【メタモルフォーゼ13】一生お金に困らずに暮らし「幸せと安心と豊かさ」の好循環を生み出す方法

メタモルフォーゼシリーズ続いています(笑)

だいたい、苦しい辛い悲しい不安なことはびっくりするくらい簡単に想像して考えることができて、その逆の楽しい幸せなことを考えるのは難しいって、これ、完全に何かが狂ってるのでしょうね。

いろいろなものに洗脳されてるというか…
コントロールされているというか…
楽しい幸せなことを考えても「いやいや、そんな簡単にうまくいくわけないって。そんな楽に叶うわけないって。」みたいな突っ込みが自分の中で出てくるんですよね。

本来は幸せで安心なのが当たり前なのに、「そんな簡単に幸せになったり、手に入れられるなんて甘いよ。苦しいのがこの世の中なんだよ。」みたいな。
私はもうそれが嘘だということは、知識としては知って、完全に受け入れてはいるんです。
でも、その悪魔のささやきみたいなものについ騙されるというか…
引っ張られるというか…
ずーーーーっとそちらを軸に生きてきたからなんでしょうね。

幸せと安心と豊かさに常に意識を向けて、それが本当。それが当たり前。これに軸を置いて生きていけるようになりたいのです。
これはやはり、クセを直すための訓練が必要なのでしょうか。
そう思うと、なんだか直るまでに途方も無い時間がかかってしまいそうで…(*_*)
いや、でも、幸せと安心と豊かさに意識を向けて生きたいです!
だってそっちが本来の姿なんですものね!
それに気づいたのに、そっちへ行かないなんてもったいなさすぎる。

同じような人、たくさんいると思うんですよ。
気づいたことは気づいた…でも、やっぱりまだ苦しいよ。どうしたら安心で幸せで豊かな世界に行けるの?って。
みんながそっちの世界に行けるといいですよね!

 M(2018年3月30日 7:18)

だいたい、苦しい辛い悲しい不安なことはびっくりするくらい簡単に想像して考えることができて、その逆の楽しい幸せなことを考えるのは難しいって、これ、完全に何かが狂ってるのでしょうね。

完全に狂ってますね!(笑)

楽しいイメージが自分の中にいっぱいになってから実行すべき

例えばある人が初めて水泳を習うとしますね。

「苦しい辛い悲しい不安なことはびっくりするくらい簡単に想像」したとします。

私はきっとうまく泳げなくて、水を飲んでバタバタし、苦しくてもがいてきっと水の底に沈んで二度と浮かんでこれないだろうぁな~みないなことですね。

もし、そんなことを想像しているなら、そんな時にプールや海、川で泳ぐ練習をすべきではありません。

そういう現実を創造する可能性が高くなるからです。

それは本当に危険なことです。

思うことは現実化するのですから!

まず自分の中のイメージをしっかり変えるべきです。

お兄ちゃんやお姉ちゃんたちもあんなに楽しそうに泳いでいるのだから私もきっと泳げるようになるはずだ!というイメージですね。

きっと楽しいに違いない!

そういう楽しいイメージが自分の中にいっぱいになってから、そのイメージが揺るぎないものになってから、川や海に近づくべきです。

これはすべてのことについていえます。

特に何かを新しく始めるにあたって、「根拠のない自信」が大事なのです。

初めてすることはみんな未経験ですから「経験による自信」は持ちようがないのです。

ですから、きっと何とかなる!という「根拠のない自信」しか持ちようがありません。

きっと何とかなる!という「根拠のない自信」を持って臨むことがとても大事なのです。

一年生になったら!

一年生になったらという歌がありますね。

一年生になったら!

一年生になったら!

