不平不満の源は、自分以外の誰かに何かを求めることにあります。
友達が〇〇してくれない、学校は〇〇してくれない、会社は〇〇してくれない、国は〇〇してくれない、親が〇〇してくれない、兄弟は〇〇してくれない、妻は〇〇してくれない、夫は〇〇してくれない、〇〇が〇〇してくれない。
誰かに何かを求めている限り、不平不満が尽きることがありません。
不平不満をなくす方法がひとつだけあります。
誰かに何かを求めることをやめることです。
もし、自分の中に不平不満があるなら、自分が誰かに何かを求めていることを示しています。
赤ちゃんはお母さんのおっぱいを求めます。
それが満たされなければ泣きわめきます。
子供は「お腹すいた」と食事を求めます。
食事が遅くなれば不機嫌になる子もいるでしょう。
赤ちゃんや子供が、親に何かを求めるのは仕方がありません。
彼らはまだ未熟だからです。一人前ではないのです。
自分で自分のお世話をできないから、親に求め、それが満たされないと不満に思います。
成長し一人前になると、自分の世話は自分でできるようになります。
自分の必要性は自分で満たすことができるようになるのです。
雨の降らない暖かい家も自分で用意できる、食事も自分でありつくことができる、服も自分で手に入れることができる。
人に何かを求め、それが満たされないからと文句を言い、不平不満を持つ必要はありません。
彼氏彼女ができても、相手に何かを求めることを当然と思うと、必ず不平不満がでます。
求めることを当たり前と思うことと不平不満は同じコインと表と裏だからです。
そして、その不平不満が相手に対する文句になり、ケンカになり、ふたりの仲を壊していきます。
その源は相手に何かを求めることを当たり前と思う、自分にあったのです。
しかし、求めないのに与えられることがあります。
成長した人は、自分のことは自分で満たせるばかりか、人に何かをしてあげる余裕をもつようになります。
ただ相手に何かしてあげたい。食事を作ってあげたい。
誰かが自分のために「あなたに食べてほしいから」と食事を作ってくれた。
それはもう、あり得ないほどの奇跡です。
あなたは自分で好きなものが食べられるのに、私の作ってくれたものを食べてくれてありがとう。
自分で自分を満たすことができる成熟した大人は、誰かが自分の愛を受け取ってくれるだけで喜びにあふれるのです。
自分の愛を受け取ってもらえたことが、ただうれしいのです。
自分で自分を満たすことができる成熟した大人は、自分で食べたいものを食べ、自分を自分で満たすことができます。
自分ですべて満たせるから、誰かに何かをしてもらう必要は何もないけど、でも誰かが「あなたに食べてほしいから」と何かを作ってくれる。
それはもうお金では買えない奇跡です。
相手はそれを食べてくれた。
食事は冷えて無駄になる可能性もあったのにそうならなかった。
愛は受け取ってもらえたこと自体が喜びです。
しかしもし一方が、相手に要求しはじめたら早晩愛は壊れます。
「メシはまだか。」
義務(ねばならない)のあるところに愛はありません。 相手に何かを要求し、それをあたりまえと考えた。そのこと自体が愛を破壊します。
なぜならこの世にあたりまえのことなど、何一つないからです。
神様は私たちが求めていないのに、空気や水、土、太陽の光で植物からありあまるほどの多様な食べ物をどんどん与えてくれています。
それを感謝して私たちが受け取る時、その関係はいつまでも続く営みになります。
もし神様から与えられるものを私たちが当たり前と考え、感謝もなく、水や空気、大地を汚し、植物を切り倒すことも自分の望みのままと考えるなら、その営みは長くは続かないでしょう。
食事を作るのはあたりまえ、給料を持って帰るのはあたりまえ、この家に住むのはあたりまえ、〇〇するのは当たり前と考える時、大切なものが失われます。
人に何も求めなくても、自分のことは自分で満たせる。
そして、自分以外の人に何かをしてあげられる自分になった。
赤ちゃんから大人へなった。
そんなふたりの大人が出あうとき、受け取ってもらえることが幸せ、あなたの笑顔が私の幸せ、あなたのしあわせが私の幸せ、あなたの喜びが私の喜び、・・・・・・・・・
そんなふたりがであって、初めてしあわせいっぱいの純愛の日々がやってきます。
お互いが「あなたの幸せが私の幸せ、受けってくれることがうれしい」、お互いに愛し、愛される喜びに満ちた日々がやってきます。
しかし、愛は相手がそれをするのがあたりまえと考えた瞬間に失われます。愛はもろくて壊れやすい花のようなものです。
神様はもうすでにありあまるほど私たちに与えてくださっています。
ただそれを当たり前と考えたか、ありえない奇跡と考えたか、不幸と幸せの違いはただそれだけです。
誰もが自分の要求を人に求め、満たされないと泣きわめく赤ちゃんとして、この世に生を受けます。赤ちゃんの時は誰もが、親に感謝できるほどには成熟していません。
しかしやがて、自分で自分のことを満たせるようになり、家族や人のお世話をできるようになると、親というものは途方もないエネルギー(愛)を子供に注いでくれたのだということがわかります。
親や祖先のその途方もない愛に気づくと、やがて神様の途方もない愛に気づくことができます。
1、自分の欲求を満たすことを誰かに要求し、思い通りにいかないと、感情的になる人。(赤ちゃん)マイナスの人。
2、自分のお世話は自分でできる人。プラスマイナスゼロの人。
3、家族を幸せにできる人。プラスの人。
4、家族以外の多くの人々を幸せにできる人。プラスの大きい人。
その順番に人は成長していきます。
そして、その順番にその人の幸せも大きくなり、豊かになっていきます。