楽しく幸せな人生を生きる上でのコツ中のコツ【メタモルフォーゼ12】「 自由なんだから、楽しい幸せな気分になればいいやん! 楽しい幸せなこと考えればいいやん!」

いろいろとご質問をくださてって、シリーズ化していたメタモルフォーゼさん。

ご自身の遠隔浄化が始まるとそちらのやりとりが主になっていました。

読者の方からも時々「メタモルフォーゼよかったです。」とコメントをいただく人気シリーズです(笑)

 メタモルフォーゼシリーズ、寂しがってる読者さんがいてくれるのですか!(笑)
それは私の中の問題や疑問など、いろいろ出していかないといけませんね!
いえ、義務感とかではないです。
私自身がそうしたいと思っています。
ただ、書き出したら膨大なメールになりそうで…ちょっとまとまった時間が必要です。
なので、また週末にでもかかせていただきます!

ちなみに今日の気づき。
どんな気分や感情になるかは私の自由。
なのにこれまでのクセでつい、わざわざ、不安になろうとしてしまう。
何も不安なことが今は起きていないのに。
自由なんだから、楽しい幸せな気分になればいいやん!
楽しい幸せなこと考えればいいやん!

不安や恐れはまだまだあっても、その中でこうやっていろいろな気づきがあるから嬉しいです。
行きつ戻りつ…なんですけどね。
それでもいい。と思って、やっていきます!
この歩みにも無駄はないと思いますし(^-^)

 M( 2018年3月29日 21:17)

>どんな気分や感情になるかは私の自由。
なのにこれまでのクセでつい、わざわざ、不安になろうとしてしまう。
何も不安なことが今は起きていないのに。

これは非常に大事な気づきです。

例えば今は桜が満開です。

菜の花もとても美しいです。

桜も菜の花も、誰に対してもオープンです。

ちょっと足を向ければ日本中どこでも桜も菜の花も咲いています。

ちいさな日本ミツバチも、花と陽気に誘われて飛び始めました。

この生命と美しさを誰でも思う存分楽しむことができます。

しかし、同じ時間に暗いテレビニュースを見て、暗い新聞記事を読み、不安や恐れからネガティブなネット上のページを延々と見続けることもできます。

何を選ぶかは完全にその人の自由です。

すべての人に今、この瞬間に無限の可能性、無限の選択肢が広がっています。

どんな知識や情報も調べようと思えば手に入ります。

その情報を元にどんな行動でも起こせます。

世の中に素敵なこと、美しいこと、躍動することがないのではありません。

世の中はそれらに満ちあふれています。

それらのすべての選択肢はあなたのものです。

別にお金のかかることではありません。

自転車に乗って漕ぎ出せばいい(笑)

この瞬間この瞬間をどう生きるかがあなたの命の意味

そして、この瞬間この瞬間をどう生きるかがあなたの命の意味です。

もし今生の寿命が80年としたら、今年は命の80分の1ですし、今月はあなたの命の960の1です。

今日この瞬間こそが、あなたの命の意味そのものなのです。

それ以外にあなたの命などどこにもありません。

この地球、この日本、この今の時代にある無限の選択肢から、自分にとって一番いいな選択をすればいいのです。

簡単に言うと、美しい桜と菜の花と、日本ミツバチを見つけることです。(笑)

美しい~♪

無限に不安になれる

>なのにこれまでのクセでつい、わざわざ、不安になろうとしてしまう。
何も不安なことが今は起きていないのに。

その通り!

