> 長野県○○市で整体師をしています。榎本先生のブログは10年くらい前から、読まさせていただいています。人間的に成長するのに、いろいろと学ばせて頂いています。確かきっかけはブログにもそんな方がいましたが、船井幸雄先生から、KORO先生から榎本先生だったと思います。
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> ここ何日か南さんの事が、記事になっていました。また伝授者のAさんが、長野県の方で同郷の人間として、何とかしてあげて欲しいと思いが込み上げ、文章力がないのでメールするか迷いましたが、なぜがどうしても伝えたくなってしまい、思い切って書かせてもらいます。
> まず思った事ですが、南さんを救えるのは榎本先生しかいないと思います。ただ独りではなく、力の使い手の皆様と一緒に南さんを浄化すれば、何かいい方向に変化するのではないかと思います。以前に自然の力に在籍し、今は力の使い手になった方は、南さんに対してもいろいろな思いがあるので、参加しない方もいるかと思いますが、榎本先生から力の使い手になった方は、何も感情もないので、榎本先生が一言『一緒に南さんを浄化しましょう』と言えば殆どの方は、快く手伝ってくれると思います。
そうですね。
浄化というのは本人が望むということがとても大切なのです。
病気もあらゆる一見マイナスに見える出来事もすべてそうですが、その中には大いなる学びがあります。
それが8年間遠隔浄化を実践し続けてきた私の気づきのひとつです。
ご本人がそう望まない場合には「その学び」をとりあげるべきではありません。
ご本人が何とかしたい気づきたいと思ったときだけ、お手伝いができます。
ですから、神様は世にある病気や悲劇をすべてそのまま見守られているのです。
しかし救済の手はあらゆるルートから常にすべての人に差し伸べられ続けています。
それが途切れたことはありません。
今はかつてないほどそれが強力になっています。
しかしそれをつかむのはご本人だということです。
南さんの教えが彼が「自分が世界で唯一の絶対者」と考えることによって変質していることは、非常に多くの学びをもたらしています。
例えばイエスの教えの直系を自認するローマ・カトリックは魔女狩りなどの多くの悲劇を生み出しました。
それは「教皇の無誤謬性」を信者が受け入れたことに真の原因があります。
ローマ法王は絶対的な存在であり、彼の言葉に絶対に間違いはないという考え方ですね。
wikiぺディアによると
「ローマ教皇庁ならびにカトリックが正式に天動説を放棄し、地動説を承認したのは、1992年の事である。しかも、それはガリレオ裁判が誤りであったことを認め、ガリレオの異端決議を解く際の補則、という形での表明であった。ガリレオの死から359年が経過していた」ということです。
自然の力は、南さんを個人崇拝して絶対に誤りをしないという「無誤謬性」を受け入れた集団です。
ですから私の「裏切り者認定」の判断などでも絶対なのです。
しかし、地動説と同じで私が遠隔浄化できているのは真実です。真実は揺らぎません。
「私が伝授が切れ、浄化できなくなったという南さんの指摘」が私の裏切り者認定の発端ですが、その発端の認識自体が間違っていたのです。
ローマ・カトリックは誤りを認めるのに359年かかりましたが、自然の力の伝授者さんが誤りに気づくのはもっと早いです。
実際もう多くの人が気づいています。
今の自然の力は個人崇拝による「無誤謬性」の弊害を学ぶためのまたとないモデルケースです。
天動説は、1992年よりずっと以前から理科の教科書に載っており私達も学校で習いましたが、その時代になってもローマ・カトリックは自らの誤りを認めなかったのです。
今や欧米でも若い世代でローマ・カトリックなどの教会離れは著しいですが、真実に沿わなければ自然の力でもそれが起こるだけです。
そして真実に沿わないものから離れることはいつの時代でも正しいことです。
正義というのはそれしかありません。
ガリレオの裁判が誤りであったことが認められたのがたとえ359年後であれ、真実は最終的に必ず勝利を収めます。
なぜなら真実は実在であり、誤りは虚構だからです。
しかし虚構の中にいて周囲がみんな虚構を信じている中で、真実を見つけるのはとても難しいのです。
私が裏切り者認定されても、自分を保ち続けることができたのは、南さんが「伝授者全員の伝授が切れた」と宣言しても、当初から私は体になんの異変もなく、浄化し続けることとができていたという経験を何度も何度繰り返していたからです。
南さんの「伝授者全員の伝授が切れた」という言葉が私には当てはまらないことを「知って」いたからです。黙ってはいましたが。
しかしたいていの伝授者は自分が浄化できなくなり、南さんに繋いでもらい再び浄化できるようになったということを何度も経験しています。
そんな彼らに私のように自分を保ち続けることは非常に難しいのです。
ですから彼らの立場を理解してあげてください。
彼等はまったく自分に自信がないからです。
ですから自分が感じる真実よりも南さんに従うことしかできないのです。
今生彼らは南さんの信者として生き、そのいい点も悪い点もすべて学ぶのが彼らの道なのかもしれません。
それはイエスの言葉を学ぶ人々が魔女狩りに手を染め、「自分は正義」と心の底から信じ続けて死んだとの同じです。
それもまた学びです。
> なぜそんな風に思うかと言えばブログで紹介される方も、みなさん志の高い素晴らしい方だとブログを読んで思っています。また違う表現なら、【意識指数の高い方】です。意識指数は確か昔榎本先生のブログにも書いてあった言葉です。(間違っていたら、すみません)意識指数の高い方なら、南さんの事でも他人事ではなく、自分の家族や、知人を浄化するように愛を注いてくれると思います。今現在何人の力の使い手さんがいるかは、知りませんがある程度まとまった人数で、浄化すれば意外と結果は早く出るのではないのでしょうか。榎本先生が自然の力に在籍されている方で、伝授者のAさんの様に何とか救ってあげたいと思っている方がいれば、南さんと、Aさん、◯◯さん、と力の使い手の皆さんと一緒に浄化したらどうでしょうか?
