すべてが必然で、すでに決まっているのなら、努力しても仕方ないのではないですか?

全生命はひとつ

「すべてが必然で、すでに決まっているのなら、努力しても仕方ないのではないですか?」とご質問をいただきました。

前回の「すべては必然」と「思考は現実化する」について早速の回答ありがとうございました。

榎本さんの回答は、その通り!と同感しています。

ただ、私がお聞きしたかったこととはちょっと違っていたのです。

私の質問のしかたがよくなかったのかもしれません。すみませんでした。

榎本さんの回答の中の「すべては必然」は、(思考すれば、あるいは何らかの行動をすればその結果が出る)という「すべては必然(の結果)」という意味だと理解しました。

私がお聞きしたかったのは、そうではなく、(思考する、あるいは何らかの行動をする前から)すべて決まっている、という意味での「必然」です。

わかりにくいですね。そんなアホな?と思いますよね(笑)

ここでは、少し違う観点が必要になります。

スピリチュアル的な解釈は好きではありませんでしたが、最近いろんなものを読んで勉強してみると、スピリチュアルとか霊的なものを空想のものとしては一蹴できなくなってきています。むしろ科学的に存在が認められるものだろう、と思わざるを得なくなっています。

そのスピリチュアル的に言えば、人は現生に生まれる前に、この現生でのことをすべて決めてくるそうです。

ですから、いいことも、悪いことも自分で決めてきたことだそうです。もちろん、事故も病気も死に方も、一見不幸だと思われるようなことも、実はすべて自分で選んできたものだそうです。

たしかに、楽しいことばかりの人生であれば、それが楽しいのかどうかもわからないですよね。「山あり谷あり」といいますが、谷があるから山がわかるわけで、ずっと平坦なら、山の姿も谷の風景もわからず、光と影でさえわからないわけです。

だからたしかに幸不幸取り混ぜて、いろんな経験豊かに人生を渡っていくことの価値はわかります。

そこで、私の例の疑問です。

「すべてが必然で、すでに決まっているのなら、努力しても仕方ないのではないか?思考しても現実を変えられない、ということになってしまうじゃないか」という命題です。

いや、もちろん私は榎本さんの言う「思考は現実化する」をモットーに生きています。

だからこそ、榎本さんにこそ、私では解釈に苦しむこの命題を一刀両断にしてほしいのです。

私はなんとなく、こう考えます。(何かの本で、こういう説を唱える方も実際にいたような気もします)

それは、パラレルワールドのようなものかな?と思っています。

私たちの本質は魂ですね。身体も心もこの人生を渡っていくための借り物です。その魂が、この世に人間として生まれてくる前に、やりたいことを決めてくるわけです。しかも人生の中で、それこそ一瞬一瞬に自分の意志つまり思考が働いて、自分の選択肢があります。

その選択によって同じ自分の人生でもたくさん存在するパラレルワールドの別の一つにシフトチェンジするのではないかと思うのです。つまりそれぞれのパラレルワールドの中では必然の連続、つまりすべて予定が決まっている。でも、一瞬一瞬、どのパラレルワールドにシフトするか選べる、というわけです。

わかりやすく言えば、自分の一生を描いたドラマが何十本、何百本もあるというわけです。

たとえばですね、人生におけるある点で、その人が今までいた会社を辞めて、好きな蕎麦を打って生活をしたいと思ったとしましょう。すると心底それを望み、脱サラして頑張ってお蕎麦屋さんとして成功していくというストーリーがある。途中、資金が底をつき苦労することも、体調を崩して入院中に読んだ本から新しい蕎麦打ちのアイデアを得ることも、すべて成功への必然であり、悪いことを考えたから病気になったわけではないわけです。

または、蕎麦打ちをしたいけれど、家族のための生活がなあ、と蕎麦をあきらめてサラリーマンを続けるほうのドラマを選んだとする。それはそれで平穏な人生があり、その人生の中のこともいいことも悪いことも必然で、すべて学びのための必然のプロセスです。

すなわち、自分が選んだ人生は、自分の魂が望んで作ってきたものであり、すべて魂がレベルアップするために用意された必然からできている。ただし、一瞬一瞬の自分の思考により、どのドラマを欲するか自分が選び取ることができる。

と、つまり、こういう風に考えてみると、今の私には、「すべては必然」と「思考は現実化する」の関係を、なんとか納得できるのです。

榎本さん、私の仮説ってどうでしょう?