友だち100人できるかな

・・・

これを幼稚園では一生懸命歌わせますが、とても素晴らしいことです。

誰もが小学校に行ったことがないわけですから、みんな未経験です。

未知なことはみんな不安です。

しかし、

百人で食べたいな

富士山の上でおにぎりを

ぱっくん ぱっくん ぱっくんと

百人で駆けたいな

日本中をひと周り

どっしん どっしん どっしんと

百人で笑いたい

世界中を震わせて

わっはは わっはは わっはっは

こうして大きな声で歌って、

「どっしん どっしん どっしんと」

「わっはは わっはは わっはっは」

とお遊戯するわけです。

自然と1年生になるって楽しいなというイメージを体でつかみます。

とても素晴らしいことです。

幼稚園の先生の良心を感じますね。

すべての物事に対して大人は子供に「一年生になったら」と同じことをすべきなのです。

きっと楽しいぞ!というイメージを繰り返し繰り返し声に出して体を動かして表現していくことですね。

私たちは人生についても同じことをすべきなんですよ!

いろいろなものに洗脳されてるというか…コントロールされているというか…

いろいろなものに洗脳されてるというか…
コントロールされているというか…
楽しい幸せなことを考えても「いやいや、そんな簡単にうまくいくわけないって。そんなに叶うわけないって。」みたいな突っ込みが自分の中で出てくるんですよね。

いろんなものに洗脳され、コントロールされていることにお気づきですか?

素晴らしいですね!

多くの方が自分が洗脳され、コントロールされていることに気づいていません。

なぜテレビのCM枠があれほど高価なのか。

なぜ電通や博報堂が日本で最も高給な会社のひとつなのか。

テレビCMでおいしそうにハンバーガーをぱくつくと映像を見ると、翌日売り上げが増えるからです。

人々は自分の食事を自分で選んでいるのではないのですよ。

テレビで見たイメージで無意識に食べているのです。

その効果が高いからCM枠があれほど高価なのです。

多くのものごとについて人々は「自分で選んでいると思わされているだけ」で実は誰かに洗脳コントロールされているのです。

ニュースであれほど、事故や事件のことばかりいうのもネガティブな洗脳ですね。

私の人生では、何の事件に巻き込まれたこともないし、多少の交通事故を経験したくらいです。多くの人にとって、それは日常の出来事ではないのですが、それを毎日見せられているのです。

私はもうそれが嘘だということは、知識としては知って、完全に受け入れてはいるんです

本来は幸せで安心なのが当たり前なのに、「そんな簡単に幸せになったり、手に入れられるなんて甘いよ。苦しいのがこの世の中なんだよ。」みたいな。
私はもうそれが嘘だということは、知識としては知って、完全に受け入れてはいるんです。
でも、その悪魔のささやきみたいなものについ騙されるというか…
引っ張られるというか…
ずーーーーっとそちらを軸に生きてきたからなんでしょうね。

その通りですね。

そちらに引っ張られるということは、あなたにとって「悪魔のささやき」の方がリアリティがあるってことです。

ですから、そちらを軸に生きてしまうのです。

人はリアリティがあると「自分が思っていること」を自分の人生で経験するのです。

水戸黄門でも「人生楽ありゃ苦もあるさぁ~」と繰り返していましたからね(笑)

水戸黄門に洗脳されていますよ!(笑)

幸せと安心と豊かさに常に意識を向けて、それが本当。それが当たり前。これに軸を置いて生きていけるようになりたいのです。
これはやはり、クセを直すための訓練が必要なのでしょうか。
そう思うと、なんだか直るまでに途方も無い時間がかかってしまいそうで…(*_*)

 必要なことはそれに直面し、その虚構に気づくこと

あなたは「私はもうそれが嘘だということは、知識としては知って、完全に受け入れてはいるんです。」よね!

それが虚構だということに完全に気づけば、その瞬間にそれは落ちます。

例えば、そこには幽霊がいると長年考えていて、ずっと帰宅を回り道をしてきたとしますね。

不安で苦しい人生を歩んで来たわけです。

しかし、ある日の昼間勇気を出してその幽霊に直面しに行きました。

そうするとタダの布きれであることがわかった!

