ご質問をいただきました。
前から知りたかったことがあります。
ブログの読者の方々、
特に現在子育て真っ最中の親御さんは気になることだと思うのです が、 榎本様の育った環境?と言うか
榎本様のお母さま、お父さまの子供の育て方、
現在の子育てで特に大切にしていること、接し方など(ブログでも息子さんの写真付きで色々お話して下さるのですが) もっと詳しく聞いてみたいのです! どうか時間のある時にでもブログで教えて下さいませ。
子育ての参考にしたいのです
榎本様の育った環境?
広島で政令指定都市ですけどね。
近くに子どもから見たら結構大きな山があって、そこで探検していましたね。
工事現場からロープなんかを拾ってきて、木にかけてがけをよじ登ったりするんです。
真っ暗な水路を探検して、どこに出るのか行ってみたりですね。
あと洞窟も掘りましたね!
中で火遊びするんですよ。
火遊びといってもHなことじゃないですよ!
ほんとの火遊びです。
まだ小学生ですからね。
もう火遊びも楽しくてねぇ。
そして雨がふったらダムを作りにいくんですよ。
山の造成地を流れる水をダムを作ってせき止めるんですね。
晴れても雨が降っても外で遊んでいましたね~
あと、自転車で旅に出るんですよ!
おふくろに握り飯を作ってもらうんです。
そして「俺は旅に出る」と言ってずっと何十キロも遠出して、橋を通って島を巡って最後はフェリーで広島港に帰ってくるんです。
小学生ですから大冒険したぜ!と思ってましたね。
そのクセはいまだに抜けなくて、自転車でバリ島を巡ったりするんですよ。
まぁそういう意味では私は子供のころから何も変わっていないと言えますね!(笑)
榎本様のお母さまの子供の育て方、
おふくろですか!
おふくろは「NO」といわない人ですね。
私はおふくろに「あれをしてはいけない」「これをしてはいけない」と、ほぼ言われたことがないんです。
だから、毎日どろどろになって遊んでいました。
私があんまり毎日どろどろになって帰ってくるので、私の服だけは他の家族の服と別にして洗わなければいけなかったそうです。
それは大人になって知りました。
小学校高学年くらいになっておもしろいから一緒に遊びに行こうぜと誘うと「でも服が汚れてお母さんに怒られるから」というヤツがいたんですよ。
「へっ?」そんなことで怒られるの?
そんなこと言ったら俺なんかどうなるの?と思いましたね。
だから服を汚すことが悪いことなど微塵も思ったことはないです。
ダンボールで崖をすべり下りて、毎日どろどろですよ。
もうダンボールが破れて、ズボンのお尻のところまで穴が開くんですね。
そしてパンツまで、泥で染まってるんです。
毎日それをやってましたからね!
一度も注意されたことないし、嫌な顔ひとつされたことがないのです。
だから服を汚すことが悪いことだと思う人がいることを、まったく知りませんでした。
あと、友達とイカダを作って海に漕ぎ出してましたね。
あれも楽しかった!
冬に風に流されてどんどん沖に出てしまって帰れなくなったことがあるんです。
夕方ですよ。
日がくれかかっていました。
そしたら、漁師のおいちゃんが通りかかって声をかけたんです。
「こらぁ!お前ら 帰れんのじゃろぉが!」
もう悔しくて、悔しくて、・・・
でも敗北を認めざるを得なかったんです。
一生懸命こぎ続けたのに沖に出るばかりでしたから。
イカダの上に立ちすくみ、こっくりうなずいたんです。
そしたら、「そのイカリをこっちに投げろと」と言われて。
私たちのイカダはイカリを搭載していたんですよ!
停泊するためです!
そして「こっちへ乗れ!」と言われて、漁船に乗りかえて、イカダを引っ張って港に連れて帰ってもらいました。
もうね。
しこたま怒られるだろうなぁと思ったんですよ。
しゅんとしてました。
そしたら、その漁師のおいちゃんは「気をつけろよ」とひと言いって、何も言わないんですよ。
学校にも親にも誰にも何も言わないんです!
この漁師のおっちゃん、男の中の男!と思いましたね。
かっこいいぜ、おいちゃん!
おかげでその後いろいろイカダで探検しました。
そして、ある嵐の日のあと行ってみたら、我らのイカダが流されてなくなっていたんです。
呆然としましたね。
まぁそれでイカダ遊びはやめました。
小学校5,6年かなぁ、漠然と「生きることの意味って何だ」みたいなことを感じ始めたんですよ。
とりあえず何かわからないけど、自分の生きた記録をつけておこうと思って日記をつけ始めました。
誰にも読ませたことはありませんし、自分で読み返したことはないです(笑)
結構長く続きましたよ。
中3くらいか、高校の途中くらいまで続きましたね。
今は日記書いてません。
ブログ書いてます(笑)
それで生きる意味というか、真理の探究に目覚めまして、本屋に行って真理を探しましたね。
一番大きい本屋から本屋をハシゴするんです。
当時広島で一番大きいのは広島そごうの紀伊国屋でした。
自転車とかバスで行って、もう6階の書店に直行します。
そこで昼ごはんも食べずにず~と立ち読みします。
そして一通り探索を終えたら真っ直ぐ出て次の本屋に向かっていました。
服とか食べ物のかその他のモノとか一切興味がなかったです。
デパートだから色々モノがありますけどね。
いつも6階にある本屋に直行、直帰です。
まったく立ち寄りなしですね。
大人になってからデパ地下で、二重焼とかおみやげを買って帰るようになりましたけどね(笑)
十代後半ではロロ・メイの愛と意志
読んでました。
愛とか意志とかと呼ばれるものが大切なんだっていう直感はあったんですよ。
でもわからないわけです。
愛っていったい何だ!意志っていったい何だ!
