あなたがたのうちで罪のない者が、まず彼女に石を投げなさい(イエス)

イエスはユダヤ人社会に生まれた。
当時のユダヤ人社会では、刑の執行には民衆が参加し「石打ち」が行われた。

ある日当時の宗教的権威である聖書学者たちが、姦淫の時に捕まった女を連れて来て、(群集の)真ん中に立たせてイエスに言った。

「この女は姦淫を犯している現場で捕まえられました。モーセは律法の中で、そのような女を石打ちにするよう、私たちに命じています。あなたは何と言われますか?」(聖書学者たち)

「あなたがたのうちで罪のない者が、まず彼女に石を投げなさい」(イエス)

彼らはそれを聞くと、老人から始まって、一人また一人と去って行った。そしてイエス一人が残され、女はまだ立っていた。

イエスは立ち上がって、彼女に言われた、「女よ、彼らはどこにいったのか? 誰もあなたを罪に定めなかったのか?」

彼女は言った、「誰もいません」。

イエスは言われた、「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。」

これがイエスの為されたことだ。

この女性は当時のユダヤ社会で定められた「現行犯」だったが、自然の力の伝授者は私が裏切り者認定されたか理由を知らない。なぜなら私の伝授切れのきっかけとなったメールは「発禁処分」になったからだ。実際に読んだ伝授者は「この投稿がきっかけで二度と自然の力に関われないようになった、関われないようにみんながした、というのであればそれは違うと個人的には思います。」と言っている。

しかし、「おつたえの結果として」榎本は裏切り者であると定められた。

実際にはそれ以後も私の浄化を受けた人が伝えてくれているように、私は自然の力時代以上に強力に浄化できるようになっている。

私は決して神様の裏切り者ではない。

なぜなら神様と守護霊団の方々が「結果として」私の浄化を強力に支援してくれているからだ。その結果の前にそのような「おつたえ」など何の意味もない。

ユダヤ社会では「権威」に盲従する群集がイエスに石を投げつけた。

自然の力の伝授者は全員、「権威」に盲従して「無実の」人を裏切り者と定めた。

自然の力の伝授者はイエスの処刑に加担したのと同じ人々だ。

自然の力の南さんは自らイエスの魂であると自称しているが、イエスの魂がこのようなことを主導されることは絶対にない。イエスの名において無実の人を「神様の裏切り者」呼ばわりすることは、イエスに対する冒涜である。

私も見えない力で人よくすることができる人々の末席に座る者だ。

人を救おうとする精霊に対する罪は、最大の罪のひとつであると知った。

死して神の前にあいみまえる時、人は生前「何を言ったか」が問われるのではない、「何を為したか」が問われるのだ。

自然の力の人々は全員、自称聖者だ。

私の自然の力時代を通じて、そして今現在、私よりも多くの人々を日々癒し続けている人がいったいどれだけいるのか。

生涯私よりも多くの人を癒す人がいったいどれだけいるのか。

死して神の前にあいみまえる時、「神様、私は自然の力の聖者でございます。この者(榎本)は神様の裏切り者でございます。」とでも言うのか。

閻魔大王に舌を引き抜かれないように気をつけることだ。

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