【魂は自立を目指す】「私は、人の機嫌が悪いと、それを自分のせいにしてきました」

メールをいただきました。

 これまで私は、人の機嫌が悪いと、それを自分のせいにしてしまっていたことを思い出しました。それは、子どもの頃からでした。
 自分が悲しくなる方を自分で選択していたんだと気が付きました。
 これからは、自分を大切にできる方を選択する癖を身に付けて、自分を強くしていきます!
 とても素晴らしい気づきですね~
 人が機嫌が悪いのは実は、「その人自身のせい」であって、決して周囲の人のせいではありません。
 「あの人は怒りっぽい人」という表現がありますね。
それは「怒り」という性質がその人に付属しているという理解です。
周囲の人のせいじゃないんですよ!(笑)
 私は広島出身なんですが、熱狂的なカープファンがいます。
父もその一人だったのですが、母が言ってたものです。父が「機嫌が悪くなるからカープに負けないで欲しい」と。(笑)
 最近カープが強いのはそういう女性たちの祈りが通じたものですよ(笑)
 確か小学校5年生くらいの時だったかなぁ~
もう理由は忘れましたが、入り口に立たされて父にどやし怒られたことがありました。
 父が「こんなに怒っているのはお前のためだ!」みたいなことを言ったのですが、小学校5年生の私は「違う!今日は機嫌が悪いから怒ったんだ!八つ当たりだ!」みたいなことを言ったんですね。同じような状況の時に怒る時と、怒らない時があるのに気づいていたからです。たぶんカープが負けたんでしょう(笑)
 私がそんなことを言ったのは初めてだったので、父が激しく動揺したのがわかりました。目が泳いだ。
 今までは「はい。ごめんなさい。許してください。」と言うだけでしたからね。
 動揺した父をみて「ああ、図星をついたな。」とわかりました。
 それから「何を生意気な!」とまた一段と烈火のごとく怒られましたけどね^^;
 でも、その時に人は合理的に怒るのでないんだ、自分に不都合な時、機嫌が悪い時に怒るんだと学びました。

機嫌が悪くなるのはその人自身のせい

機嫌が悪くなるのはその人自身のせいなんですよ。
なぜなら、同じような状況で怒る人と、怒らない人がいるからです。
私は1年を通じて怒ることはないですよ(笑)
不機嫌になることもない。
数年前に本当に久しぶりに怒りましたけどね。
その前も何年も忘れるくらい怒ってないし、その後も何年も怒っていません。
私も現実世界に生きていますからね。
世間一般の人々が経験するようなことは大抵経験していますよ。
でも、不機嫌になっても仕方がないし、まぁ日本人というのは街もきれいにするし、ゴミも捨てないし、お店での対応も丁寧で、不機嫌になるようなことはあまりないです。
しかし、こんな素晴らしい日本でクレーマーなる人々が結構いるそうなんですね。文句があると。
この素晴らしい日本の人々の一体どこに文句があるのか?!
どう生活したらそんなに不機嫌になれるのか私にはよくわかりません(笑)

不機嫌な人は、その人の中に「怒りっぽい」ものがある

 だから不機嫌な人というのは、何かその人の中に「怒りっぽい」ものがあるんですよ。
 そして「人は変えられない」ですから、その人が自分の中にある「怒りっぽさ」に取り組まないと、周囲の人はどうしようもないんですね。
「あなたは自分が怒りっぽいから、周囲に八つ当たりしているだけですよ」と本当のことを言ったら激怒して恨まれますからね(笑)

触らぬ神にたたりなし

そういう人に対してこちらで取れる対策は限られています。
何しろ原因は相手の中にあるのだから。
最善の対策は「触らぬ神にたたりなし」です。
相手の前で、相手の「逆鱗スイッチ」のボタンが入るようなことをしない。
もっと言うと、なるべくその人と接する時間を少なくする。
もうこれしかないですね。
私が大学生になって実家を出るまで、父への対応はこれしかなかった。(笑)

