自然の力は洗脳ですか?

「自然の力の南さんから長崎の天海先生に天海先生が今されている力を伝授して欲しいと連絡があり、天海先生は断っています。」

ちなみに天海先生は、私の前に天光地で講師をしていた方で当時から自然の力にいた伝授者は全員知っています。

2019年3月3日に、元伝授者の和歌山の青山先生から私(榎本)は電話でこの話を聞きました。

青山先生が2018年6月に福岡でセミナーを開催したとき、長崎の天海先生が会場に来てくれたそうです。

その際に、青山先生は天海先生の隣に座って直接この話を天海先生から聞いたそうです。

自然の力の南さんは少なくとも2018年の前半の段階で、元自然の力の伝授者に力を伝授してもらわないといけないほど、自分自身では浄化できていないことを自覚していることになります。

(2019年3月3日追加)


「自然の力ではがわからなかったのですが先生の浄化は、すぐに反応がわかるのがすごいし、不思議です。なにがちがうのですかね?」

初めまして、気功に興味を持ち幾つかのブログを経て榎本先生に辿りつきましたo(^_^)o
自然の力を体験したいと思っていましたが、過去の投稿を読むと洗脳という言葉も出できてたりしていたので自然の力は受けて良いものなのかと不安になりました。遠隔でなく直接の気功を受けたくて色々探してみても私の身体と心の不調を治して頂ける榎本先生のような方が多分私の住んでいる地域にはいないみたいで自然の力という団体が一番近くでお力もあるように思いましたので、こんな質問は失礼になるかもと迷いましたが思い切ってコメントさせてもらいました。どうぞよろしくお願いします。

私は自然の力の天光地と呼ばれている本拠地で7年以上も唯一の講師をしていましたので、一般人としては自然の力について誰よりも詳しいです。

というより、今の一般の伝授者よりもはるかに詳しいです(笑)

洗脳ですね。

ブログにも書きましたが、私が7年8ヶ月の期間にいちばんショックだったことは、

二十歳前後のきれいな伝授者さんとそのお母さんから
南さんから「私とセックスしないと伝授が戻らない」と言われ、一度だけならと応じたけれでも、何度も何度も続き、それが嫌で嫌でたまらないので辞めるという相談を受けたことです。

はっきり言ってショックでしたね。

自然の力の中では南さんの言うことは「絶対」です。
それに反するどんな意見も間違いです。
要はそれを受け入れるか、受け入れないかというだけなのです。

すべての言葉を受け入れた人が今伝授者として残っている人です。

南さんは「受け入れるも受け入れないもすべて自由」と言いますが、受け入れなければ浄化の力である伝授が使えないと言われます。

要するに伝授者であるということは、南さんのどんな言うことも受け入れるということなのです。

もしくはどんなに違和感を感じても黙っている人です。

人には魂があり、すべては自分で判断できる力を持っています。

これは何か違うと違和感を感じるのが魂の働きです。

例えば誰かに「人を殺してはいけない」教えられなくても、それは違和感として誰でもわかりますよね。

「南さんとセックスをしなけば伝授が戻らない」というのは私にはものすごい違和感なんです。

しかし自然の力の伝授者でいるということはそれに「違和感を感じる自分がおかしい」ということなのです。

または本人とお母さんから実際に相談を受けても、南さん自身が認めなければそれは「なかった」ということ受け入れることです。

ご本人とお母さんから直接話を聞けばそれが本当であるということはわかります。

そんな自明なことでさえ、触れてはいけないのが自然の力です。

それも「なかった」ことにして、全員そのことに触れないのが自然の力です。

それも私にはすごい違和感です。

タブーがあるのです。

話してはいけないことがあるのです。

自由な議論はできないのです。

みんな違和感があっても黙っているのです。

その違和感があっても黙っていることが唯一の神様に対する裏切り行為です。

なぜならその違和感は「神様と同じ魂」から来ているからです。

その違和感こそ神様からのメッセージなのです。

みなそれを感じているのに押し殺しています。

「すべては自由」といいながら実態は発言の自由さえありません。

いつもみんなはこれを言ったら伝授が切れないか、常にそれを意識しているのが伝授者です。

もちろんこの件も口にすると伝授が切れる設定になっています(笑)

