【自分の人生を生きる】その行動をする理由は何ですか?「ハートの喜びに生きる」

人はある行動をします。

毎日行動し続けています。

朝起きます。

ご飯を食べます。

服を着替えます。

車に乗ります。

電車に乗ります。

どこかへ出かけます。

仕事や買い物をします。

お昼ご飯を食べます。

午後も色々します。

家に帰ってご飯を食べます。

風呂に入ります。

寝ます。

私のブログを見る人もいます(笑)

私たちは肉体を持つ存在です。

肉体を維持するための活動をしています。

まぁ簡単に言えば衣食住、死ぬまでご飯を食べ排泄するための活動です。

家賃や住宅ローンも巣を維持するためです。

ある人は学校に行き、会社に行き、試験のために勉強し、与えられた仕事をこなすために働きます。

さて、日常生活の中でこれらの身体の欲求を満たすため、あるいは誰かに求められ、外から決められたこと以外にどんな活動をしているでしょう。

あなたが誰にも指示されることなく、誰にも求められることなく、ただ単に身体を維持するためでもない活動がどのくらいあるでしょうか。

たとえば旅をすること。

これは誰にも求められてすることではないですね。

ああ、もちろん修学旅行や仕事の出張のことではないですよ!(笑)

あるいは恋。

誰かに決められたわけではないですよね。

あなたのハートの喜び!

あるいはあなたが今このブログを読んでいること、これも学校の時間割や会社の仕事ではありませんね(笑)

学校や仕事中に読んでる人もいるかな。

あなたは今自分のハートの喜びに従っています!

素晴らしい!(笑)

こういうことが、「あなた自身」の活動です。

あなたが今まで行ってきたこと。

進路、就職、仕事、結婚、日々の生活、そして人生のあの出来事、あの行動。

誰かに言われてそうしたのですか?

何かの必要に迫られてやったことでしたか?

身体の必要性を満たすためにやったことでしたか?

それとも誰に何を言われたのでもなく、何か決まりがあったわけでもなく、何をやってもいい時間の中でただ自分のしたいことをしましたか?

それが本当の自分です。

それが自分の人生を生きるということです。

あなたは誰に言われなくても、ハートの喜びからその仕事をするでしょうか。

その仕事は自分から自分のハートの喜びからやりたいことですか?

もしあなたが心からパン屋になりたかった。野球選手になりたかった、〇〇をしたかかった。今それをしているなら、あなたは自分の人生を生きています。

なぜなら、それがあなたが一番したかったことだから。

それは誰に言われたことでもないのだから。

人の評価を得たいためじゃなく、ただ身体を維持するためだけでもなく、自分の内なるハートの喜びに従っただけだから。

魂の旅路は永遠です。

人生の一瞬一瞬を自分のやりたいことだけで埋め尽くしていく永遠のプロセスです。

よりすべてを自分らくしていくプロセスです。

自分のやりたいこと、ハートの喜びを感じることで人々に貢献し、生きていくことです。

人生のすべての瞬間瞬間を自分のハートの喜びにだけに従って生きるようになるためのプロセスです。

そのために私たちは永遠の時間が与えられているのです。

どんなことで人々に貢献するのが一番あなたらしいと感じるのでしょう。

ひとりで旅することが自分らしいと感じるでしょうか。

誰かに求められるわけでもなく、外から決められたことでもなく、自分のハートの喜びだけに耳を傾けること。

その行動をする理由は何ですか?

その行動をする時、誰が思い浮かびますか。

学校の先生?上司の顔?機嫌の悪いご主人や奥さん?(笑)

それをしないと何かマズイことが起るからやっているのですか?

その行動をする時、誰の顔も思い浮かばないのなら。

ただ自分のハートの喜びだけが、それをしたいというのなら。

それは本当の自分からの行動です。

その時、相手は関係ないのです。

たまたまそれを分かち合い受け取ってくれる人が目の前にいれば分かち合えばいいし、相手が分かち合えないならそれはそれでいいのです。

だって、それは相手には関係ないことですから。

自分のハートの喜びですから。

自分のハートの喜びを大切にする人は、相手のハートの喜びも大切にします。

何の押しつけもなく、ただ純粋な喜びから分ちあいたいのなら、一緒に分かちあいたい人はたくさんいます。

〇〇ちゃんあそぼ!

