(永遠の生命である自分たちのことなのですが)偉大な創造を自ら経験することにあるのです。
よく私たちは天使に憧れたりしていますが、天使は私たちに憧れているのですよ!(笑)
彼らはまだ地球に転生したことがないのです。
だから、食べるってどんなこと?
キスするってどんな感じ?
恋ってどんな感じがするの?
ハグするってどんな感じがするの?
旅ってどんなことなの?
・・・・
彼らは地球上での経験に憧れているのです。
天使は「ああ経験したい!」思っているのです。
その誘惑に負けて地球上での転生を選んでいるのが私たちなのです。
天使、すなわち霊体の存在は悲しいかな物質世界に触れてもすり抜けてしまうのです。
彼らはハグするってどんな感じか知らないのですよ。
でも私たち地球人は知っているんです!
私たちは天使の憧れの的なのですよ!(笑)
私たち地球の生を満喫する者は、自らの神なる本質を忘れる条件を飲んででも地球上の生を体験しようと、地球の転生に飛び込んだ偉大なチャレンジャーなのです。
地球の生を満喫している人たちは、天使も憧れる宇宙で最も偉大な魂でありチャレンジャーなのです。
これを読んでいる、すべての宇宙でも最も偉大なチャレンジャーのみなさんに、私は心からのごあいさつをします。
「こんにちは!
あなたは勇者だ!
素晴らしい!
この神なる自分を忘れてまで地球の転生を選んだ偉大な魂であるあなたに心からの敬意を表します。
同志にして今生榎本と呼ばれる家系の肉体に転生し、地球での生命を大いに楽しむ魂より。」
さて、神は宇宙の創造にあたって自分と同じ魂を多数に分割しました。
そして、それぞれに自由意志を与えました。創造する力も与えました。
思えば実現する力です。
それが、神は人を神に似せて創造されたということです。
地球上ではみじめなこと悲惨なこともありますね。
それは「自ら神なる存在であることを「忘れた」魂が自由意志を行使して、創造した結果なのです。」
私たちは地球での転生を繰り返す間に、自らを肉体と同一視し始め、自分は死ぬ存在だと考え始めたのです。
そこから恐怖が始まりました。
自分と同一視した自分の肉体を守るために、食べ物を奪い、ここは俺の縄張りだと主張し、戦い、争い、・・・
そういったものは、すべて「本来神なるなる自分を忘れた魂による創造」なのです。
支配従属というのは、すべて「本来神なるなる自分を忘れた魂による創造」です。
さて、この地球には夢も希望もなくした魂もいます。
どうせ死ねないんですけどね(笑)
しかし「陰極まれば陽転ず」なのです。
どんなに絶望的な状況の中かでもやがて活路を見出していくのが、私たち神なる魂です。
どうせ永遠に転生しますからね。
活路を見出すしかないのです。(笑)
その活路というのは、「本来神なる自分自身を思い出していく過程」なのです。
自分は肉体に閉じ込められ、誰かに支配されたみじめでちっぽけな存在じゃないぞ!
そういう心(魂)の叫びなのです。
魂だけは決して消滅することはありません。
ほら、あなたはこれを読んでいますね!
その意識があなたの魂です。
意識は科学は解明できていないんですよ。
意識は脳にあるんじゃないんですよ!