オスカル

 

今回は私が逆に質問することで、理解を深めて行きたいと思います。

私がお聞きしたかったのは、(思考する、あるいは何らかの行動をする前から)すべて決まっている、という意味での「必然」です。

まず「(思考する、あるいは何らかの行動をする前から)すべて決まっている」としたら、あなたにとって自由意志とは何なのですか?

自由意志などまったく意味がないではないですか。

すべて決まっているのなら、あなたは単なるロボットですよね?

そんな人生の自由意志にいったいどんな意味があるのですか?

 

私はもちろん「(思考する、あるいは何らかの行動をする前から)すべて決まっている」などと仮定しません。

もしあなたが、「(思考する、あるいは何らかの行動をする前から)すべて決まっている」と仮定するなら、ただ単にあなたの人生ではそうだということです。

占いが大好きな人がいますね。

あなたもそうではないですか?(笑)

もし、あらかじめすべてが決まっているなら、それが一体どんなものなのかあらかじめ知ることが重要になります。

占いや予測、予言のたぐいが好きな人の人生観は、「(思考する、あるいは何らかの行動をする前から)すべて決まっている」というものです。

運命論者ですね。

もし、あなたが人生をそのように捉えるならあなたの人生はそうでしょう。

すべて「思考が現実化する」からです。

あなたは、「(思考する、あるいは何らかの行動をする前から)すべて決まっている」と仮定するのですか?ならあなたの運命は決まっています。おつかれさま!(笑)

自分の人生に責任を取りたくない人は運命論が好き

自分の人生に責任を取りたくない人は運命論が好きなのです。

もし、今の自分のつらい現実を、もし自分がすべて作ってきたのなら!

そんなはずはない。

私はこんな現実を望んだ覚えはない。

私はただ過酷な運命に飲み込まれただけだ。

そうすると、「自分の現実の理由を自分以外のせいにできる」のです。

運命論者は自分の人生に責任をとらなくてもいいのですよ。

ですから占いや予言たぐいが好きな人をよく観察してください。

「あなたのせい!」思ったり口にしたりしている人が多いことに気づきます。

運命論も、「あなたのせい!」も、「私の人生に私は責任はない」という思考から出ているのです。

ですから、占い好きの人のつきあたったり結婚したりすると、いつか必ず何ごとにつけ「あなたのせい」と口げんかをすることになります。

根はすべて同じなのです。

 

人は現生に生まれる前に、この現生でのことをすべて決めてくる

人は現生に生まれる前に、この現生でのことをすべて決めてくるそうです。

私もそう思っていますよ!

あなたも私も、この地球、この日本に、この時代に生まれてくることを望んで生まれてきました。

ですから、いいことも、悪いことも自分で決めてきたことだそうです。もちろん、事故も病気も死に方も、一見不幸だと思われるようなことも、実はすべて自分で選んできたものだそうです。

私はそうは思いません!

こうして表現していただくと、私の考えとどこが違うか明確になっていいですね!

病気も事故もすべて決まっているとしたら、それを知ることは重要かもしれませんね。

しかし、すべて決まっているなら「避けようがない」から知ることにも意味がないんじゃないですか!(笑)

私の考えはこうです。

 「生まれる前に」、今生のことを決めてきたのです。

それは私もそう考えているのは、先にも書いた通りです。

しかし、「生まれる前に」決めたのですよ。

生まれる前というのは物質的な身体をもたないわけです。

自分自身の本質は魂であり、物質でなはないこということを百もしっているわけです。

今まさに自分は身体をもたない状態で次の転生の計画を練っているのです。

その時に、「病気、事故」と言ったようなそんな物質的なことを重視すると思いますか?

