怒りっぽい人がいます。
怒りっぽい人になぜ怒っているのか理由を聞くと、誰々がこれこれだからだとそれなりの理由を言います。
しかしなぜ「怒りっぽい」という言葉があるのでしょうか。
それは怒る人自身に原因があることを示しています。
もし、相手に原因があるなら、その相手の特定の行為以外では決して怒らないはずです。
しかし怒りっぽい人というのは、相手が誰であれ違う行為であれ、とにかくしょっちゅう怒るから「怒りっぽい」のです。
怒る人はいつも怒る理由を探しています。
だから怒る本当の原因は、その怒りっぽい人自身にあります。
怒らない人は1年中怒りません。
しかし、怒りっぽい人は、他の人が怒らないようなことでさえ怒り散らすのです。
それは怒りっぽい人に問題があるからです。
不平不満も思うその人自身に原因があります。
(その理由は先の記事に書いた通りです。)
それは怒りっぽい人同様、その人の自身の問題なのです。
なぜなら同じような目にあっても1年中怒らない人がいるし、1年中不平不満をもたない人がいるからです。
しかし、怒りっぽい人や不平不満の人は、自分が怒ったり不平不満をもつのはあいつのせいだと考えています。
でももしそれが本当なら「怒りっぽい」などという言葉は存在しないのです。
「怒りっぽい」という言葉が存在すること自体が怒る人に原因があることを示しています。
今怒っている人、不平不満を持っている人、これまで怒ってきた人、不平不満をもってきた人、
そして、それを相手のせいだと考え、誰かにその怒りや不平不満をぶつけ、陰口を言ってきた人。
その怒りや不平不満の原因は、実は自分にあったのです。
それを相手に原因があると考え、相手をののしり、相手の陰口を言ってきた。
今まで怒り、不平不満をもち、それを相手にぶつけてきた人は、相手にどれだけの悲しみを与えてきたか知らなければなりません。
怒るのは怒るその人自身に原因があります。それを原因のない人に対してののしり怒りをぶつけてきたのです。
自分が今まであいつのせいだと考え、怒り不平不満をぶつけて来たその因果の大きさを思い知らなければなりません。
無実の人をムチ打ち続けてきたその因果の深さを思い知らなければなりません。
それに気づかない人が救済されることなどありえません。
また何度でも同じことを繰り返すからです。
その体の不調、痛み、降りかかる不幸はまさにその人にふわさしいのです。