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> 榎本先生と南さんの関係は、ブログには載っていない深い因縁があると思いますが、客観的にブログだけを読んでいる人間からすると、南さんを救うのは榎本先生がやるべき事だと思ってしまいます。こんな事言える程意識指数の高い、自分ではありませんが今回は奥底の魂が、どうしても伝えなくては行けないと、言っている様な感じがしてメールしました。
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> この文章を考えて打っていると、身体が凄く熱くなってきています。よくブログ中で、メール書いている内に痛みが消えたとか、症状が良くなったと載っていましたが、この感じが浄化になっているのだと体験しました。
意識指数はかなり以前の私のブログに登場した言葉ですね(笑)
私も「力の使い手」さんたちは本当に志の高い素晴らしい方だと思います。
今までに一人だけ「力の使い手」さんから「自然の力の伝授者」に戻った人がいます。(通常はその逆ばかりです)
なぜですか?と聞くと南さんの「お金は愛」にひかれる「神様の力に資本主義」を導入した南さんについていきたいといわれました。
そういう人は「自然の力」がぴったりです(笑)
しかし「真実」にそぐわないものは必ず滅びます。
なぜなら神様は真実のみで構成されているからです。
栄枯盛衰の一時的なものは必ず真実に即していない部分があったのです。
その最大の要因はエゴが入ることです。
エゴはある種の虚構です。
みんなひとつにつながっているというのが真実です。
自分ひとりだけを絶対視させるのもまた虚構です。
真実に即するものは永遠です。
自然の営みや宇宙、魂が永遠に存在するのと同じです。
それは真実だけで構成されているからです。
ですから、私達は最終的には真実に身を委ねるしかありません。
真実のみが神の創造だからです。
私達が幸せになる道は、常に真実に向かって自分の人生を軌道修正していく道です。
真実でないものにしがみつくのは時間の無駄です。
しかし、それを理解するのは人それぞれに適したペースがあるのです。
最終的には幾多の転生を通じてすべての人が真実に至ります。
私の中ではすっかり終わったできごとですが「自然の力が生み出す不必要な早すぎる死」などを耳にすると、どうしても書きたくなってしまうのは、知っているものとしてお手伝いをしたいという思いがあるのでしょう。
今は外にいる人で私以上に自然の力のことを知っている人はいませんからね(笑)
天動説が真実と考える人は、それに従って自分の人生を生きるし、
地動説が真実と考える人は、それに従って自分の人生を生きるのです。
しかし真実に沿わない根拠で「魔女狩り」を行うと、その因果応報もまた彼らのものです。
そうして、全体としては神様は完全な公平を保たれています。
ただ学びのプロセスはいつでも早めることができるのです。
今の時代はすべての分野において学びのスピードが加速度的に早くなっています。
真実への手伝いはどの分野でも誰にもでできることです。
自分の知っている分野で真実への気づきに貢献することが、神の意向に従うことです。
神の意向に従うことはそれしかありません。
それは地動説のような科学の分野でも、その他の分野でもまったく同じす。
> 伝えたい事がうまくまとまらず、変な書き方になってしまいました。読みづらい所もあると思います。(すみません)最後に報告ですが、力の使い手のOさん、Wさん、Nさんは私のお客様です。榎本先生の事は私が教えました。ブログを読んでもらい、力の使い手になるのかは、ご自身で判断してもらいました。みなさんいろいろな事を気づいた様で、心が変わって、身体も良い状態になっています。素晴らしい事を、目の前で診せて頂き本当に感謝します。。
そうですか。
以前から体の状態を深く観察されている先生に、そのような気づきを教えていただき、こちらこそ感謝しています。
ありがとうございます。