こちらが自立すると相手の扱いが変わる

大学生になり、社会人になり、もう普段は顔を合わせることはなくなったわけです。
 まあ盆と正月ぐらいは顔を見せる。
 しかし、その時はもう「あけましておめでとう。」と言って、ごちそう食べて酒飲んで帰るだけですからね。
こちらが自立した存在になると、もう何も言わなくなりました。
大学生以降、父に小言を言われた記憶はほとんどないです。
しかし、父も頑固者でしたが、私も理不尽なことにはまったく折れない性質を持っていますので、一緒に暮らしていたら、ぶつかったと思いますよ。
「怒りっぽい人」というのは、何かにつけて周囲とぶつからずに生きていくことができないんです。
 それはもう本人の性質ですからね。
 自分自身で気づいて取り組まないと変わることはありません。
 ですから「触らぬ神にたたりなし」しか有効な対策はないんですよ。

「人のせい」がある人の人生は変わらない

だから「人のせい」がある人の人生は変わりません。

本当は自分の中に「怒りっぽさ」があるけれど、それに取り組まずに、「お前が悪い!」と怒るわけです。

いつも視点が外に向かっている。外と格闘している。

自分の内面に向くことが決してない。

そうすると、自分の周囲の人に「どいつもこいつも、どうしてこんなにどうしようもないんだ!」と怒り散らすことになる。

だいたいその人の一生は、それにエネルギーを消耗して終わりますから、人生はいつも同じところをグルグルを回転し続けるだけです。

むしろどんどん悪くなるのが普通です。

「早く気づけ」とアラームがどんどん大きくなる。

周囲の人もだんだん「触らぬ神にたたりなし」戦略をとって相手にしなくなる。

すると「おい!お前はどうして俺のことを軽んじるのか?なめてんのか?」とまたからむ(笑)

だから、一番の戦略は、その人の視線に入らないことです。

自分が自立するまではその関係は変わらない

「怒りっぽい」人には「触らぬ神にたたりなし」戦略が一番有効です。

その人の「触らずに」すむ一番の方法は自立することです。

やっぱり私も大学生になるまでは、父とスムーズになることはなかった。

しかし、大学生、社会人になると私が一番父とスムーズになった。

だから自立するのが一番いいし、それまでは「怒りっぽい」人を変えることはできないし、その人が「怒りっぽい」以上、とばっちりを受けることを避けるのはとても難しい。

自立にはいろんな形がある

たとえ同居していても「強い女子高生」などは、お父さんの八つ当たりを無視してあまり口も利かずさっさと自分の部屋に入って、自分の将来に取り組む人もいますね。

もう「私には八つ当たりさせない!」オーラを発しまくっているわけです。

その代わり自分の将来は自分で考えて取り組む。

そういう子はそもそも父親のアドバイスなんか求めてもいない。

そういう関係を作っている女子高生もたくさんいる。

精神的に「自立」しているわけです。

もう何も言わせない。その代わり自分も泣き言を言わない。

自立できないのは自分が相手に依存しているから

なぜ、そんな「怒りっぽい」相手に虐げられてもそこに居続けるのか?

それは、自分が相手に依存しているからです。

何か「機嫌を損ねたらまずい」と思っているからです。

自立していたら、たとえ「機嫌を損ねても」困ることは何もないのです。

「まぁ勝手に怒らせておけ!」で終わりです。(笑)

それにですね「怒りっぽい」人というのは、自立して強い人に対しては怒らないんですよ。

自分から見て弱いやつに対して怒る。

特に自分に依存しているやつです。

もうこいつは俺に依存して逃げることはできないと見るや、やりたい放題ですよ!

そういうところで暴君が誕生する。

対策は、「なぜ私はこういう暴君に依存しているのか?」です。

「こんなに虐げられても、こういう暴君に依存し、しがみつき続けなければならないほど、私は情けない人間なのか?」と自分に問うことです。

これが私の生きる道という人には何も言うことはありません。

それがその人の選んだ人生です。

しかし「よし私は自立する!」と腹を決めてごらんなさい。

たとえ、それを口に出さなくても、まだ実行していなくても、オーラが違ってきますから。

ん!こいつは怒鳴っても前みたいにすぐに「ごめんなさい。申し訳ありません。」と言わないぞ。

その腹の座ったオーラが相手との関係を変えることあります。

もうこいつには「八つ当たりできないな」と感じさせるのです。

先の「女子高生」と同じですね。

自立以外の道

もし自立する自信がなく、相手に依存し続けるしかないと思っているなら、できるだけ「触らぬ神にたたりなし」戦略で、相手のボタンを押さないようにして、機嫌よく生活することです。

