「自分に素直に生きている人」と「自己中心的(自分勝手)な人」

ご質問をいただきました。

「心の問題はアダルトチルドレンで、小さい頃から生き辛く、
その影響で10年位前から鬱になりました。

特に人間関係で「自己中心的な人」を見ると怒りを感じます。
ですが、最近「羨ましい」という気持ちが隠されている事に気付きました。

心の中では、
「自分に素直に生きている人」と「自己中心的な人」は違う。(正義感?怒り?)
でも、自分を表現出来ている点は同じだ。
「僕はそう出来ない・・・」と落ち込む。
みたいな制限や葛藤みたいなモノがあります。

こう言った事が、頭の中を グルグル回って偏頭痛が起き寝込みます。

自分の人生なのに、自分がいないような感じがして」(2016年1月29日 11:27)

まずですね。

人はみな「自己中心的」です。人は自分の五感に従って情報を自分の脳で判断して生きています。「自己中心的」な生き方以外にあり得ないのです。それこそ、親の顔色をうかがって生きたり、先生の顔色をかがって生きたり、上司の顔色をうかがって生きたり・・・
それこそが異常な生き方です。そんな人の人生は幸せではないです。

しかしそれが一切の強制がない「自分の選択」ならいいんですよ。
通常は力関係がある場合はそれは「自分の選択」ではありません。何らかの「強制」が働きます。それが「あなたのため」「愛から」という美名があってもです。

人は誰もが「自分の人生」を生きたいんですよ。
それが誰もが等しく持つ魂の根源的な欲求です。
神様が人に自由を与えたということは、神様が人に魂を与えたということです。

例えば、幼い子供がいるお母さんは「子供中心」に生きている人が多いですよね。
でもとてもみなさんとてもいい表情をしています。

それは「自分の選択」だからです。強制が一切ありません。

「自分に素直に生きている人」になるためには「自己中心的」でなければダメなんです。

そして「自己中心的」に「自分の選択」で「愛」を表現するようになるのです。

それ以外ではあり得ません。

愛を表現できる人は「自己中心的」に生きて十分に強くなった人です。

強くなければ愛せないんですよ。

私は思春期、父親と本当に激しい反抗期を経験しました。
私の父は相当頑固者でしたからね。(笑)

しかし私は一歩も引かなかった。
いちいち書きませんが、それはすさまじかったですよ。
取っ組みあいもやりました。
私は2階の階段から、大きな姿見の鏡を1階に向けてたたきつけたこともあります。
父親は自分の部屋に木刀をもって寝てました(笑)

しかし、私は男兄弟3人なのですが、成人して一番父の面倒をよく見たのは私ですよ。
私は長男ではないです。
あとの二人は結局、わだかまってるんですよ。
まぁ親父はほっとけと、白けてるんですね。

しかし、もう私はやるだけやったから、もう何もわだかまりがないんです。
すっかり自立していますしね。
悪感情がないんですよ。

それでですね。
親に抑圧されて嫌な場合は、自分の思いを抑圧せずに思いっきりぶつかった方が、後で親子関係がよくなるということを私は経験的に知っています。

父親にしてみたら私は「自己中心的」で「わがまま」で「言うことを聞かない」どうしようもないヤツだったと思いますよ。

しかしその「自己中心的」なヤツが、結局一番「自分に素直に生きている人」になり、晩年の父を一番愛して面倒をみたわけです。

父は去年亡くなりましたが、実家を出て以来、孫を連れて親父と一番一緒にご飯を食べたのは私です。色々世話をしに帰ったのは3人兄弟の中で私なんですよ。

それがものごとの真実です。

素直に言うことを聞いていたらダメなんですよ。愛せないんです。
ただ怖いから卑屈になってるだけなんですよ。
それがずっと尾を引くんです。

「自己中心的」な人、自分を大切にする人が、「自分に素直に生きている人」、心から愛せる人になるんです。

植物の種が落ちて、大地に根を出します。

自己中心的ですよ。

近くにどんな植物がいようと根を張っていきます。
遠慮などしてないですよ。
そこで遠慮したらダメなんです。
育たないんですよ。

お父さん木が横にあるから僕は根を出すのをやめよう、お父さんに迷惑をかけないように親孝行しよう、なんて思ったらダメなんです。

生命はそんな風にできてないんです。

自己中心的にどんどん根を伸ばせ!