なんだ!

今日から不安で苦しい回り道の帰宅は終わりです。

楽な近道を通ればいい。

「気づき」というのはそういうものです。

ですから、私は遠隔浄化でも「気づき」を非常に大切にしているのです。

幸せと安心と豊かさに常に意識を向けて、それが本当。それが当たり前。これに軸を置いて生きていけるようになりたいのです。

 実はあなたはすでに幸せで安心で豊かなんですよ!

実はあなたはすでに幸せで安心で豊かなんですよ!(笑)

これが答えです(笑)

私は子供の頃、たぶんクラスの中で一番小遣いの少ない人だったと思います。

それでどうしたか?

捨ててあるロープを拾ってきては、がけをよじ登って遊んだり、秘密基地の穴を掘ったり、イカダを組んで海に漕ぎ出して遊んだりしていました。

ぜんぜんお金がかからない!(笑)

中学とか高校になって、「友達が遊びに行こう」というとゲームセンターとか、ボウリングとか、カラオケとか・・・なんでそんなお金もかかる大して面白くもない遊びをしたがるのか私にはまったく理解できませんでした(笑)

タダでもっともっと血沸き肉躍る、大冒険がたくさんあるのに!

一番小遣いの少なかった私は、秘密基地を作ったり、イカダを組んで海に漕ぎ出したりして、最も豊かな子供時代を過ごしたのですよ。

わかりますかね。

お金じゃないんですよ!

私と同じ小学校に通った人は、みんな私と同じことができる可能性はあった。

私の小学校の近くに小山と、川と海があったからです。

そんなところは日本中いたるところにありますよ。

でも多くの人が、お金があったから家でゲームをしたりしているんですよ。

それって不幸ですよね!(笑)

何かを買わないと楽しめない。

もう思春期のころは、周りの友達はみんな洗脳されていましたよ。

「遊びに行く」と言えばゲームセンターとか、ボウリングとか、カラオケ・・・

どうしてそんなお金のかかる(おもしろくない)遊びしか思いつかないのか、不思議でなりませんでしたね(笑)

もうその頃にはすっかり洗脳されているのです。

お金がなくてもすでにこの世界は途方もなく豊かなのです。

ただそれにアクセスする方法に思いを巡らすことができなくなっているだけです。

洗脳ですよ!(笑)

例えば美術館に行って多くの人が、ありがたがって絵を見たりしていますよね。

広大な海とか、水平線とか、海に落ちる夕日とか、連なる山々とか・・・

そんな風が動き、花が咲き乱れ、香りもあり、鳥が飛ぶ、偉大な風景がいくらでもタダでみられるのに、小さな額の中に描かれた動かない絵がなぜそんなに面白のか私にはわかりません(笑)

真に偉大なもの、真に豊かなものはそういうものですよね。

まずは夕日の浜辺を散歩すべきなんですよ!

実際の夕日の浜辺より豊かな絵を私は見たことがありません(笑)

ほら、あなたは今生きているから安心安全ですし、偉大な海も山の途方もない豊かさもあなたのものです。多くの人が「人工物」に意識を釘づけにされて、そういう真の豊かさに気づいていないだけなのです。

たとえば私は学生の頃もあまりお金がなくて、パンの耳を2年間くらいずっと切らさず食べていました。キャベツの千切りも私の定番でしたね(切るだけで簡単なので(笑))

その頃実家に帰るのに、2、3回ヒッチハイクで帰っています。

トラックの運転手さんに「乗せてください!」って言うんですよ。

結構乗せてくれます。(笑)

夜中に走ったりする運転手さんは暇だから、話し相手がいるから面白がってくれますよ。

ある時はまだ、荷物を受けとる前にトラックをつかまえてしまって一緒に荷受けに行きました。運転手さんは「待ってたらいいよ」と言ってくれたのですが、手伝わない訳いかないじゃないですか!一緒になってトラックの荷揚げやっていたらクタクタになって、「これなら荷物運びのバイトして列車で帰った方がいいな」と思いましたね。(笑)

