ご質問をいただきました。
最近、スピリチュアルをしている方数名の、欲のような…
エゴのような…ところを垣間見てしまい、 その方々とお茶をする気持ちが薄れていたところ、その方々から 純粋な愛を取り戻す
方法はなんでしょう?と質問がありました。
アドバイスありましたらお願いいたします。Yさま(2016年12月13日 19:25)
純粋な愛とは無条件の愛です。
ある条件を満たさないとつきあわないぞ、という条件がある関係は純粋な愛ではありません。
純粋な愛というのは、誰に対しても自分の方からは条件をつけないということです。
相手の自由を100%尊重し、それでも愛があるという状態ですね。
自分は何も相手に求めていない状態です。
あなたはあなたのあるがままでいいですよ、ということです。
条件付の愛というのは、相手が相手のあるがままでは認めない場合がある関係のことです。
それは純粋な愛ではありません。
例えば、今日私は高校時代の友人から年末に飲まないか?と誘いを受けたのですが、こういう関係は非常に長く続きますね。
お互いに自立し、相手に依存していないからです。
相手に何も求めていないのです。
やぁ元気かい?
また会いたいね!
それ以外に何もないのです。
これは純粋な愛ですよ。
この友人関係というのは、無条件です。
相手が誰と付き合おうと別れようと、
もちろん給料を持ってこようと、持って帰らなくても、まったく関係ありません。
初めから、俺以外と付き合うなとか、給料持ってかえるのは当たり前とか、家事をするのは当たり前といった条件がまったくありません。無条件です。
これが純粋な愛ですよ。
ですから長続きするのです。
生涯続くことも多いですね。
この昔からの友人と比べて結婚ははるかにもろいです。
現在日本では3組に1組が離婚するそうですが、条件があるからですよ。
給料をもってこないといけないとか、家事をちゃんとしないといけないとか、浮気しちゃいけないとか・・・
それらの条件を満たせなくなった時、3組に1組も離婚しています。
これは純粋な愛ではなかった、条件付の愛だった。そしてその条件がなくなったということですね。
例えば、一人では寂しい、仲間はずれになりたくない。これは自分の方に「さみしさを埋めたい」というニーズがあるのです。ですから「あの人はグループを裏切った」などいいうことが出てきます。ある種の行動が裏切りと写るわけです。
そういう裏切りなどという考えがある付き合いは、もちろんすべて条件付の関係です。
ある条件を満たさないとつきあわないぞ、という条件があるのです。
そこには無条件の愛、純粋な愛は存在しません。
一度そのグループに属したらそう簡単に抜けられない・・・条件があるからです。
抜けたらひどい目にあうぞ!ということが言われます。
ある種のサークルではよくありますね。
純粋な愛というのは高校時代の友人が、誰とつきあおうと、誰と結婚しようと、何をしようと友人ですよね。
そういう無条件の関係が純粋な愛です。
さて、純粋な愛を取り戻す方法です。
無条件の愛というのは、自分の方は相手に何も求めていないということです。
手放しで受け入れるということなのです。
あなたがどんな状態でもいいよ。
私はあなたを受け入れるよということです。
なぜそうできるかというと自分は自立し、自分で自分を満たしているからできるのです。
ある意味相手は必要ないのです。
いなくても関係ないのです。
高校時代の友人はそうですよね。
それが無条件ということです。
なぜ高校時代の友人に対して自分は無条件になれるのか。
自分は自立し、自分の必要性は自分で満たし、相手に求めるものは何もないからです。
相手がいなくても自分は何も困らないのです。
ですから相手に条件をつける必要がないのですよ。
ですから純粋な愛を取り戻す方法というのは、
自立し、自分の必要性は自分で満たし、相手に求めるものは何もないという状態に自分がなるということなのです。
さみしいからつきあうのでもない。
給料をもってくるから付き合うのでもない。
家事をするから付き合うのでもない。
・・・・
じゃあなぜつきあうのか?
楽しいからですよ!
純粋につきあうことに喜びがあるからです。
それが純粋な愛です。
ですから純粋な愛とは完全に自立し、相手に一切の条件をつけずに、相手をあるがままに100%受け入れることができる人だけに成立するものなのです。
条件なく100%あるがままの自分を受け入れてもらえる。
この絶対の安心感、満たされた感覚、不変感、これこそが純粋な愛です。
深い安らぎなんですね。
何しろ無条件に受け入れてもらえますからね。
関係が終わる可能性がないのです。
高校時代の友人みたいなものです。
そして自分からは相手に何も要求しません。
自分は自分で満たしていますからね。求める必要がないのです。
ですからお互いに相手を100%受け入れ、相手に何も要求しない。
何の取引も、取り決めもありません。
何も要求しないから、相手はどのような束縛も感じません。
しかし自分を自分で100%満たしている人は、ただ喜びから相手とわかちあいたいのです。
そうすると何も求めていないのに、相手はわかちあってくれる。
何て素敵な人なんだ!とお互いに思うのです。
そうするとその関係は、非常に長くいい関係が続くことになります。
ポイントは自分が完全に自立し、自分の必要性は自分で満たし、相手に求めるものは何もない。自分のことはすべて自分で決められる自立した人であるということです。
そいう人が相手を条件なく100%あるがまま受け入れることができます。
それが純粋な愛を経験できる人の条件です。
そして付き合う動機は何か?
楽しいからですよ!
一緒に過ごすと楽しいからです。
それ以外の理由は何もない、必要性も何もない。
お互いのあるがままを100%尊重して受けれている。
そういう関係は永続します。
生涯続くことも多いですね。
時にはお互いの興味関心が変わることもあるでしょう。
それも受け入れるわけです。
高校時代の友人が趣味が変わっても、また年末飲もうかとなりますよね。
条件がないのです。
それが純粋な愛です。
自分の人生のあらゆる関係において、自立し、自分で自分を満たし、相手に何も求めず、
相手のあるがままを100%尊重すると、人生のすべてが純粋な愛に変わっていきます。
それは本当に衝突のない、肩のこらない、明るく楽しい喜びにあふれた関係です。
なぜ衝突があるのか?
相手に何か求めているからですよ。
自分で自分を満たしていない部分で衝突が起こるのです。
相手に要求するからです。
その相手に要求する部分がエゴです。
エゴのぶつかり合い、条件闘争、力関係、上下関係を、主従関係を生じるのです。
○○すべき、常識だろ、押し付け、我慢、・・・
そして自分の必要性を相手に求める人は、相手を失う人が怖いのです。
もし相手がいなくなったら、さみしい、孤独、生活できない・・・
心配です。疑心暗鬼になります。ちょっとどこ行ってんのよ!と言いたくなります。
相手のスマホをのぞき見たくなります。
そうすると相手はうっとうしくなって益々別れたくなります。
お互いに相手に何も求めていないと、まったく衝突も緊張も生じないのです。
ただ喜びからくるわかちあい、
リラックス、穏やかさ、笑顔、支配従属や上下関係のなさ。
それが純粋な愛を生きる人の人生の特徴です。
純粋な愛とは自立し、成熟した大人だけが経験できる神さまからの素敵な贈り物なのです。