それが神の意向です。

そして、しっかり大地に根を張ったら、
大きな幹に育ったら、
無数の花を咲かせて、咲き誇り、
あふれんばかりの果実を実らせて、
大きく育った自分の幸を地球の生命にお返しするのです。

自己中心的にならなければ、花や果実という愛を実らせることはできないんです。

生命はそのように設計されているのです。

たとえお父さん木の背を超えてしまい、自分の日陰に入ってお父さん木が枯れてしまうことになってもです。

いつかはお父さん木もそうなる日が必ず来るんです。

しかしお父さん木は死んでなんかないんですよ。

あなたの果実の中の種子に無数の自分のDNAを残したのです。

お父さんの命はそうやって受けつがれていくのです。

親を超えていくのが一番の恩返しです。

たとえ親自身がそのことに気がついていなくてもです。

自己中心的にスタートしなければ、発育不全になり決してあふれる愛を地球にお返しすることはできないのですよ。

あらゆる抑圧を跳ね返して、自分の人生を生き抜くことが大切です。

神様がそのように生命を設計されたからです。

しかし、自分が大きく育てば、大きな愛を大地にお返しすることになるのです。

必ずそうなるのです。

まず「自己中心的」に自分の人生を生きるところからはじめてください。

「自己中心的」に生きている人を見ると「羨ましい」のは当然ですよ。

生命はそもそも「自己中心的」なものだからです。

しかし、大きく育った生命はいつの日か、無数の花をつけ、たわわに実った果実を地球にお返しし、生命を育む存在になるのです。

必ずそうなります。

それが生命のあり方です。

 「自分に素直に生きている人」と「自己中心的な人」その2(2016年11月28日追加)

子どもは自己中心的におっぱいを飲み、泣き、どんどんたくましくなればいいんです。

さて、十分に自己中心的になり、しっかり強くなりました。

そこからの 「自分に素直に生きている人」と「自己中心的な人」の違いです。

これはもう「相手をコントロールしたい」か、「相手を自分の思うように動かしたい」か、これが基準になります。「支配」です。

自分の幸せに関して、自分のハートのおもむくまま、自分の喜びに従って、どんどん幸せになればいいのです。

それが「自分に素直に生きている人」です。

何も問題ありません。

素晴らしいことです!

さて、十分に強くなったのはいいですが、それを自分以外に向ける人がいます。

「相手をコントロールしたい」、「相手を自分の思うように動かしたい」人です。

これが「自己中心的な人」です。

自分のハートの喜びにしたがって、自分の人生をより幸せにすることは何も問題ありません。それこそが素晴らしい人生です。それが「自分に素直に生きている人」です。

しかし、自分もそうなら、自分の周囲の人すべて、あなたも「自分のハートの喜びにしたがって、自分の人生をより幸せに」しなさいね!言わなければなりません。

自分は「自分のハートの喜びにしたがって、自分の人生をより幸せに」生きているのに、

相手には「自分のハートの喜びにしたがって、自分の人生をより幸せに」生きることを許さない人。これが自己中心的な人です。わがままな人ですね。

「私は自由に生きたいの」これは何も問題ありません。誰もが求めることです。素晴らしいことです。

「私は自由に生きたいの」でもあなたは「自由に生きちゃダメよ」あなたの考えがどうであれ、私の言うことを聞きなさい!これが自己中心的な人です。

自分と、他人に違う基準を適用する人です。

「私は自由に生きたいの」「あなたも自由に生きてね」あなたも「自分のハートの喜びにしたがって、自分の人生をより幸せに生きてね!」

これが「自分に素直に生きている人」です。

素晴らしい生き方です。

さて、あなたの側に自己中心的な人がいたらどうするのか。あなたをコントロールしようとする人、支配しようとする人、あなたの気持ちに関わらずあなたにあなたの気持ち以外の基準を押し付ける人です。きっとあなたのためよ!これが常識よ!などなどというでしょう。

しかし、自分に素直に自由に生きる生き方ほど素晴らしい生き方はないのです。

自己中心的な人がいたらどうするのか。

去るんですよ!

静かに去るんです。

ご意見は聞きました。

どうもありがとう!

そして去るんです。

にっこりして静かに去るんですよ!

そして「私は自由に生きたいの」「あなたも自由に生きてね」あなたも「自分のハートの喜びにしたがって、自分の人生をより幸せに生きてね!」という人と友達になるのです。

そういう人と恋人になるのです。

そうでないなら、ひとりの方がましですよ!

どんな人でも自分の幸せを犠牲にしてまで付き合う価値はありません。

自分の人生において、自分を幸せにするために「自分に素直に生きる」ことほど素晴らしいことはないからです。

そして「私は自由に生きたいの」「あなたも自由に生きてね」あなたも「自分のハートの喜びにしたがって、自分の人生をより幸せに生きてね!」という人を探すのです。

そのお互いの自由な幸せと喜びの探求をわかちあうこと。

それが素敵な恋人であり、素敵な友だちです。

あなたがそうなら大丈夫です!

類は友を呼びますから。

そんな人はいっぱいいますよ。

もちろん私もそうです!

恋人になりますか?(笑)

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