もう心の叫びなんですよ。
そういうのを追い求めていました。
あとはトランスパーソナル心理学とかですね。
個人を超えた心理学です。
何かそういう個人を超えたものがあるはずだという直感は10代のころから持っていました。
それが何だかわからないんです。でもきっとある、それは何だ!もう猛烈に知りたいのです。
よく考えたら子どもの頃からルーツファインダー(根源の探求者)でしたね。
山の探検からはじまった、私の自由な探究心をまったく無制限に許してくれた母には感謝しています。
まぁほんとは母も気づいていたはずです。
火遊びはするし、崖から落ちるし、海には落ちるし、もう毎日ですからね。
それでも何も言わないんですよ。
ああ、ちなみに子どものころ月に1冊本を買ってよかったのです。
マンガ以外なら何でもいいといわれていたんですね。
最初に買った本は「大冒険 山入門」ですよ!
今でも覚えていますね。
ぼろぼろになるまで読みました。
その習慣は本好きになり、本でも探求するという方向に導いてくれました。
ちなみにもっと小さいころは読み聞かせしてくれてました。
寝るとき何か物語を読んでくれるんですよ。
カチカチ山とか、おむすびころりんとかそんなのですよ。
それでお話を聞いていると眠たくなってくるんですよ。
まぶたが重たぁ~くなってくるんですね。
で、母が「寝たかな」と思ってお話を途中でやめるんですよ。
そうすると、ぱっちり目をあけて「まだっ!」と言うんですね。
まぁそんな感じでしたね。
お父さまの子供の育て方
おやじはまぁ頑固者ですよ。
不機嫌なことも多かったですね。
よく怒られてました。
まぁ母とは反対のキャラクターですね。
小学校高学年のある日、土間に立たされておなじにどやしあげられていたことがあるんです。
もう理由は忘れましたけどね。
そしておやじが「これはお前を思ってお前のために怒っとるんじゃ わかったか!」みたいなことを言ったんですね。
そしたら私は言ったんですよ。
「違う。ボクが悪いから怒られているんじゃない。父さんが機嫌が悪いから僕が怒られたんだ!」と言ったんです。やつあたりだ!とね。
同じことをしても、ある時は怒られず、ある時は怒られることに気づいたのです。
その違いは、自分ではなくて、おやじの機嫌にあるということを見抜いたんですね。
「違う。ボクが悪いから怒られているんじゃない。父さんが機嫌が悪いから僕が怒られたんだ!」そう言った瞬間、親父が表情が変わってうろたえたのがわかったんです。
その後、もちろん「何を生意気な!」としこたま怒られました。
でも私はその時、父の図星をついたことを理解したんです。
あんなにうろたえた父を見たことがなかったからです。
それで私は気づいたんですよ。
大人も完ぺきではない。
自分の機嫌や勝手な都合で言うことが変わる。
だから真に受けちゃいけない。
その後も「はい。ごめんなさい。もうしません。」と言いながら
「あ~また機嫌の悪い親父に見つかっちゃった。運が悪かったなぁ。」と思えるようになったのです。
それまでは、子どもにとって親は絶対であり神のような存在ですからね。
親が間違えるとか、想像がつかないのです。
しかし、親が間違えるこということに気づいたのです。
真に受けてたらエライことになるぞと。
その後の人生で、私は目上の人、いわゆる権威が間違える可能性、必ずしも善意だけでそういう言動をしているわけではないということに敏感に気づくようになったのです。
本人は「自分は相手のため」と信じきって、相手にマイナスのことをしていることが多々あるのです。
「あなたのことを思って言っている」という人の言葉も真に受けてはいけない。自分でちゃんと考えないといけない。
これはある意味私の大きな財産になりました。
だから私は決して権威を鵜呑みにしないのです。
人は神ではありませんからね。
そういう場面では「はい!わかりました!」とあわせておきますが、自分は自分でちゃんと考えてみるのです。
私は権威に盲従するフリをして、決してうのみにしないという習慣を身につけたんですね。
この習慣がどれだけ私の人生に役立ったかわかりません。
「自分」というものを持つこと、自分で考えることの大切さを子どもの時に骨身にしみて知ったのです。
大人も完璧ではない。
偉い人も完璧ではない。
まあ当たり前ですけどね。
だから、こういう洞察を与えてくれた父にも感謝しています。
20歳くらいの頃は、父も悪気があってそうしたわけではなかった。
むしろ良かれと思ってやった。
父にはああすることしかできなかったということを理解しました。
だから父に対するうらみというかわだかまりは何もないのです。
だから晩年の父に最も付き合ったのは、最も反抗した私です。
それが私の育った環境であり、今思い返すに私を形作った重要な経験ですね。
現在の子育てで特に大切にしていること、接し方などもっと詳しく聞いてみたいのです!