脳という臓器のない植物にも、微生物も人の言葉や感情に反応するのです。
意識があるのです。
で、質問は
「私達は、生まれてくるとき、自分で国や家族や性別、そして今世での課題も決めてきますよね。そのとき、どんな人と出会うのかも決まっているのでしょうか?」でした。
私たちは転生前に「自分が経験したい」と思う経験ができる、国、家族、性別に転生していきます。
例えば、前世で「自分と同一視した自分の肉体を守るため」に、誰かにひどい事をしたとします。
転生と転生の間の「神なる魂としての視点」で反省すると「何てことをしてしまったんだ!」と思うわけです。
その自分自身がやってしまった経験を相殺するために、その逆の経験、すなわちつぐない、
その人にやってしまったことをつぐない自分の神なる本性にふさわしい自分を経験するために、転生を果たします。
自分がそう望んだからです。
それは過去世で何かをした相手であることも多いです。
それが同じ家族として何度もそれぞれの魂が、性別や役割(親子や夫妻)などを入れ替えながら転生する人が多い理由です。
いわゆる「腐れ縁」というのもそういう縁ですね。
みじめだけども、自分の魂が決めた課題をクリアしていないので、その関係性から卒業できないのです。
さて、「どんな人と出会うのかも決まっているのでしょうか?」
どんな人と出会い、どんな経験をしたいかはすべて自分が決めています。
転生においても、今現在においても、あなたの周囲にいる人たちは、今自分が世界をどのようなものであるか、人はどのようなものであるかと考えてきた結果なのです。
例えば、孤独な人がいたとしますね。
出会いがないと。
それは自分に自信がなかったり、深いところで人間不信だったりするわけです。
なぜそうなるのか、外部の尺度(偏差値・社会的体面)などでものごとを判断し、それにそえなかった自分をダメだと考えたり、
つまらんニュースを見たりするからです。
先日も、「家庭内暴力を受け通報した女性 到着した米保安官代理から現場で性的暴行」とうニュースが流れていました。
こういうニュースばかり流すんですよ。
これを読んだ人はどう思うか、人間不信になりますよね。
人は信じられないと。
だからこういうニュースを見る人は、人間不信になり、誰に対しても用心し警戒するようになります。
そして、その結果、その人の人生には出会いがないんですよ。
自分が人は信じられないと意識の奥底で思っているからです。
ニュースというのはその人の人生にものすごい害悪をもたらしているのです。
しかし、そのニュースを見たのはその人の選択だし、「人は信じられない」という思考を自分に許したのもその人の選択なのです。
そして、その人はそのような人生を経験することになります。
自分がそう考えているからです。
自分が選んだからですよ。
私が自分で目撃した人生で最も悲惨なことは、中学の時に友だちの一緒に公園にいて、知らない不良たちにからまれて友だちがお金をカツアゲされたのに助けることができなかったことです。
それから、自転車や車で走っていて、稀に交通事故の現場に出くわすことがあります。
それが私の実際の人生で経験した最も悲惨なことですよ。
人生の99.9%は素晴らしい出来事です。
お店に行ってもちゃんと笑顔で対応してくれる。
ほとんどの人は安全運転です。
電車も飛行機もちゃんと動く。
食べ物はちゃんと流通している。
電話やネットもいつも通じる。
・・・・・
実に素晴らしい世界です。
私は今年スペインを旅しましたけどね。
みんな「オラ!(やぁ)ブエンカミーノ!(よい巡礼を!)」と挨拶してくれます。
私も三百数十キロ歩きながら、何百回挨拶したかわかりませんよ!
世界はとても素晴らしいところです。
景色も美しいし、人々も素晴らしい、食べ物もおいしい。
それが世界の実態です。
それが私が毎日経験していることです。
スペインで経験したことであり、バリ島で経験したことです。
世界は素晴らしいところなんですよ!
人々も素晴らしいです。
いい人ばかりです。
99.9%はいい人だと思います。
それが私の実経験です。
この世で最も悲惨なのはニュースです。
だから私はニュースを見ないのです。
人間不信になりたくないからです。
だってこの世界は素晴らしいところであり、地球の人々はみな素晴らしい人々であるという考えを打ち消したくないからです。
そう考えると、そのような人生を経験するからです。
なぜなら自分がそう考えたからですよ。
それだけなんです。
この世はすべて「自分がどう考えたか」ということが経験できる場所なのです。
「よく、「もっと早くに出会っていたら」なんて聞きますが、そのときが一番いいタイミングということなんでしょうか?」
その通りです!