病気も、事故も、財産もお金も意味をなさないと、今充分知っているのですよ!

なぜなら生まれる前は物質的な存在ではないからです。

生まれる前は、物質次元に転生し、ある経験をして、また非物質次元に戻ってくることを重々知っているのです。

なぜなら今自分がその状態だからです。

その時、物質次元の「いいことも、悪いことも自分で決め、事故も病気も死に方も、一見不幸だと思われるようなことも、実はすべて自分で選んできた」なら、そんな物質次元の身体に転生したいと思いますか?(笑)

なんと退屈な人生でしょう。

すべて細部に渡るまで自分でシナリオを作って、それを体験しに来るなんて!

映画監督が、自分が作った映画を映画館にわざわざ見に行くようなものです。

次にどんな場面が来るのか完全に知りつくしているのですよ!

まあたまにはそういう自分がプログラミングした人生を生きたいと思う人がいるかもしれませんが、「神なる意識」がそんなバカなことを幾多の自分の分身である魂を使ってそんなことをしますかね。

神様はすべて自分が知っている映画を何度も見ることになるのですよ!

なんて退屈な!(笑)

「人は現生に生まれる前に、この現生でのことをすべて決めてくる」と仮定することは、自分や神さまは、そうとうバカであり、超退屈な存在であると言っているのと同じです。(笑)

生まれる前は、自分も物質的な存在ではないということを思い出す必要があります。

そして、物質次元の転生を終えたら、またこちらの次元に返ってくることもです。

そういうことを100%認識した上で、物質次元の経験を決めるのです。

そういう自分が、いつどこで事故するとか、病気になるとか、そういうあまりに物質的な発想をすると思いますか?

自分が今身体を持たない存在であると思ってよく考えてみてください。

自由意志は意識的に活性化しなければならない

人の人生の生き方には2種類あります。

意識的な選択と、無意識の選択です。

 

人生の中で、それこそ一瞬一瞬に自分の意志つまり思考が働いて、自分の選択肢があります。

と書かれていますね。

これが自由意志と呼ばれるものです。

ところがすべての人が自由意志を行使していますか?

していないですよね。

あるキャラの人、ある特有の行動にあうと、いつも決まって腹を立てる人がいる。

条件反射です。

実際には、すべての人が一瞬一瞬にあらゆる選択肢があります。

それは事実です。

しかし、実際にそれを行使していない人をたくさんご存知なのではないですか?

ある場面において、必ず決まった行動をする人です。

彼らはプログラミングされているんですよ。

そして、「思考していない」。

ある場面になると、瞬間湯沸かし器のように怒り出す。

穏やかになるということを選択できない。

だから多くの人の人生は同じことの繰り返しです。

昨日も今日も、去年も今年も、あまり変わり映えしない。

それは「思考していない」し、意識して選択していないからです。

要するに「無意識に人生を生きてる」のです。

彼らの人生は予測可能ですよ。(笑)

来週の今ごろも、来年の今頃もだいたい今日と同じような日を過ごしていることでしょう。

予測可能な人生を生きている人は、「無意識に人生を生きてる」人です。

それはつまり、

人生の中で、それこそ一瞬一瞬に自分の意志つまり思考が働いて、自分の選択肢がある

のですが、それを行使していないのです。

それを意識的に行使していなければ、その人の人生に自由意志は存在しないのです。

それは自分で活性化しなければならないものなのですよ。

自由意志というのは、すべての人に与えられていますが、それは自ら意識的に活性化しなければならないのです。

あなたも身の回りに予測可能な人生を生きている人をたくさん知っていますよね。

だいたい、何歳まで今の仕事をして、いくらくらいの年金をもらって、だいたいどんな趣味を続け、どんな風に生きるのか予想のつく人です。

実はそういう「一般的な人」は自由意志を行使していないのです。

彼らの自由意志というのは、たまに外食した時のメニューで、カレーにするかオムライスにするかくらいのものです(笑)