おいちゃんのエロ話を「へぇ~ ほぉ~」とか聞いていたら、降ろしてもらうところを通り過ぎてしまって、「ここでいいから」と高速道路の路肩に降ろしてもらったこともありますよ。

そこからすぐに高速道路の脇に出て(危ないから!)夜明け前の道なき道を山をかき分けかき分け、ようやく田舎の道路にたどり着き、何とかバス停まで歩きましたけどね。

スマホもない時代だから自分がどこにいるかもわからなかった(笑)

今は青春18きっぷがありますから、2千円で充分帰省できる距離ですから、ヒッチハイクよりもよほど苦労がないです(笑)

はっきり言って荷物運びの単発のバイトでもやって青春18きっぷで帰って方がよほど楽ですね。それを悟ってヒッチハイクはやめましたが、それもいい思い出です(笑)

まぁ何といいますか、お金がなくても人生は楽しめるってことですね。

イカダにしてもヒッチハイクにしてもお金がないからこういうことをやらかしたわけで、お金が充分にあってゲーム機買ったり、新幹線に乗れたりしたら、こういう経験はできなかったのです。

しかし、今にして思い出すのはこういうことばかりです。

新幹線で帰省したことなんてぜんぜん覚えてないですよ!(笑)

お金がなくても豊か

「実はあなたはすでに幸せで安心で豊かなんですよ!(笑)」と言いましたが、お金がなくても豊かさはあるのです。

イカダを組んで海に漕ぎ出すなんて、お金でゲーム機買ってピコピコ指の運動しているよりもはるかに豊かなんですよ!

そういうことがたくさんあるのです。

多くの人がそれに気づいていないのです。

お金と豊かさを結び付けてしまっている。

これも洗脳ですよ。

そうして、まず「豊かさ=お金」の洗脳を解いたらいいのです。

私みたいにお金がなくてもタダでイカダ組んで、わくわくドキドキの大冒険に漕ぎ出したり、ヒッチハイクを楽しんだりする人はそう簡単にみじめな気分にならないのです。

それが「幸せと安心と豊かさに常に意識を向けている」ということなのです。

お金がないからとぜんぜんしょげたりしないのです!(笑)

「自分が貧しいとさえ考えない」のです。

そういうことに意識を向けないのです。

ただ現状は現状で受け止めて、その時点でできることを存分に楽しんでいるだけです。

それが「豊かさに常に意識を向けている」ということです。

そして、どの時点でも「豊かさに意識を向けている」ことは「常にできる」のです。

「イカダを組んで海に漕ぎ出すなんて、お金でゲーム機買ってピコピコ指の運動しているよりもはるかに豊かなんですよ!」

お金(お小遣い)を持っている人よりも、お金(お小遣い)が少ない私の方がはるかに豊かな少年時代を過ごすこともできるのです。

同じような人、たくさんいると思うんですよ。
気づいたことは気づいた…でも、やっぱりまだ苦しいよ。どうしたら安心で幸せで豊かな世界に行けるの?って。
みんながそっちの世界に行けるといいですよね!

それは実に簡単なことなんですよ。

それは例えて言うと、今度の休日に自転車に乗って旅に出るようなことなのです。

この季節とっても気持ちがいいですよ(笑)

すでに安心で幸せな世界にいるんですって!(笑)

あなたには雨露しのげるうちもあるし、寒さをしのげる服もある。

食べることにも困っていない。

スマホももっている。

安心で幸せな世界にいるんですよ!

