【自分の人生に神性を宿すのはあなただ】どこであれ、何であれ、誰であれ、あなたが愛するとき、それに神性が宿る

ご質問をいただきました。

自分の思いや感情が現実を創ることがわかった今 なんとか死への恐怖も超えたいです。(2017年2月1日 1:56)

人間の本質は魂であり、魂(意識)は永遠であるということを知ることです。

それこそ、自由にのびのびと楽しみながら 人生を謳歌するために、今一時的に肉体と呼ばれる存在に入って楽しんでいるだけなのです

だから、あらゆることをただ「過ぎゆく出来事」として捉えることです。

だって、そうなのですから!

万物は生々流転、あらゆるものが「過ぎゆく出来事」なのです。

それ以外のものは何もないのです。

日本人はそのことを深く知っていますよ。

私たちは輪廻転生を文化的に深く受け入れてきた世界でも稀有な民族です。

わたしたちはそのすべての「過ぎゆく出来事」を自由にのびのびと楽しみながら 人生を謳歌すればいいのです。

そのために必要なことを、ただひとつ。

「過ぎゆく出来事」に執着しないことなのです。

すべてを楽しめばいいんですよ。

バリ島では死は祝うべきことです。

卒業式です。

みんなお祭りをして送り出してあげるんですよ。

死は次へのスタートだと知っているのです。

魂は永遠であり、あらゆる出来事は次へのスタートです。

それを理解することが、あらゆる「出来事の結果」に執着する気持ちを解き放つ鍵です。

そして、不安、心配、恐怖は愛の不在なのです。

自分の生活の中でできるだけたくさん愛し、愛を表現したらいいんですよ。

植物を愛したいのなら植物をとことん愛したらいいのです。

無農薬のりんごを育てるためにりんごの樹を愛したらいいんですよ。

そうしたら、不安も心配もなくなります。

なんでもいい。誰でもいい。

あなたがとことん愛せるななんでもいいのです。

この世に神でできていないものなど何もないのですから。

スティーブ・ジョブスは死に際して、「今やっと理解したことがある。私が持っていけるものは、愛情にあふれた思い出だけだ。」と言いました。

まさにその通りなのです。

誰でもそうです。

わたしも「10代後半の絶望と淡い恋」について書きましたけどね。

そのころもたくさん、おいしいものを食べ、買い物をし、他のありとあらゆることをしたはずなんです。

しかし、何も覚えていないんですよ。

この手もつながなかった恋が一番の思い出です。

人間にとって、愛情にあふれた思い出以外に意味あるものなど何もないのです。

覚えていないんですよ!

無意味なのです。

どんなにご馳走を食べても、どんなにいい服を着ても、そこに「愛情にあふれた思い出」がなければ、すべては虚しいのです。

何を着たか、何を食べたか、そんことは覚えてやしません。

いつまでも覚えていて忘れられないのは、「愛情にあふれた思い出」だけです。

そして、何かを誰かを、とことん愛するとき、不安や心配、恐怖はどこかに吹き飛んでしまうのです。

戦中戦後を生き抜いた親たちは、とにかく家族を守ろう、食べ物を手に入れようと必死ですよ。

そんな不安とか、心配とか、恐怖とか、そんなことは吹き飛んでしまうのです。今よりはるかに過酷な時代ですよ。

何であれ、愛に生きたらいいんです。

思いっきり愛に生きたらいいのです。

出し惜しみせず、全力で愛に生きたらいいんです。

あなたが愛するものが何であれ。

この世はすべては神でできているのですから。

そして、あなたが何であれ愛に生きるなら、不安はありません、心配はありません、恐怖はありません。

愛は永遠を垣間見させるからです。

神は愛だからですよ。

だから自分が愛したいものを誰もが全力で愛して生きたらいいんです。

それだけが記憶に値するものです。

自分の人生のあらゆるものを愛したらいいんですよ。

私は自分の車を愛していますよ。16年、16万キロ、愛するとお金がかからないんです。

私は自分のバッグを愛していますよ。

学生時代から同じヤツです。さすがにぼろぼろになったから2代目になりましたけどね。

私はそれを毎日自転車に乗って使っている、買い物に使っている、スペイン巡礼をそれで行く、バリ島自転車ツーリングにそれでいく、すべてひとつです。思い出いっぱいのそのバッグをとても愛しています。だからぜんぜんお金がかかりません。

自転車もそう、コップもそう、・・・

身の回りのことすべてを愛すると人生ぜんぜんお金がかかりませんよ。

今やっている仕事を愛すると仕事が上達します。

趣味を愛すると趣味が大きな喜びを与えてくれます。

動物を愛すると動物が大きな喜びを与えてくれます。

人を愛すると、人生で最も大切な「愛情にあふれた思い出」がたくさんできます。

要するに愛すればいいんですよ。

片思いでいいんです。

見返りなんて、求めちゃいけない。

それは取引だから、愛じゃないから。

自分の人生に取引じゃない、本当の愛でいっぱいにすればいいんだ。

愛は喜びにあふれていることですよ。

だって、自分が大好きなことですからね。

喜びがなければそれは愛じゃない。

自分を偽っている。

さびた自転車でも、バックでも、コップでも、りんごの樹でも自分の愛したいものを全力で愛したらいいんですよ。

この世のすべては神でできているのだから。

どこであれ、何であれ、誰であれ、あなたが愛するとき、それに神性が宿るのです。

なぜならあなたが神の一部だから。

あなたが愛するとき、あなたはあなたの自分の周囲のすべてに神性を宿していくのです。

自分の人生に神性を宿すのはあなただ。

あなたが自分の人生のすべてを愛することによって、自分の周囲のすべてに神性を宿していくんです。

相手は関係ないのですよ!

あなたの中に愛があるかどうかだけが重要なのです。

あなたが見返りを求めず、喜びにあふれて、何かを愛することができれば、それだけでいいんですよ。

「あなたが」神性を宿すのです。

相手じゃない。

ものじゃない。

「あなたが」神性を宿すのです。

あなたが真の錬金術師なのです。

どうやって?

愛することによってです。

「神は愛である」というイエスの言葉は本当に深い言葉です。

ほんとうにその通りなのです。

ほんとに、ほんとに、その通りなのです。

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