質問をいただきました。
お聞きしたいことがあります。
“人を犠牲にしてはいけない”
“人の犠牲になってはいけない”
もう少し、このことを理解したいのです。
数日前、私が自分のしたいことをするために、子供をおばあちゃんに預けました。
おばあちゃんのうちに預けられるのが好きではないのは知っています。
でも、お願いしていました。ごくたまに、預けることがあります。
その日は離れる時から様子がおかしく、「早く帰ってきて」
と言われました。
なるべく早く戻りましたが、わりと泣いていたそうですし、
私に会うと、怒っていました…
この時に思ったんです。
私が自分のハートの喜びに従うことをするために、子供に辛い思いをさせる?
これは、犠牲にしてるってこと??
“人を犠牲にする”ってどういうことなんだろう。。。
子供を泣かしてまで、私は自分のしたいことを優先するのが、
自分にとって気持ちいいのか、、、
それとも、子供がそういう風になるのは、私の意識の方に問題があるのか。
私側のなにかを変えれば、子供の様子も変わるのかな…
泣いて怒っている子供を見て、”私がどう捉えるかだけ”なのでしょうか。O(2017年7月25日 8:35)
今回は子供の様子を見て「今日はちょっとご機嫌斜めだから連れていくわね」という臨機応変の対応もよかったかもしれませんね。
というのは一度、トラウマになると非常に預けにくくなるからです。
「自分にとって気持ちいいのか、、、」そういう疑問があるなら、より改善できる点があるのかもしれません。
そして常に改善点があるのが普通です。
宇宙は無限の進化です。
それが宇宙の進化の原動力ですからね。
“人を犠牲にしてはいけない”
“人の犠牲になってはいけない”
ですが、
“人を犠牲にしてはいけない”のは自分よりも力の弱い存在に対してです。
“人の犠牲になってはいけない”のは自分よりも力の強い存在に対してです。
子育てというのは犠牲などではなく、純粋な喜び
赤ちゃんが生まれたのに、「私は子供の犠牲にならない」と親が子供の世話を放り出したら、
子供は困ってしまいますよね。
だから子育てをすることで「自分は犠牲になった」と思う人は、まだ子供をつくるべきではありません。
子供をつくる人は、子育てをすることに喜びを感じる人がすべきです。
夜中におっぱいをあげることも、おしめをかえることも、風邪をひいて咳込むときに一晩中抱っこしてあやすることも「喜び」に感じる人ですね。
そういうことは身体的にはきついんですよ。
眠たいし体も疲れるのです。
当たり前です。
でもそれに喜びを感じる人ですね。
そういうことに喜びを感じられない人が子供をつくると、ご本人も子供も不幸です。
子育てというのはたしかにきついことがたくさんあるんですよ。
しかし、たくさんのプレゼントもある。
例えば、小さな手、小さな足、
長く大人の世界で暮らしていると、こんな小さな指に爪があるのさえ不思議です。
いつまで眺めていても飽きない。(笑)
子供というのは神秘です。
それにかわいい。
先日も温泉に入っていたら、お父さんと3才くらいの女の子が入ってきました。
まず声がわかいい(笑)
子供の声というのはどうしてあんなにかわいいのか(笑)
それに夢中になって水鉄砲して遊んでる。
私も自分の子供と一緒にお風呂に入った時は、ふざけてお湯かけられることもあるので、手で水鉄砲を作って反撃してやります(笑)
私は水鉄砲が得意ですからね。
逃げても無駄なんですよ!風呂の隅まで届きますからね(笑)
まあそういう楽しいことがたくさんある。
肩車もたくさんしましたが、せいぜいできて数年間ですよ。
幼稚園くらいから、小学校3、4年くらいまでかな。
もう6年生とかになったら無理ですよ。
子供によっては親より重くなりますし(笑)
「子供が子供でいてくれる時期」というは矢のように過ぎていくんです。
ですから、二度と経験できない貴重な子育ての日々を目一杯楽しんだらいいんです。
他のことならいつでもできます。
しかし子育てというのは今が旬なんですよ!