こんな豊かな時代をかつて日本は経験したことがないんですよ。

あとはリラックスして肩の力を抜いて、それを楽しむだけです。

それはちょうど、今度の休日に自転車に乗って旅に出るようなことなのです。

私もある日ふと自転車で旅に出てしまったんですよ。

「豊かさ=お金」の洗脳を解くとお金に困らなくなる

人生経験の豊かさ=お金ではないことに気づくと、お金を効率的に使うことができるようになります。

例えば、自転車で旅にでると、交通費もかからないし、ダイエットのためにスポーツジムに行ってバイクランをする必要もないのです。(笑)

お金を効率的に使うことができるようになると、いつも収入の範囲内で効率的に豊かさを堪能する方法を発見できます。

収入の範囲内で効率的に豊かさを堪能していると、いつもお金が余ります。

そうすると「お金に追われることがありません。」

つまりお金のことは考えずに人生過ごせるのです!

お金の支払いのことをいつも考えるのは不毛なことですよ。

それは豊かなこととは言えません。

常に収入より少ない支出で人生の豊かさを堪能する習慣をつけると、常にお金が貯まり続けます。

お金に追われることがないと「幸せと安心と豊かさに意識を向けて」生きていけるのです。

簡単なことなんですよ!

年収200万円でも、年収500万円でも、年収1000万円の人でもぎりぎりの生活の人はぎりぎりなのです。

もっと年収が多い人でも、生活が苦しくなって破たんする人はたくさんいるのですよ。

「人生のどの時点においても」常に収入より少ない支出で人生の豊かさを堪能する習慣をつけると、常にお金が貯まり続けます。

お金が貯まっていることさえ気づかなくらいがちょうどいいのです(笑)

まぁ要するにお金のことなんて考えずに暮らすのです。

それは常日頃、お金のことを考えずに暮らすために、しっかりお金の使い方を考えるのです(笑)

そうすると「幸せと安心と豊かさに常に意識を向けて、それが本当。それが当たり前。」となります。

常に意識を向けるとは、人生のどのステージにおいてもそうするということです。

たとえ世間的に収入が少ないとされる時においても、「幸せと安心と豊かさ」を見出すということです。

だって、そこにあるんですから!

これができるようになると無敵になります。(笑)

その人を「みじめに感じさせたり、貧しく感じさせる」ことは非常に難しくなります。

その人をいくら「みじめに感じさせたり、貧しく感じさせ」ようとしても非常に難しいのです。

その人は、どんな状況においても「幸せと安心と豊かさに常に」見出すからです。

そうすると「思考は現実化します」。

どんな状況においても「幸せと安心と豊かさに常に」見出す人は、その「思考が現実化」して、自分の人生に常に「幸せと安心と豊かさ」を経験することになります。

これが最大の秘訣です!

どのような状況においても「苦しい辛い悲しい不安なこと」でも「幸せと安心と豊かさ」でも見出せる

実はどのような状況においても

「苦しい辛い悲しい不安なこと」を見出すことはできるし、

どのような状況においても

「幸せと安心と豊かさ」を見出すことはできるのです。

「どのような状況においても」です!

「 実はあなたはすでに幸せで安心で豊かなんですよ!(笑)」と言いました。

実はあなたは「苦しい辛い悲しく不安」でもあるのです。

あなたの今と同じ状況の中に「いくつもの見方がある」のですよ。

今のあなたの状況と変われるものなら変わりたい、今のあなたの状況になれるならどれだけ幸せだろうかと思っている人は世界中に何十億人といますよ(笑)

日本という国はそのくらい素晴らしい国です。

その「あなたの今の見方はあなたが選んでいる」のです。

もし、今の状況に「幸せと安心と豊かさ」を見出すことができないなら、それこそが洗脳なんですよ。

たった数十年前に戦争を経験した日本人にとって、今のあなたの生活は信じがたいほどの「幸せと安心と豊かさ」にあふれています。

私の母の子供の頃でさえ、配給でくじが当たらず、靴が買えず、親が作ってくれた下駄で登校している子供はいくらでもいたといいます。

あなたは毎日白いご飯を食べて靴を履いているのではないですか?