うん!と言えば一緒に遊べばいいんです。

もし、ごめんねと言われたら、またね!と言って砂場でひとりもくもくと穴掘りをすればいいんですよ!子供はよく飽きもせずやっていますね。(笑)

いずれにしても自分の喜びだけにしたがい、一緒に分かち合うことを歓びに感じる人がいたら分かち合う。

特にそのための条件はない。

そのための取り決めとか、誓約書とか、届け出も何もないんですよ!(笑)

だって内なる喜びに従うだけですから。

何か決まりがあったら、サーフィンに目覚めたのに、いつまでもサッカーをしなくちゃいけないじゃないですか(笑)

お前裏切るのかと(笑)

そうかお前サーフィンに目覚めたか、ならそれしろよ。

楽しかったら教えろよな。

「みんなちがって みんないい」

自分の生活を自分のハートの喜びだけで満たすとき、人生はとても素敵なものになります。

だって、本当の自分だけで生きてるから!

自分の必要性を相手を通じて満たそうとすると、そのお互いの人生は窮屈なものになります。

相手がいないと自分の必要性が満たせなくなるから。

何とか誓約書を書かせ、決まりごとを決めて守らせなくちゃいけません。

自分の必要性を自分で満たしてる人だけが「みんなちがって みんないい」と言えるのです。

だからすべての人に対して「みんなちがって みんないい」と言えない人は、まず自分の必要性を自分で満たしたらいいのです。

なに!自分の必要性は自分で満たしたくない?

誰かに満たしてもらいたい!

そうですか!そういう人はあなたに支配され、束縛され、拘束され、あなたの道具、あなたの持ち物になることを喜ぶマゾっ気のある人を探すといいのです。

私はごめんですけどね(笑)

で自分の必要性を満たすために相手が必要ですから、相手が逃げたら困るからお互いに監視しあい、束縛し続け、それは間違いだ!と批判し続けます。何しろ相手がいなくなったら自分の必要性が満たせなくなりますからね!さあたいへんだ相手が何をしているのか抜かりなく監視して口うるさく文句を言わなくちゃっ!(笑)

自分の必要性は自分で満たす人は、ただ相手に貢献したい、喜びをわかちあいたいから、それを受け取ってくれる人と、それを喜びに感じる人と分かち合うだけです。

実に単純なことです。

魂の旅路は永遠の成長のプロセスですからね。

私たちは永遠の旅人ですよ!

その永遠の旅路の中で出会いがあり、別れがあるのは当然です。

なにしろ永遠ですから。

その永遠の旅路のわずかな出会いをなぜお互いを束縛する苦痛なものにしなくちゃいけないんです?

誰かが自分の荷物を相手に背負わせたら、背負わされた方は「なんだかぁ~」と思いますよ!(笑)

そりゃ足をくじいたりしたなら、よっしゃ!俺がお前の分も持ってやるぜ!ということもあります。しかし、それは相手が自分で回復しようとし、ありがとう。私もきっと自分で持てるようになるから。と言うからです。

永遠の旅路において、永遠に自分だけ荷物2つで、相手は空身というのはね。

もうやってられないぜっ!となるに決まっています。

だから自分の荷物は自分で背負い、自分がしたいことをして喜びに満ちて人に貢献する。

それを受け取ることを歓びに感じる人とお互いに分かち合う。

何の取り決めも決まりもない。

ただ唯一の決まりは自分のハートの喜びに従うこと!

だってお互いに自分の必要性は自分で満たしているから。

ただ「みんなちがって みんないい」だけです。

そして、お互いがその分かち合いを喜びを感じる時、一緒に過ごす。

ひとりがいい時は静かにひとりで過ごしたり本を読んだり旅をする。

自分の人生について静かに考える。

そして「そうだ!そうしよう!それが自分らしいぞ!」ということをする。

お互いがそうすることを尊重する。

お互いが相手を通じて自分の必要性を満たそうとしない。

相手を自分の道具にしない。

相手を自分の持ち物にしない。

人はモノじゃないから。

自由な魂だから。

ただお互いに自分の喜びから分かち合う。

大丈夫ですよ。

みんな自分のやり方で人々に貢献したいから。

だって、ひとり山奥で何年もすごすよりその方が楽しいから。

そうするとみんないい顔になります。

みんなしあわせです。

動物の世界では、お互いに契約書を交わしたり、届け出をしたり、〇〇すべきだ!と言いうことはありません。(笑)

すべての動物が自分の喜びだけに従って生きています。

そうすればすべてが完璧に調和するように宇宙は設計されているのです。

人間だけが「取り決め」「義務」「ねばならない」「こうあるべき」を決めてお互いに批判してみじめになってる。

みんなハートの喜びに従うだけですべてうまくいくのにね。(笑)

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