不安は未来に関する何かです。

未来とは文字通り「未だ来ていません」。

バタフライ効果

バタフライ効果」が知られています。蝶の羽ばたきが起こす小さな風が、時に遠方の台風の発生に影響を与えることがあるということです。

もし一匹の蝶の羽ばたき、そのような影響を与えうるならば、この世には数えきれないほどの虫や鳥がいるのですから、そもそも予測は不可能ですよね。

つまり未来は予測できないのです。

「未だ来ていない」予測できない未来について、不安になると無限に不安になれる。

「未だ来ていない」予測できない未来について、不安になると無限に不安になれます。

あらゆる可能性があるからです。

蝶が羽ばたいて、台風がやって来る可能性は常にあるわけです。

だから不安を考え出したらキリがないのです。

無限に不安になれるのです。

不安感を胸に抱きながら、ネットを調べていると、無限に時間がつぶせます。

不安にはキリがないからです。

それは未来は「未だ来ておらず」、未来はバタフライ効果などによって無限の可能性があるわけです。

その無限の発散していく、「未だ来ていない」未来について、あれこれ心配する時間を過ごすと、それだけで一生の時間を使えます。なぜなら結論などないからです。

不安に終わりはないのです。

もし、自分が無限に不安になることを自分に許すと、いくらでも不安になれますから、

不安に対する答えを探そうと無限にネットなどをさまよい続けてしまいます。

そして最終的には、

「生涯不安にさいなまれ、その答えを探し続けた者ここに眠る」としか墓石に書くことはなくなります。

なぜなら「不安」に捉われて人生の大半を過ごしたのですから、それがその人に最もふさわしい墓石です。

それ以外のことをほとんどしていないのですから。

未来に不安をもってもしかたない

だから、未来に不安をもってもしかたないのです。

これは非常に重要な理解です。

「未来に不安をもってもしかたない」のです。

不安に囚われている人がいたら静かに立ち去るといい

不安に囚われて生きている人は非常に多いです。

「もし〇〇だったら心配だから・・・」そんなことをしょっちゅう言っている。

もし身近にそういう人がいたら、「静かに立ち去るといい」といいのです。

他のあらゆる「自分が類友でなくなったネガティブ性」に対応するのは、すべて「静かに立ち去るといい」のとです。

説得などできません。

例えば、私はバリ島やイタリアなどを自転車で旅したりするのですが、誰かと旅行に行く話になって「もし〇〇があったら心配だから・・・」という話しになったら、その人と一緒に旅行するのは無理です。

あらゆる可能性は常にあるし、もしその人がそのような思考をするなら、そういうことを引き寄せさえするでしょう。

不安にはキリがないし、実際パンクもします。

「だから言ったじゃない!」という話しになる。

パンクも道に迷うことも「楽しむ」人でないと旅はできないのです。

だから私は一切説得をしません。

「もし〇〇だったら心配だから・・・」と言われたら、

「そう。」と一言、いってひとり旅に出るか、不安に囚われていない別の人を誘うしかありません。

不安にはキリがなく、無限に思えるため「未来に不安をもってもしかたない」ことを見抜いていない人の一緒に旅はできないのです。

それは相手を批判しているのではありません。

「相手の選択を尊重している」だけです。

「みんなちがってみんないい」のですから、不安を持ち続けた人はどうぞご自由に。

すべてのものごとはそうですが「自分がうんざいするまで」やめないものです。

不安を持ち続けたい人は、まだ「無限の不安を自分の人生にゆるすことにうんざりしていない」わけです。

それは、ご本人がうんざいするまですればいいのです。

これはすべてのものごとに言えます。

たとえバリ島やイタリア自転車旅行でも、いつまでもやっていたらうんざりします。(笑)

やってみて「ああもう充分!」と思ったらやめたらいいのです。

すべてのものごとは、「その人がそうしたい」と思うのなら、その人はそのことについて「うんざり」していないし、「ああもう充分!」とも思っていないのです。

ならばその人がそれに「うんざり」し、「ああもう充分!」と思うまでそれをすることをゆるしてあげたらいいのです。

しかし、もしあなたが「無限の不安を自分の人生にゆるす」ことに「うんざり」し、「ああもう充分!」と思っているなら、もはやそうする人の「類友」ではないのですから、「静かに立ち去る」といいのです。