そして自然の力の中ではなかったことになっているのです。

なかったことになっているから誰も教訓を学びません。

こういうのを洗脳というのです。

南さんはどんどん耳が遠くなりました。

今すごく耳が遠いのです。

近くで大きな声で言わないとぜんぜん聞こえません。

耳が遠いというのは「霊性が閉じている」ことをあらわします。

聞く耳をもたないのです。

人の言葉も、インスピレーションも波長が違うだけで、「聞く耳をもつ」という意味では同じなのです。

ですから最近の教えは「ちんちんがなくなった」とか「名前がなくなった」とか、そんなことを理解しても人生に何の役にも立たない話ばかりです。

しかし伝授者は「あ~そうなんだ」と受け入れるしかありません。

まぁ実際に話を聞きに行ってみてください。

その話にはもやは品性、知性や叡智、神聖なものは何も感じられません。

主な話は、ちんちんとお金と恩義の話です。

第1チャクラ、第2チャクラ、第3チャクラが主に活性化している人向けです。

自分の言葉は絶対という人はまさに第3チャクラで生きている人の特徴です。

第4チャクラ以上に達してるいる人は、みな「聞く耳を持つ」人であり、コラボレーションがその人の現実になっています。

自然の力では南さんの言うことは絶対であり、他の人は彼に一切意見できません。

ただ「あなたは伝授が切れてる」と言われるだけです。

絶対的な主従関係があります。

一方通行なのです。

自分は弱く間違っており、誰かに導いてもらわなければならない、自分ひとりでは何がいいのか判断できないという人向けです。

第4チャクラ以上に達してる人の人生では主従関係が見られなくなっていきます。

人は誰でも「神様と同じ魂」をもっています。

人はすべてその自分の「神様と同じ魂」を使って、自分の人生のすべてを判断できるのです。

魂は、違和感やフィーリングで私達を導きます。

自分の「神様と同じ魂」からくるフィーリングに耳を傾け、それに従って判断し、人生を生きることが自分の人生を生きることなのです。

神様は人に自由意志を与え、人に自分の人生を自由に創造する力をお与えになったのです。

自由にです。

自由というのは、自分の魂以外に価値判断の基準をもたないということです。

魂は永遠の存在です。

ですからその永遠の中で、神様は人のすべての創造を許容されているのです。

神はこの世の殺人があることでさえ許容されているのです。

永遠の転生の中で、その意味を学ぶことを許容されています。

神様は決してNOと言われないのです。

すべてをご存知の上で、人を殺そうとしている人の心臓を事前に止めたりされないのです。

人が原爆を作り、一般の市民の上で炸裂させることさえ見守っておられるのです。

そして、原爆を落としたエノラゲイの操縦士も愛し、彼が残りの人生で自分のなしたことを見つめ続けることで成長することを許容されるのです。

それが神様の愛です。

あらゆることを自分の魂で判断し、あらゆることを自分の魂で感じることを通じて学びなさい。

それが神様です。

ですから、人に価値判断を与え、「お前は間違っている」という人はすべて、その「神の意向」を踏みにじっているのです。

すべて自分の内にある「神様と同じ魂」のフィーリングに従って、自分の人生を自由に創造しなさい。

そして、それがどんなものであれ、その多様性と、それがどんな教訓であれ、その教訓を通じて学びなさい。

そのすべてを愛されるのが神様です。

神様は、人が暴力や支配を体験し、味わいつくすと、人が自らそれを止めることをご存知なのです。

まだそれを理解していない魂はそれをやって自らの経験にしているのです。

それをやってみることを、永遠の魂の転生の中で許容されているのです。

人の一生など無限の転生に比べたら、一瞬にも満たないことをご存知だからです。

神様から見たら、人が自分なりに幸せを求め、自分の内にある「神様と同じ魂」のフィーリングに従って、判断し、創造し、行うことに間違いは一切ありません。

唯一、間違いと言えることは、人に価値判断を与え、「お前は間違っている」、これをやれと言ってさせることです。そして人が感じる胸の違和感を無視させることです。

実際、すべての悲劇はこのようにして起こります。

人にお前は自分で判断することはできない。私の言うことを聞くべきだと信じ込ませることです。

そのこと自体が人に自分の内にある「神様と同じ魂」と向き合うことから遠ざけているのです。

人を神様から遠ざけることはこれしかありません。

ですから、その人から自分の内にある「神様と同じ魂」以外のものを信じさせ、従わせることはすべて洗脳なのです。

皆が自分の魂から感じる胸の違和感よりも、南さんの言うことが正しいと信じている集団の中で、自分もそれを受け入れてしまった後では、自分の判断力でそこを抜け出すのは非常に難しいのです。

なぜなら、もはや自分の判断力を信じておらず、南さんの判断に自分を委ねてしまっているからです。

そうなると自分の人生の絶対的権威は、自分の魂ではありません。

自分の魂を失うというのはこういうことを言うのです。

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