いつも怒るなど、ネガティブな感情や思考にまみれている方が、通常は身体に早くダメージを受けます。

自分はできるだけ機嫌よく過ごすことで、相手よりも長生きします。

そうすると相手が旅立った以降は自分の天下になりますからね(笑)

自立した人を見分ける方法

あなたがもし、これから人生のパートナーを選ぶのなら、自立した人を選びたいですね。その時は以下の方法で見分けることができます。

すなわち、相手との会話に「自分」以外の人物が登場しないということです。

会話をしていて「お父さんが、お母さんが、会社の上司が、〇〇先生が・・・」というように自分以外の人が登場し、その人の行動に影響しているなら、その人は自立していません。

その人は、その誰かに依存しています。

ですから、最終的にはその依存がなんらかのネガティブ性を二人の関係に持ち込むことになります。

ですから、会話の中にその人以外の人物が出てきたら、その人はネンネちゃんだと思って静かに去ったらいいですね。

その人は自分のことを自分ひとりで決められない。

自立したパートナーが欲しければそういう人はやめといた方がいい(笑)

自分以外に基準がある人に「人のせい」があるのは当たり前ですよね。

それが「あなたのせいよ!」というケンカを生む。

そもそも自分が自立しておらず、自分自身で自分の人生を決めていないことで生じた問題を「あなたのせい!」と八つ当たりするのだから、もうつきあってられないわけです(笑)

それを説明しても聞く耳もたんわけですから。

一生それにつきあうか、静かに立ち去るしかない。

そもそも自立していない人をパートナーに選ばないのが一番いい。

誰もがいつか自立を学ぶ時が来る

しかし今生ではないかもしれませんが、誰もがいつか自立を学ぶ時が来るんですよ。

色々と理不尽なことを甘んじて受けなければならないのは、究極的には自分が誰かに依存し、自立していないからです。

相手が変わってくれるまで自分は幸せになれないと思っていると、いつまで経っても幸せにはなれません。

ですから、自分自身で自分の人生を幸せにするには、誰かに依存する生き方をやめる必要がある。

依存の関係のあるところ必ずネガティブな要素が潜んでいます。

それは仕事でも人間関係でもあらゆることで同じです。

ネガティブな要素のない関係とは

ではネガティブな要素のない関係とは、お互いに自立して依存のないふたりが、お互いに喜びから分かち合い、共に過ごし、何かを創造するときです。

そこにどんな「強制」も「圧力」も何もない時です。

自分の人生の人間関係をみて、そこになんらかの「強制」も「圧力」があるなら、必ずネガティブな要素が潜んでいます。

どんな「強制」も「圧力」もなにもない

どんな「強制」も「圧力」もなにもないとは、いつどの瞬間でも、自分も相手も立ち去ることができるほど強く自立しているということです。

そのいつどの瞬間でも、立ち去ることができる強さをお互いに持っていることをお互いが知っており、それを尊重しあっています。

しかし、二人で過ごすことが楽しいから、共同創造することに喜びを感じるから、一緒に過ごすのです。

それがあまりに楽しいから、立ち去るということは思いつきもしない。

相手に期待することは、何もありません。

「相手に対する期待」がすべての不幸の源ですからね。

「相手に対する期待」は何もない。相手に対して何の「強制」も「圧力」もない。

でも一緒に過ごすと楽しいから、喜びあふれるから、ただそれだけの理由で一緒に過ごす。

それが真にネガティブ性の入らない関係です。

それが私たちの魂が目指す地点です。

私たちの魂は本来そのように存在しています。

ですから、私たちの肉体の転生を超えた本質である魂のあり方に、何かに依存したがる肉体的な現実が、徐々に「自立」というものを学び、魂の本質に沿った生き方を志向していくことは避けられません。

それを今生でやるか、来世でやるか、あと千回くらい依存の人生をやってから取り組むかは自分で決めることです。

しかし、最終的には自立を学ぶことは避けられません。

何かに依存し、ネガティブ性を甘受する生き方に最終的に自分の魂は耐えられないからです。

これからは、自分を大切にできる方を選択する癖を身に付けて、自分を強くしていきます!

それはすべての魂が必ず向かう生き方です。

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