問題の核心は、お互いの現実の創造に対して、要求する権利があると思っていることにあります。
家族の問題の難しさは、その人の現実はその人しかコントロールできないのに、お互いの現実が混ざり合い、しかも「家族なんだら」「夫だから」「妻だから」「〇〇して当然だろ」と相手に要求することがあたりまえだと思っていることにあるのです。
メールをいただきました。
(主人が)ボソッと
「特に贅沢してるわけでも、遊んでいるわけでもないのに、
毎日毎日働いてるのに、なんでこんなにお金がないんやろう?」
と言ったのが聞こえてきました。
耳に残りました。
彼の思考は、多分ずっと前からこんな感じです。
そういう人を人生に引き寄せたのも私なんですが…。
・・・
また、「お金がないのにお金がいることをしてしまった」
と頭を抱えていました。もう、私は自分の現実とは違うという見方を選んでいるのですが、
督促状や、催促のハガキが何通か届いています。。。
何ヶ月か前に話をして
「私に何も言わないということは、全く問題がない!
と今後受け取るからね」と伝えています。
だけど…。同じ家に住んでいて、同じ家計なのに、
「私の現実とは違う」という解釈は無理があるでしょうか?
それを選んで、私はすごく楽になっているんですけどね。
その人の現実は、その人の思考、言動、感情で作っている
その人の現実は、その人の思考、言動、感情で作っています。
そして、その人の思考、言動、感情は完全にその人の主権であり、誰もその人に代ってその人の「思考、言動、感情」を選ぶことができません。
ですから、誰もその本人以外にその人の人生の責任を負うことはできません。
しかし、家族というのは「一定の現実を共有」しています。
現実を共有しているから、相互に影響を与えています。
もちろんポジティブな影響であれば、大歓迎でしょう。
稼いでお金をうちに入れてくれるとか、家事を素晴らしくこなしてくれるとか。
しかし、人間ですからネガティブな影響を与えることもあります。
そこに問題が生じます。
「その人の現実はその人にしかコントロールできないにも関わらず、その人のネガティブな現実の影響を受けてしまう。」
これをどうしたら防げるのか。
まずこれを解決する視点です。
その人の現実は、その人の思考、言動、感情で作っています。
これは大原則ですから変えられません。
ですから、それを前提に対策を考える必要があります。
相手を自分の思い通りに変えることは不可能
たとえば家計。
お互いに何の不満もなければ問題ありません。
問題はどちらか一方かあるいは双方が「不満を持った時」です。
例えば主人の金銭管理、奥さんの金銭管理、どちらか一方かあるいは双方が「不満を持った時」です。
「もっと金銭をちゃんと管理して欲しい。」
しかし一方は「私は精一杯やっている。」と考えている。
こういうケースです。
「もっとちゃんとやってよ!」→了解!「ちゃんとできるようになりました!」なら何も問題ありませんが、
問題になるケースはこうはならないケースです。
「その人の現実は、その人の思考、言動、感情で作っている」のでその人が何か選択を変えない限りどうにもなりません。
言っても言ってこちらの求めるようににはならないケースです。
相手を自分の思い通りに変えることは不可能です。
その時は「その人の現実は、その人の思考、言動、感情で作っている」ので、自分の現実を「相手から切り離して」創造していくこと。
こちらは可能です。
不可能なことに時間を使うのでなく、可能なことに自分の時間とエネルギーを使うのです。
例えば、奥さんが何度言っても浪費がやまないなら、ご主人はお金を自分で管理するしかない。今まで通りお金を渡して「無駄遣いするなよ」と言ってもできない、そしてケンカがいつまでもそれが続くわけです。
それは不毛なこと、無益なこと、エネルギーと人生の貴重な時間の無駄使いです。
お互いの現実の創造を切り離す
ご主人はお金を自分で管理します。
そして奥さんがサラ金を借りようがどうしようが一切面倒は見ません。
線引きです。
「その人の現実は、その人の思考、言動、感情で作っている」以上、そして相手が分かち合いたくないネガティブな現実を創造している以上、影響を受けないように線引きするしかないのです。
代わりに借金を払いませんし、もちろん保証人などにもなりません。
そして、もうこれ以上相手が創造する現実を分かち合えないとなったら離婚です。
現在日本では三組に一組は離婚します。
ですから、三組に一組は、お互いの現実を分かち合あうことが苦痛になるのです。
3人に一人はそうなるのですから、そういうことはごく普通ことだと考えた方がいい。
ということは、お互いの現実が分かち合えなくなることが必ずあるという前提で考えることです。
ですから、奥さんが浪費するなら、奥さんがそのまま浪費し続けても大丈夫なように、自分の現実を創造するしかない。
ご主人が金銭管理がうまくないなら、ご主人がそのままで大丈夫な自分を創造するしかない。
これしかありません。
家族でも収入をプライバシーにします
>同じ家に住んでいて、同じ家計なのに、「私の現実とは違う」という解釈は無理があるでしょうか?それを選んで、私はすごく楽になっているんですけどね。
これでご自分が楽になって精神的に問題がないなら、いいです。
しかし「同じ家計」にしているとやがて苦痛になってくることがあります。