社会や周囲の人々は、つまり「予測可能な人生を生きている人々」は自由意志に反対なのです。

あなたもご存知のように、予測可能な人生を生きてる人は非常に多いのです。

実はそれが社会の多数派です。

もし、あなたが「一瞬一瞬に自分の意志つまり思考が働いて、自分の選択肢」を行使しはじめたら、明日、あなたはここにいないかもしれない。

少なくとも来年は、もう同じことの繰り返しであるこの人生にから別の人生を選らんでいるかもしれない。

そうすると会社や家族など周囲の人は、困惑するのです。

自分は予測可能な人生しか生きたことがないから、誰か身近な人が「自由意志で自分の選択」をし始めると通常批判します。

なんて勝手な!

実は社会や周囲の人々は、つまり「予測可能な人生を生きている人々」は自由意志に反対なのです。

そして、それを自分も受け入れていまっている。

もちろん「安定した人生」のためです。

だから、公務員や教員は最も認知症を発症する率が高い職業なのです。

あまりに予測可能な退屈な人生を生きてしまい、すでに死んでしまっているからです。

彼らの人生に真の情熱などないのですよ。

意識的な思考や選択をしていないということに真の原因がある

一瞬一瞬に自分の意志つまり思考が働いて、自分の選択肢がある。

一瞬一瞬、どのパラレルワールドにシフトするか選べる。

私もそう思いますよ。

そして、一瞬一瞬に選べるなら、望まなければ常に違う選択ができるわけであり、だから運命は決まっていないといえますよね。

「運命が決まっているように見える」のは人生の安定を望むあまり、意識的な思考や選択をそもそもしていないということに真の原因があります。

 

そこで、私の例の疑問です。

「すべてが必然で、すでに決まっているのなら、努力しても仕方ないのではないか?思考しても現実を変えられない、ということになってしまうじゃないか」という命題です。

 

しかし、あるパラレルワールドでは仮にそうだとしても、あなたがおしゃっているように、

一瞬一瞬に自分の意志つまり思考が働いて、自分の選択肢がある。

一瞬一瞬、どのパラレルワールドにシフトするか選べる。

なら何も問題ないじゃないですか!

例えば今、毎日満員電車に揺られて面白くもない仕事を日々続けている予測可能な人生を生きている。去年もそうだったから、来年も恐らくそうでしょう。

しかし、仮にそうであっても別のパラレルワールドが選べるなら何も問題ないですよね!

今の現実にとどまり続けているのはその人の選択なのです。

その人が今、意識的な思考、意識的な選択をしていないだけです。

 

 自分が選んだ人生は、自分の魂が望んで作ってきたものであり、すべて魂がレベルアップするために用意された必然からできている。ただし、一瞬一瞬の自分の思考により、どのドラマを欲するか自分が選び取ることができる。

そう思いますよ。

どのパラレルワールドのどの瞬間にいても、「意識的な思考、意識的な選択」をすれば、その瞬間に別のパラレルワールドにシフトすることができるのです。

なら何も問題ないですよね!

今のパラレルワールドにとどまり続ける人も、「無意識に条件反射的に生きる」という消極的な選択をしているのです。

それもまたその人の選択です。

そうすると、あまりにそのような予測可能な人生が長くなると自分自身が退屈して、認知症になってしまった。

それって、一瞬一瞬の自分の思考により変化することができるのですから、認知症という病気になる決まった運命があるわけじゃないですよね。

ただ、今の条件反射的な、予測可能な繰り返しの人生を生きていたら、どうなるかはおおよそ予想がつきます。

それは、時速何キロで東に走っていたら、どこに着くのか予測できるのと同じです。

ポイントは日々に無意識に生きていることです。

自分の人生のハンドルを自分で握っていないのです。

目を覚まし、自分の人生のハンドルを自分で握り、ハンドルを切れば、たちどころに人生は自分が行きたいと今決めたところに向かいはじめます。

でしょ!