その人の選択を尊重し、自分は自分の選択を尊重すればいいのです。

それが 「みんなちがってみんないい」ということです。

そして、機会があれば「「未だ来ていない」未来について、あれこれ心配してもキリがないよ」と自分の「気づき」を分かち合えばいいのです。

しかし、相手がそれを理解しなければ、まだその人は十分に「無限の不安を自分の人生にゆるすことにうんざりしていない」のですから、その人が「ああもう充分!」と思うまで、そうすることを尊重してあげたらいいのです。

「ああもう充分!」と思ったら、あなたのアドバイスがすぐに聞き届けられることでしょう。

ですから「ああもう充分!」と思っていない人を説得しようと議論することは時間の無駄なのです。

そんな暇があったら自転車に乗って旅に出た方がいい(笑)

自由なんだから、楽しい幸せな気分になればいいやん!
楽しい幸せなこと考えればいいやん!

>何も不安なことが今は起きていないのに。
自由なんだから、楽しい幸せな気分になればいいやん!
楽しい幸せなこと考えればいいやん!

その通り!

「自由とは」自分の考えを自由選べることです。

 不安に囚われている人に自由はない

「不安」に囚われて、人生のほとんどを「不安」についてあれこれ考えている人に「自由」はないのです。

その人は「不安以外の選択ができない」のですよ。

その人にとって自由など幻想です。

その人は自由ではありません。

「不安」という幻想の奴隷なのです。

そんな実体のないものから一生逃れられない。

そして「不安」には実体がないですから、それについてあれこれ考えることは「最も非生産的な」「まったく建設的でない」時間です。

ですから、「不安に囚われている」人の人生は、極めて「非生産的」であり「建設的でない」のです。

無意味なことに時間(自分の人生(生命))を使っているのですから、その人の人生が不毛なのは当然ですよね。

>何も不安なことが今は起きていないのに。
自由なんだから、楽しい幸せな気分になればいいやん!
楽しい幸せなこと考えればいいやん!

そう!その通り!

何度でも、言います。

そう!その通り!

これこそが、楽しく幸せな人生を生きる上でのコツ中のコツなのです。

それ以外に秘密などありません。

>自由なんだから、楽しい幸せな気分になればいいやん!
楽しい幸せなこと考えればいいやん!

その通り!

例えば、私にとって、楽しい幸せなことのひとつは自転車で旅をすることなんですね。

あなたも、自分の楽しい幸せなことをあれこれ考えればいいのですよ。

そうすれば実現します。

そうすれば実現します。

そうすれば実現します。

これは法則なんですよ。(笑)

思考が現実化するのです。

不安なことをばかり考えている人は、「不安が現実化するのです」

ですから不安なことをばかり考えている人からは静かに立ち去った方がいい(笑)

なぜなら、一緒に旅をするとその人が引き寄せた「不安の現実化」に巻き込まれる可能性がでてくるからです。

わざわざそんなことにおつきあいすることはないんですよ!

ですから「不安なことをばかり考えている人からは静かに立ち去った方がいい」のです。

>自由なんだから、楽しい幸せな気分になればいいやん!
楽しい幸せなこと考えればいいやん!

その通り!

そうすると、いつも「楽しい幸せなこと考えている」人の類友になります。

例えば、あなたが自転車旅行が好きならば、そのことについて、いつも「楽しい幸せなこと考えている」と、私みたいに自転車旅行について、いつも「楽しい幸せなこと考えている」人を引き寄せることになります。

そうして、自転車旅行について、いつも「楽しい幸せなこと考えている」人同士が、一緒に旅をすると、楽しい幸せなことを引き寄せますから、旅が楽しい幸せなものになるのです。

それが楽しい人生のコツなんですよ!

簡単でしょ!

とっても簡単なんですよ!(笑)

なぜ、みんなこんなに簡単で楽しいことをしないのかわかりません(笑)

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