お互いが人をどのように考えているか。
例えばその人の根底に人間不信があれば、その人がであうべき人に出会うのに時間がかかります。
「人は信じられない」と思っているからですよ。
そう思っている人は誰にも心を開きません。
自分にも自信がありません。
いつも警戒しています。
自分が傷つけられるんじゃないか。
傷つくまい。
傷つくくらいだったら、はじめから人と付き合わない方がましだ。
多くの人が無意識でそう思っているのです。
なぜなら、そういうニュースを見続けているからですよ。
あなたは、すべての人は、
その人が、自分は、人は、世界は、どのようなものであるかと考えている、その通りのものを経験し続けているのです。
ですから、すべての出来事も、すべての出会いも完璧です。
早いも遅いもありません。
完璧なタイミングで出会っています。
あなたが自分と、人と、世界をどう考えているかというタイミングに完璧に正確に出会っているのです。
それでは最も素晴らしい出会いというのはどのようなものでしょうか。
自分を神なる魂としての存在と認識し、すべての人を神なる魂としての存在と認識し、地球を宇宙を神なる存在の素晴らしい創造と認識することです。
そうするとそのような世界を体験し始めるのです。
なぜなら、あなたがそう考えたからですよ。
しかし、それが実態なのです。
すべての人が神なる魂としての存在であり、地球を含む宇宙のすべてが神なる存在の素晴らしい創造なのです。
それが本当の実態です。
それは決して失われず、永遠になくならない真理です。
ただ、そのことを忘れた人々が多くの悲惨さを創造しているだけです。
あなたはそれをいつまでも忘れていれば、好きなだけ悲惨さを経験することもできるし、
「すべての人は神なる魂としての存在である、地球を含む宇宙のすべてを神なる存在の素晴らしい創造」と考えればそのような人生を経験していきます。
それだけなのです!
そのような思考の中で、あなたは本来神なる自分の魂を表現しようとしはじめ、その表現に本来神である自分の魂に気づいている素晴らしい存在が引き寄せられてきます。
その時初めて人は、永遠の魂として神なる自分と、永遠の神なる魂の人との素晴らしい出会いを経験します。
それは神なる永遠の魂の風味がするものになるでしょう。
それまでは、自分が人間不信であり、有限で死すべき、みじめな存在であると考えていれば、その自分の考えを証明してくれる人に出会うのです。
そして、その自分の肉体を守るための支配と従属と縄張り争いの競争を際限なく続けるのです。
それはそう思っている人々が作り上げている世界なのです。
いつでも、今あなたが出会っている人が、あなたが世界をどのように考えているかにぴったりの人なのです。
タイミングに早いも遅いもありません。
ぴったりです。
しかし、実はそれでも何の問題もないのです。
神の創造によるこの宇宙においては、自由意志でどんな悲惨な人生を思い描き、それを経験しようとも、それは永遠に続かず、何度でもやり直しがきき、
そして結果を見ればあなたもわたしも今、経験しているように宇宙は無限に進化しているのです。
だから、今あなたが経験している人生も次の人生をより良くしたいという動機になるだけなのです。
それが宇宙の進化をドライブしていくのです。
どんな人生も素晴らしい経験です。
より素晴らしい経験を求めていきます。
どうすれば手に入るのか?
あなたが、自分は、人は、世界は、どのようなものであるかと考えているか、その考えを変えるだけでいいのです。
どう変えるのか?
あなたが経験したいようなものであると考えればいいのです。
それだけなんですよ。
私はすべての人は素晴らしい人であると考えているし、世界は美しく素晴らしいところであると考えているから、それに反するニュースは見ないのです。
なぜなら、それは私が経験したい世界と違うからです。
すべての人が自分の経験したい世界を、自分が経験したいように選べるのです。
これが神がすべての人に与えた偉大な恩恵なのです。
それが神は人を神に似せて創造されたということなのです。
「力の使い手」は見えない力の存在を実体験し、自分を肉体以上の存在であることを知るための、自分は、すべての人々は「神なる魂の存在である」ということを自分の人生の経験にもたらす素晴らしいチャレンジなのです。