運命ってないじゃないですか!(笑)

それは、人生を「無意識、無選択」に生きているか、「意識的な思考、意識的な選択」で生きているかの違いだけです。

すべての人の選択肢がないわけじゃないのです。

みんな持っているのです。

それを意識的に使っていないだけです。

気づいていないだけなのです。

運命を変える方法とは

今までいつもあるパターンで「あなたのせい!」と腹を立てきり(落ち込んだり)してきたとしますね。

パラレルワールドをシフトするとは、私に言わせれば、その思考パターンを変えることです。

いつも「支配と従属」の中でいかに有利な立ち位置を確保するかで争ってきたとしますね。

シフトするのは、相手は変えられない「みんなちがってみんないい」とその堂々巡りのパターンを自ら手放し、自分は自分で自分自身の人生に取り組み、人のことはまったく気にならなくなることです。

その人は意識的な選択をするのであれ、無意識の人生を続けるのであれ、それはその人の選択なのです。

すべての人に対して「それは間違っている!」というのは大きなお世話なのです。

なせなら、すべての人は別の選択肢を持っているからです。

それを行使しないのはその人の自由なのです。

それにいちいち「それは間違っている!」というあなたはどれだけ暇なのですか!(笑)

「みんなちがってみんないい」で静かに立ち去り、さっさと自分のパラレルワールドをシフトさせることに集中したらいい。

それ以外にすべきことは何もないのです。

もう一度言います。

それ以外にすべきことは何もないのです。

なぜなら、あらゆる選択をする人は常にいるのです。

そのあらゆる存在をなくすことはできないのです。

しかし、あなたがその人の類友であり続けるか、別の在り方を選ぶ人と類友であるかは、

ただ単にあなたの選択なのです。

いちいち「それは間違っている!」ということで、あなたはその人の類友であり続けている。

「人のせい」で機嫌の悪い人の前からさっさと静かに立ち去ることです。

もはや自分はそういう類友にはらないと思考し、違う選択をすること。

それこそが運命を変える方法なのです。

パラレルワールドをシフトするとは、自分の思考パターンを変えることなのですよ。

取り組むべきは自分自身なのです。

「思考が現実化する」のです。

多くの人の人生がなぜ変わらないかというと、「自分の思考パターン」を変えることができないからです。

自分が同じところを堂々巡りしているのは誰かのせいじゃないんですよ。

自分の「自分の思考パターン」が変わっていないからです。

「思考が現実化する」しているのです。

問題は今の自分の思考の枠組みの中で必死に走り続けることじゃなくて、枠組み自体の外に出ることなんですよ。

あなたにとって創造とは何ですか?

それに今回の話には登場しませんが、あなたの議論では、人生は「いつかのタイミングで、何かが決まっていてどう選ぶか」というだけの問題のようです。

そこに創造的な要素がまったくない。

人はただ運命に翻弄されるコマのようです。

 

あなたにとって創造とは何なのですか?

宇宙の本質は創造なのですよ。

ですから人生の本質も創造です。

なぜなら、神は自分自身に似せて人を創造したからです。

あなたの人生に「創造」という視点がない限り、運命論の周辺をぐるぐる回るだけです。

コメント

  1. 長い!S より:

    こんばんは。私もオスカル様と同じようなこと思ったことありました。
    ですが堂々巡りし、何も変わっていないことに気づき止めました。(私個人の話です)魂は魂の叡智で、天空の城ラピュタにでてくるような宇宙コンピュータでプログラムしてると思うんですよ(見たことありません)あの人に産んで貰おう!とか。
    事細かに、この時期に運命を変えよう とか このタイミングで気づきを起こそう とか
    (笑)誰と何歳で出会って・・・とか。そこまで計画があるんじゃないかとさえ思いました。でも、そう思うと何もしなくなるんですよね。それでは私はしっくり来ないんです。住んでる場所や人、環境を変えなくても変わることは出来るし、気づきはたくさんあります。意識をしていれば・・・ですが。
    職場に私のことを嫌いな人がいます。この人のパターンも私は分かった訳です。
    私は好きでも嫌いでもないのでどうでも良かったんです。
    わざわざ自分からフランクに声をかけようなんてことも思わない訳ですし。でもそれこそ妙なエネルギーは感じます(笑)でもですね、ふと感じたのです。何か違う・・・。
    で、帰り際、いつもは「お疲れさまです」と言って後にするんですが、「○○さんお疲れさまです。後お願いします」と きちんと意識して言葉にした訳です。
    そうしたらですね、それなりの対応を先方もして下さったわけです。
    私の中では運命が変わった瞬間だったわけです!
    これが、計画上はもしかしたら嫌いになられたままで行ってたかもしれないですよね。
    大きな支障は無いわけですし、でもどうせなら妙なエネルギーを無くしたいと私は思ったんです。肉体を持った魂(私)はアクションを起こして変えたということになったと感じてますが・・・。それで、妙なエネルギーを先方が出すことも一つは減ったとしたら素晴らしいじゃないですか。(また違う人を見つけるかもしれないですけどね)

  2. 榎本 榎本 より:

    >そこまで計画があるんじゃないかとさえ思いました。でも、そう思うと何もしなくなるんですよね。

    そこがポイントですね。
    もし全てが決まっているなら何もする必要はないですからね。

    >住んでる場所や人、環境を変えなくても変わることは出来るし、気づきはたくさんあります。意識をしていれば

    これもその通りですね!

    常に私たちが「今ここ」にいることから逃れることはできません。
    「今ここ」で何を認識しているかによります。
    自分の持つ選択肢を認識しているか、ある特定の無意識の反応を続けているかです。
    要するに認識の拡大、意識の拡大、思考の拡大にポイントがあるのであって、住んでる場所や人、環境を変えても、「以前と同じ認識」に留まるなら、新しい場所、人、環境を使って「同じ選択」をし、「似たような結果」を得るだけですからね。

     それが人生で似たような経験が起こり続ける理由であり、なんで「別れた人と似たような人」(通常もっとキャラが強くなった人!)とまたつきあうの?という理由です(笑)

    >きちんと意識して言葉にした訳です。そうしたらですね、それなりの対応を先方もして下さったわけです。私の中では運命が変わった瞬間だったわけです!

     その通りです!

     運命が変わるとはこのようなことを言います!

     大事なポイントは「自分の中に別の選択肢があることに気づいた」わけです。
     それはこのケースのように微妙に言葉かけが違うことかもしれない。

     それは自分の中の「思考が変化した」のです。
     そうすると自分の「言葉が変化した」。
     そうしたらそれなりの対応を先方もして下さった。
     つまり「行動が変化した」

     人生は思考と、言葉、行動で作られていきます。

     自分の「思考が変化した」ことによって、「言葉が変化し」、「行動が変化した」。

     人生が変わったのです。

     「運命が変わった瞬間」ですね!(笑)

     ここでポイントは、きっかけは「自分の思考の変化」にあったわけです。

     自分の「思考が変化すれば」、「言葉が変化し」、「行動が変化する」のです。

     運命が変わり、人生が変化します。

     要は、自分の思考をどのように意識的に、「自分の人生がよりよくなる思考に変化させるのか」ということです。

     だって「その人の思考を選べるのはその人だけ」です。

     自分の思考を、自分の人生(運命)を変えるために行使した。

     それこそが人間の自由であり、栄光です。

     とてもいい事例をありがとうございます!

     とても小さな日常の変化のように見えますが、日常の変化こそが本質的な変化ですからね。

Loading Facebook Comments ...

最近のコメント