本人の自由意志ですね。
私はそんなこんなで本人の自由意志は一番大切なものだと思っています。
すべての進路は自分で選ばせますし、聞かれれば大人としてのアドバイスをしますが、あれこれ押し付けることはないです。
時にはまぁ学校の面談で怒られたことがあります。
「ご家庭ではいったいどんな教育をされてるんですか!」みたいなことですね。
私は人に迷惑をかけないなら何をしてもいいという方針なんで、まぁ制限はないんですよ。
だから、受験前にふらっと自転車で旅に出てしまうこともあります。
さすがに私も目が点ですよ。
まぁ非常識ですわなぁ。
でも行かせてしまうんですよ。
誰にも迷惑をかけることじゃないからです。
うちではそういうことは最終的にはすべて尊重されます。
もちろん「おい!センター試験直前だろ」と言いますよ(笑)
でもそれでも行くならいいんです。
あれこれ言いません。
わだかまったり、根に持ったりしないんです。
まあそれでも行くなら楽しんでおいでですよ。
ただ、そういう誰にも迷惑かけないことでも、学校では許されないことがあるのです。
校風が乱れる、みたいなことを言うんですよ。
そしたら私は何て言うか。
「そうですか。家で話します。」と言うんです。
先生も「ぜひそうしてください。」と言います。
で、家に帰ったらですね。
私ははっきり言ってそんなことはどうでもいいと思っている。
しかしまぁ先生には先生の立場があるんだ。
先生も注意しないわけにはいかんだから。
だから、ここは先生の顔を立ててやったらどうか。
ここで、先生に反抗したら、これから進路を控えて色々不利になるかもしれないぞ。
そんなことはつまらんことじゃないか。
まぁそんなことを言う訳です。
そうするとうちの子は私よりも頑固なんですよ。
いえ、普段は穏やかですよ。
何も問題行動などないし、友達関係も良好です。
反抗することもありません。
うちでは基本すべて許されるので、反抗する必要がないんですよ。
親子関係も良好です。
だから一緒に自転車で旅に出たりします。
それが学校でつまらんことで注意されて折れないんですよ。
実にくだらないことですよ。
適当につきあってりゃいいのにって思うんです。
でも折れないんです。
お前ね。
そんなことすると人生、生きにくいぞ。
彼らは力をもっているんだからな。
言うことを聞いている「フリ」をしておけばいいだと言うんですけどね。
折れないんです。
俺は内申点など関係ないところに行くと言って、センター試験を受け、二次試験の配点重視のところを受けて、その進学校では学校始まって以来みたいなところに現役で合格していったのです。
もう何も言うことないですよ。
だから、本人の意思を大切にして、本人の情熱を大切にして、本人が心の底からやりたい事をやることを、大切にしてあげる。
子育てで必要なことはそれだけです。
で、親も情熱をもって目を輝かせて生き生きと楽しく生きてみせることです。
「お~ 大人になるって楽しそうだな」
俺も早くおやじみたいに色々やってみてぇなと思わせておけばいいです。
そして、この地球において、やりたいことを自由にやることほど素晴らしいことはないんです。純粋な喜びなんですよ。
情熱があふれ出るんです。
その情熱がエネルギー源なんですよ。
この子が自らの情熱のありかに気づき、それを自由に探求するとき、本当におもしろいことをやります。非常に学びます。成長します。
ほっといても自分で本を買ってきて学びます。
だって、それが自分がやりたいことだから!
それから、あともうひとつ。
実は大人は間違っているんですよ。(笑)
だって宇宙は常に進化しているから。
子孫は必ず祖先よりも偉大なのです。
大人の方が間違っているんですよ。
子孫の方が間違いなく偉大です。
そうでなければ宇宙が進化し続けている理由を説明できないんですよ。
その偉大な子孫の可能性を大人が摘まないことです。
必ず子孫が祖先より偉大になっていく宇宙の法則を大切にすることです。
大人には子どもが理解できないんですよ。
だって彼らは大人より偉大だから。
大人にできることは、彼らがその偉大さを発揮できるように通路になってあげることですね。
私が遠隔浄化に興味を持つことは、父にも母にも想像だにできないことでした。
それはもう無理なんですよ。
しかし私はもう10代のころにははっきりとそれへの探究心を持っていたんです。
もうぜんぜん大人には理解できないんですよ。
それと同じことがどの世代でも常に起こっているんです。
そうしないと宇宙は進化しませんからね。
大人はまったく理解できないことの答えを子どもは胸に秘めているのです。
その自由な探求を許してあげることですね。