そして旬は短いのです。
だから今しか味わえない貴重な経験をめいっぱい味わうべきです。
たとえば、もう6年生になって肩車したいと思っても無理です。
子供もしがらないし、重くて体力的にもきびしい。
もう肩車の旬は過ぎてしまいました。
そうすると、あのショッピングセンターで子供を肩車して歩くという誇らしい経験は、人生でもう二度と経験できないのですよ。
海水浴で子供の浮き輪を押して泳ぐという素晴らしい経験も二度とできないのです。
その短い旬に素敵な経験をたくさんすることです。
他のことは後でもできる。
しかし、子育ては今しかできないのです。
そうすると他のことはどうでもよくなるのです。
つまらん映画を見に行くよりも、ショッピングセンターで子供を肩車する方がよほど素晴らしい経験です。
ぜひ今旬の子育てという二度と経験できない素晴らしい体験の数々を味わい尽くしてください!
子育てというのはまったく犠牲などではありません。
純粋な喜びですよ!
関係者すべてが「ハートの喜び」に生き、喜びを分かちあう生き方が「必ずある」
それで現実問題として、やはり子育ての息抜きをしたいこともある。
気分転換をしたいこともある。
それもわかります。
まずその「私が自分のしたいこと」というのは、子供が家にいてはできないのか。
できないのなら、もう夏休みかもしれませんが、子供が幼稚園や学校に行っている時間帯にできないのか。
家事もあるでしょう。
なら食後は自分の食器を食洗機に入れるというところまで習慣にできないか。
洗濯物も脱いだら洗濯機に入れておくところまで習慣化できないか。
掃除は買い物に出かけている時に、ルンバが自動掃除するような家具のレイアウトにできないか。
そこまでできたら、あとはスイッチひとつで自動で家事ができてしまうんですよ。
「自分のしたいこと」する時間をつくるために、人に何かを求める前に、自分でできることがまだあるんじゃないか。
まずはそこから改善していきます。
さて、それをやったうえでまだまとまった時間が欲しいとします。
それを「喜びから」できるように工夫します。
「おばあちゃんのうちに預けられるのが好きではない」ということですが、
お盆や正月におばあちゃんちに遊びにいくのが大好きな子供はいくらでもいます。
お年玉ももらえますしね。(笑)
それに孫というのはたいへんにかわいいものなのですよ。
だから自分の親に孫と過ごす時間を楽しんでもらうんですよ。
そりゃ年中押しつけられたら嫌かもしれません。
しかし、たまに孫とふたりでおて手つないでショッピングデートとか最高です。
もうなかなか手をつないでデートとかするチャンスないんですよ!
そりゃ楽しいですって!
ベンチに座ってアイスクリームか何か食べるんですよ!
私ならキャンプとか、海水浴とか、旅行でも連れていきますね。
ほかならぬ自分の孫ですよ!
私が知っている素晴らしいところをすべて見せてやりたいです。
私にはまだ孫はいませんが、想像しただけでも楽しいですね。(笑)
だから、「自分の時間を作りたい」と思ったら、例えば孫と自分の親がいい関係になるように、小さいころから仕向けていくんですよ。
そういうカルチャーを育むのです。
そうして親には「ちょっと私がしたいことがあるから預かってくれない?」と言うんじゃないんですよ!
「〇〇ちゃんがお父さんとデートしたいんだって!お願できるかしら?」と言うんですよ。
かわいい孫にそう言われたら、ひと肌もふた肌も脱いじゃうんですよ!
そして年中行事化すればいいんです。
すると〇月のこの時期は、毎年孫と貝掘りとか予定が決まれば、そのつもりで動いていきますからね。
そして、子供も親も「喜んで」過ごしている間に、自分は自分のしたいことを「喜んで」するわけです。
すべての人が「ハートの喜び」によって動機づけされています。
自分が「ハートの喜び」に生きたければ、親が「ハートの喜び」に生きることを手伝うし、子供が「ハートの喜び」に生きるのを手伝います。
なぜなら自分から出たものが自分に戻ってくるからです。
そして、関係者すべてが「ハートの喜び」に生き、喜びを分かちあう生き方が「必ずある」のです。
それに向かって、今の現実を、地道に改良していくことが、幸せへの道です。