人事異動で役職推薦を断った「力の使い手」の小学校の先生からです。
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先輩の先生方はびっくりです。退職校長、現教頭先生などで、わたしが大学を出てすぐにお世話になった方々なのですが、「ありえない。」「奥さんには相談したのか」「何を考えているんだ」という感じです。
小学校勤務の私ですが、大変微力ですが、この仕事が好きです。子供と一日ふれあい続けられる環境が、私にとっての天職のように感じています。だから、この環境を手放すのがとても惜しいのです。
一般的な仕事と違って、この仕事は担任を外れると、子供との関わりが格段に減ります。年齢に伴い昇進していかないことは、男にとっては周りから「だめなやつ」と見られる風潮があるのかもしれません。だから同職の妻もはじめは昇進を望んでいました。でも、私が頑固なのであきらめたようですが・・・。本心はどうなのかわかりません。
地域の目、同僚の目、同期の目などを気にすると、わからないでもないのですが、それでも、担任として子供との関わりが楽しいので、これがずっと続くといいなあと今は思っています。(体力的に無理だと感じ、あきらめる時期が来るのかもしれませんが)
わたしの生き方、どうでしょうか。何かゆれている部分が少しあるので、こうして榎本さんから助言をいただきたいと思いメールしました。
よろしくお願いします。 」
「Hさま
おはようございます。
読みました。
私は素晴らしい判断だと思います。
Hさまは子供とのふれあいというハートで感じる愛を大切にされました。
それを天職と感じておられます。
人にとって天職をまっとうすることほど幸せなことはないのです。
それは決してお金では買えない満足感を与えてくれます。
その豊かな満足感、ハートの温かい気持ちは、必ず子供たちの人生や
Hさまご自身の人生に、いい影響を与えます。
ご家族にとってもいい影響を与えます。
お父さんが心に虚しさを感じて過ごすより、
目を輝かせ、ハートに温かいものを感じながら天職をまっとうする姿は、
子供たちにも、人はこうあるべきという素晴らしい見本を示すことになるでしょう。
私は教育委員会や出世に反対なのではありません。
自分の内面を見つめ、自分が天職と思い定めたことを、周囲の反応や金銭的メリットにも関わらず、自分の気持ちを大切にし、貫かれること、そのこと自体が何よりも素晴らしいことなのです。
時が来て、指導的立場に立って仕事にしたいと思うことがあるかもしれません。
内面からその思いが湧いてくれば、それに素直に従えばいいだけです。
先日子供の高校の卒業式に出席してきました。
式後のクラスで担任の先生は、いつか校長になって学校を変えたいと言われたそうです。
そのクラスは、進学クラスなのですが、実は学校の宿題をまともに出さない子供が少なくありません(笑)
しかし、最も優秀な生徒たちは、そういう生徒たちの中にいるのです。
自分が今何をすべきか自分で判断できる生徒たちです。
そして、周囲がどんなに圧力をかけようと、自分で考えた自分の判断にしたがって行動し、自分の人生を切り拓く生徒たちです。
年度末になり、そんな生徒たちの結果を見るにつけ、押さえつけ、尻をたたく教育では未来がないことを痛感されたようです。
うちの子は思うことが実現するという分野の古典である「思考は現実化する(ナポレオン・ヒル)」を自分の小遣いで買って読んでいるのですが、何とその先生が卒業式の日のクラスでそのことに言及されたというのです。
時代は変わってきました。
私は自分の子供が、今の教育の不満を口にするのを何度も聞いてきました。
そんな時、「そういうことを身をもって経験し、こんなことではいけないと思った人が教育を変えていく」と言ってきました。
同じことを感じた同級生が大学を出て、先生となり、教育委員となり、校長となり、文科省の役人となり、ある人は文部科学大臣になるかもしれない。
いずれにしても誰かがそれをやることになります。
「自分が身をもってこんな教育ではダメだ」と感じた大人が、自分の感じたことを、自分の立場や周囲の圧力にも関わらず、自分のハートの思いを貫く時、社会を変えていきます。
Hさまも自分のハートに従って思いを貫ける強い大人です。
その自分のハートに自信をもって軸足を置く生き方は素晴らしい生き方です。
なぜなら、人は満たされた人生を生きるためには、自分のハートの思いを貫いて生きるしかないからです。
どんなに社会的地位や金銭的に豊かで周囲から立派に見える人生でも、自分のハートの虚しい人生は虚しい人生なのです。
そのことを自分だけは知っています。
自分のハートをごまかすことはできません。
今生子供たちに接し続けることを自分のハートが求めるのならぜひそうしてください。
しかし、いつか子供たちのために学校を変えたい、教育を変えたという思いが湧き上がってきたら、ぜひそのハートの思いに従ってためらわず自分の人生の舵を切ってください。
それはいつもいつの時も、「自分がいるべき場所に自分を置く」ということなのです。
それが自分の持ち味を最大限に発揮する生き方です。
Hさまがその自然なハートの思いに従って動くとき、いつか校長になって学校全体を変えたいと思うかもしれないし、地域の教育を変えたいと思うかもしれません。
あるいは教育委員や校長をやりながら、現場で子供たちを教えるという新しいスタイルを導入するかもしれません。
子供たちの幸せ、教育の本来のあり方を自分のハートの思いに従って追求する時、それがどんな立場であれ、生徒から、保護者から、見えない世界からも、背後から熱い応援が送られることを知ってください。
みんなが心の中で、その成功を心底応援するのです。
それがみんなの幸せであり、未来の子供たちの幸せであることを感じているからです。
そして、その未来に転生して、その教育を受けるのは私たちなのです。
それは私たち自分自身のことなのです。みんな当事者です。
いずれにしてもそれは周囲の圧力にも関わらず自分の温かいハートの思いに従って、子供たちのために自分の天職と感じることをまっとうする強い大人が成し遂げる仕事です。
Hさまの生き方は、まさにそういう大人の素晴らしい見本です。
Hさまが生き生きと生きてる姿を見て、お子様たちもお父様を誇りに思うことでしょう。
そして、そのご自身の生き生きと輝く姿を見て、大人って素晴らしいな、私も早く大人になって仕事をしたいな、仕事を通じて人に役に立つって素晴らしいな、というメッセージを子供たちや周囲の人々に送り続けることになるのです。
それは、自分の周囲に対する何よりの贈り物です。
榎本
P.S. ちなみに謙遜でも「微力」などとおっしゃらないでください。
自分の温かいハートの思いに従って、自分の天職と感じることをまっとうする強い大人は、子供たちに、家族に、同僚に、職場全体に、周囲に大変な好影響を与え続けます。そういう先生は子供たちの人生に影響を与え、やがてその子供たちが育む家族にまで影響を与えます。
目を輝かせ、ハートに温かいものを感じながら生きている大人は、八百屋に行って大根を買っても、その満たされた表情と優しい眼差しでお店の人に好影響を与えるのです。
そのような人は社会の中で輝く太陽のような存在です。
どうかご自分のハートの温かさで周囲を照らし続けてください。