「自分の感じる喜び」より「立派な考え」を優先してきたことが幸せになれない理由

自分の現実を変えるのはいつも一瞬】「一緒にいて居心地が悪くなった友人と我慢して付き合う必要があるのか、自分に正直に会うのを控えるか、ちょっと揺れています。」でご質問を頂いたUさまからお返事をいただきました。

「もう自分に喜びをもたらさなくなったところを離れ、どんどん自分に喜びをもたらす新しい店に行くのです」

この言葉胸に染み入りました!

私のエゴなのか、薄情なのかと思いましたが、離れることが私にも相手にも最善だと解りました。

また人間関係だけでなく全てに通じる教えであると思います、人も、物も、場所も、食べ物も、洋服も何もかも全て、

自分が我慢していて続けていることはないかこれを機会に調べてみようと思います。

榎本さんには感謝するばかりです。Uさま( 2016年11月1日 22:05

「自分を愛する」とは、「自分が作っている自分の現実を、「自分の感じる喜びに従って」より喜びに満ちたもの、幸せなものにすることを自分に許すことです。」

思いやりとは、「その人が作っている自分の現実を、「その人の感じる喜び」に従ってより喜びに満ちたもの、幸せなものにすることをその人に許すことです。」

お互いがそうすれば、この世に不幸は一切ないし、トラブルも何もないのです。

エゴとはそれを許さないことです。
例えば「これが世間の常識」「これが正義」「これがあなたのため」と立派な「考え」を教えてくれますが、それはあなたに「あなたが喜びを感じる」こととは何の関係ありません。

その人が喜びを「感じている」ことではないことを、その人がこれは私の意志で選んだと「考えさせる」ことは非常に広く行われています。

世の中では、これほど多くの人が幸せを感じていない理由がこれです。

あなたの判断など大したことない、私の言うことを聞いて「立派な考え」を実行した方が身のためだというわけです。

あなたがどう「感じ」ようとどうでもいいです。

あなたの「感じ」など何の意味もない。

そんなことを言う人のことを聞いていたらいつまでたっても幸せを「感じる」ことはできないのは当たり前です。(笑)

もしあなたが今幸せでないなら、

あなたが自分の人生で「自分が喜びを感じる」より、何か他の「立派な考え」を優先していないかチェックしてください。

ありますね!

「自分が喜びを感じる」より優先している「立派な考え」が!(笑)

幸せになりたければ、「立派な考え」よりも「自分の喜び」を自分の人生の最優先にすればいいだけです。

簡単でしょ!

だって、「自分が喜びを感じる」こと以外の「立派な考え」優先していたら、いつまでたっても「幸せ(喜び)を感じられない」のは当たり前です。

自分の喜び以外のことに、自分の人生の最優先事項を明け渡してしまっているのですから!
Uさんも書かれていますが、
「また人間関係だけでなく全てに通じる教えであると思います、人も、物も、場所も、食べ物も、洋服も何もかも全て、

自分が我慢していて続けていることはないかこれを機会に調べてみようと思います。」

そうです!そうです!

すべてはつながっています。

「片付けの魔法」のこんまりちゃんはとてもいいことを言いました。

「持ってみて喜び(ときめき)を感じないものはすべて捨てる」と。

こんまりちゃんはこの片付けの魔法を見つけて「世界で最も影響力のある100人」に選ばれたのですよ!

喜び(ときめき)のある部屋にするにはそれしかないと、ありとあらゆる片付け方法を試して見極めたのです。

人も、物も、場所も、食べ物も、洋服も何もかも全て、自分が我慢して続けていることは捨てていいんです。

捨てるしかありません。

そうしないと喜び(ときめき)のある人生(部屋)が残らないのです。

自分が「感じる喜び」に従うことで、解決できたのです。

まぁどんなにこんまりちゃんがありとあらゆる片付け方法を試したか読んでみてください。

結局「もってみてときめかないものはすべて捨てる」しかなかったのですよ!

捨てると言うと語弊があるかもしれませんが、究極的には人も物も捨てる訳ではありません。
死んでも魂は消えませんし、物も燃えるかもしれませんが分子となってまた、形を変えていくだけです。ただ「自分が執着を手放しただけ」です。

人も物も場所も食べ物も洋服も、永遠の生々流転の中にあるのです。

その生々流転は誰にも止められません。

その生々流転の中で私たちは自分の人生の中で自由意志を使って、より喜びをもたらすものを選択していく永遠のプロセスにあります。それが進化のなんたるかです。

自分に喜びをもたらさなくなったものを、死によってようやく手放す人は多いです。

どうせ必ず手放すのですよ!

なら今手放せばいいじゃないですか。

どうせ喜びがないんだから!

それが自分の人生を幸せにするプロセスです。

多くの人が自分に喜びをもたらさなくなったもの(立派な考え)が手放せないから、神様は肉体の死という素晴らしいプレゼントをくれて、すべてを手放して再スタートできるようにしてくださったのです。

死がなければ、喜びをもたらさないものや「立派な考え」を捨てられない人の人生は、永遠のゴミ屋敷ですよ><!

だから死にたくなるのです。

身動き取れないのですよ。

喜びが判断基準です。

幸せは「感じる」ものだからです。

幸せは「考えるものではない」のですよ!

「私は幸せだと考えて」も、心が虚しければ幸せではないですよね(笑)

教えられることはすべて「考え」です。

幸せは「感じる」ものです。

だからどんなに人に「立派な考え」を教わっても幸せになれなかったのですよ!

「立派な考え」では喜びを「感じる」ことはできないからです。(笑)

喜びは「考える」ことではないですからね!

感じることです。

何とか幸せになろうと「考え」初めから答えのないところを探してたのですよ!

答えはあなたのハートにあります。

あなたが喜びを感じるか、そうでないか。

あなたが幸せになるための基準はそれしかありません。

「立派な考え」を最優先している人は一生幸せになれないのです。

だって、その人の人生は幸せが最優先じゃないんですから!(笑)

当然自分が喜びを感じていない「何が」が自分の幸せの上にきます。

喜びを感じることを人生の最優先事項にした人が幸せな人です。

人類すべての人がそうすればいいのです。

そうすると何も問題ありません。

誰も困りません。

人を利用して幸せになろうとするエゴの人以外は!

そして、最終的にはすべての人が「立派な考え」を捨て、「自分が感じる喜び」を優先するようになります。

だってみんな幸せになりたいですからね。

「あらゆる立派な考え」は消えゆく運命にあります。

大日本帝国憲法もすっごく「立派な考え」だったのに今は誰も気にする人さえいません。すべての「立派な考え」はやがて消え行くのです。

いったいいくつの転生であなたが信じた数々の立派な考えが通用しなくなったのを見送れば気が済むのですか!(笑)

ところが人がハートで感じる喜びは永遠です。

母が子を胸に抱く喜びは、2千年前から今まで何も変わっていないのですよ!

ハートで感じる喜びは五感を越えているのです。

人がハートで感じる喜びこそ永遠に属するものです。

それは神様がすべて人のハートに仕組んだ罠です(笑)

神様の仕組んだものだからいつの時代でも永遠に同じように働くのですよ。

真に頼るべき神の羅針盤はあなたのハートの喜びです。

それにくらべたら「立派な考え」などカスですよ!(笑)

さっさと神様の罠「ハートの喜び」を最優先して、さっさと幸せになってください!

スポンサーリンク

シェアする

スポンサーリンク