それはわずか数十年前の日本人から見たら信じられないほど豊かな日々なのですよ。

当時の日本人は、あなたと代われるものなら代わりたいとみんな思っていますよ。

今、「幸せと安心と豊かさ」が感じられないなら、日本の過去のどの時代に戻っても「幸せと安心と豊かさ」を感じることはできないでしょう。

気づいたことは気づいた…でも、やっぱりまだ苦しいよ。どうしたら安心で幸せで豊かな世界に行けるの?って。
みんながそっちの世界に行けるといいですよね!

今がすでに「幸せと安心と豊か」な世界なのです。

今の日本人は食べ過ぎで病気になり、物でも服でも持ち過ぎで不幸になっています

今の日本人は食べ過ぎで病気になり、物でも服でも持ち過ぎで不幸になっています。

テレビを見たり、ゲームをしたり、時間を無駄なことに使い過ぎているのです。

これ以上食べて肥満し、タンスの肥やしになるだけのモノを買うために働き続けるバカバカしさに気づく必要があります。

もっと何かが必要なんじゃなくて、もっとモノを捨てて、要らんことをする時間を捨てて、

「幸せと安心と豊かさ」をじっくり味わう時間を作ったいいのです。

日本人の生活にはものすごいリストラの余地があります。

シンプルな生活がいいのですよ。

そして、それは人生のどの段階でもいつでも可能なのです。

それはただ単に「気づき」なのです。

それはただ単に「気づき」。いつも収入の範囲内で効率的に豊かさを堪能する方法を発見すること

いつも収入の範囲内で効率的に豊かさを堪能する方法を発見することです。

それは人生のどのステージにおいても常に可能です。

シンプルな生活にして、出来た時間を使って「幸せと安心と豊かさ」について考えます。

例えば、今度どこに自転車で旅に出ようかなぁ~というようなことです。

そうすると現実化します(笑)

いつも、収入の範囲内で効率的に豊かさを堪能していると、お金に追われていないから、そういうことを考える「余裕がたっぷりある」のです。

そのたっぷりある余裕時間の中で「幸せと安心と豊かさ」について思いを巡らすから、そのためのアイディアが湧いてきます。

いいですかね。

お金に追われ、「苦しい辛い悲しい不安」なメンタルでいくら考えても、それに類友の思考しか思い浮かばないのです。

人生のどんなステージにおいても、「収入の範囲内で効率的に豊かさを堪能していると、お金に追われていない」から、「幸せと安心と豊かさ」のメンタルで色々考えるから、それに類友の思考がどんどん思い浮かぶのです。

そして、「幸せと安心と豊かさ」のメンタルで色々考えたことを「今度自転車で旅しない?」と言葉に表現し、行動するから、「幸せと安心と豊かさ」を経験できるのです。

ですから、そのカギは「人生のどんなステージにおいても、収入の範囲内で効率的に豊かさを堪能し、お金に追われないで生きることは可能」と気づき、それを実行することにあるのです。

簡単なことです。

一度「収入の範囲内で効率的に豊かさを堪能」する習慣を身に付ければ、人生のどのステージでもそれが可能になります。

それはただ単に習慣なんですよ。

そして「収入の範囲内で効率的に豊かさを堪能」していれば、一生お金に困ることはありません。

単純でしょ!(笑)

そうしたら一生お金のことを考えずに生きていけます。

それは実に単純な習慣を一つ身に着けるだけです。

それは私がタダでイカダを組んで海に漕ぎたして豊かな少年時代を過ごしたのと同じことで、誰にでも可能なことなのです。

ただその発想「気づき」を自分に許していないだけなのです。

誰にでも可能だし、それはただ単に気づくだけです。

そして、そのシンプルな生活の中で生み出した余裕の時間で、「幸せと安心と豊かさ」のメンタルで色々考えたら、「あっそうだ!」ともっと「幸せと安心と豊か」になる方法を思いつくのです。

それを実行するから、もっと「幸せと安心と豊か」になります。

好循環ですね!

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