その時の対策は、「ご主人がそのままで大丈夫な自分を創造する。」しかありません。
「ご主人がそのままで大丈夫な自分」というのは人それぞれです。
ご主人がそのままでも、自分はどんな状況でも精神的に耐えられるという人もいるでしょう。
ご主人がそのままでも、自分は別に収入を確保し、問題ないから大丈夫という人もいるでしょう。
(この際も線引きが大事です。相手は「家族なんだからこういう時助けるのは当然だろう」というのです。ですが相手は変わりませんから、こういう「正論」を真に受けていると、自分が犠牲になり続けます。)
線引きのためには、自分の確保した収入をはじめから相手に言わなことです。
言うと相手はあてにするのです。
そんなにあるんだから出せ!という話に必ずなります。
そうすると出す、出さないと「家族なのに薄情だ」などとケンカになりますから、はじめから相手に収入を教えません。
それは「自分のうまくいかない現実の創造」を相手の犠牲によって補うことを正当化する口実を与えます。
自分の収入はブラックボックスであり、プライバシーにします。
そして、お互いの家事の負担や生活レベルなどを考えて、お互いにひと月これだけのお金を出し合おうと決めてやっていきます。
もちろん、自分の喜びから家族と分かち合いたければ、プライバシーの部分のお金でおいしいものを買ってきたり、することはどんどんやってください。
しかし、それはあくまで自らの喜びによってすることです。
相手はそれを要求できません。
こういう風にしておかないと、相手はいくらでもこちらの創造した現実に「もっと出せ!家族でしょ」と要求してしまいがちになるのです。
お互いの現実に創造に、双方干渉できないという原則をはっきりさせる
このようにお互いの現実に創造に、双方干渉できないという、できるのは自主的な分かち合いだけという原則をはっきりさせておきます。
これが人間の本来の性質に合致しているからです。
それを最初にはっきり線引きし、この原則を守るとはじめからケンカが起こりません。
なにしろ、お互いに双方が何も要求できないからです。
まず、そうやって線引きし、相手がそのままでも大丈夫な自分を創造することに注力します。
私たちが創造できるのは「自分の現実だけ」ということに注意する必要があります。
たとえ家族であろうと、相手の創造はコントロールできないのです。
その原則は、いつの時代でもどこでも通用する真実なのですから、自分の創造したネガティブな現実のツケを相手が払ってくれるという、支配と従属の構造をなくしておかなければ生涯自分が犠牲になり続けることなります。
自分の創造したネガティブな現実のツケを相手が払ってくれるということをやってしまうと、それはとても楽なことですから、自分の現実の創造の方を改善しようと思いません。
結果、いつまでも自分が相手の犠牲になるという構図が固定化されます。
一番いいパターンは、お互いに自分の現実をうまく創造することに熟達し、その現実の創造の果実を余裕をもって分かち合うことです
一番いいパターンは、お互いに自分の現実をうまく創造することに熟達し、その現実の創造の果実を余裕をもって分かち合うことです。
お互いにブラックボックスであり、プライバシーの部分を十分に確保しながら、相手や家族のために貢献したい。
生活のためにお互いが出している部分以上に、お互いが時々ポケットマネーでおいしいものを買ってきたり、旅行に連れていってくれる。
それは「当たり前でない部分」ですから、「あ~余分に出してくれる!ありがとう」となります。
それを双方がバランスよく自分が心地よく感じる範囲でやっているとき、ふたりの生活はとてもスムーズで快適なものになります。
一方が、他方の創造した現実に対して「家族なんだから出すのが当たり」と主張すると生活はぎくしゃくします。
ある人の創造した現実に対して、誰も要求する権利などないのです。
だって、すべての人は「現実は、その人の思考、言動、感情で作っている。」からです。
あるのは創造した人の「自主的な分かちあい」だけです。
原則から見て不自然だから3組に1組が離婚する
自分の現実の創造がうまくいかないからと言って「家族だから」と相手の現実の創造から要求できる権利をもっていると考えること自体に無理があるのです。
それが原則から見て不自然だから3組に1組が離婚するんですよ。
双方がまず「相手がそのままもで大丈夫な自分を創造すること」。
そして、そのお互いの豊かな現実創造から、双方が相手に要求することなく、自主的な分かち合いで共同生活が営まれることこれが理想です。
自分の現実の創造がうまくいかないから、結婚によって相手に補ってもらおうと思っているとその結婚は前途多難です。
双方が相手に一切要求しなくても自分の創造だけで十分やっていけるくらいに成長していなけえば、その生活は豊かな分かち合いになりません。
一方が「自分の現実を創造する」のがうまくいっていないとき、
うまく「自分の現実を創造する」ことができていない人が、自分の創造を改善すべきことがなすべきことです。
それをせずに「家族だから」と相手の創造から自分は要求する権利があると思うと、その家庭はぎくしゃくします。
三組に一組は離婚しますし、世間体が悪いからとか、他に選択肢がないからなどと、離婚しない人たちも、家庭内別居、仮面夫婦と呼ばれる状態の人たちは多いのです。
真の解決策はそれぞれの現実の創造にお互いが注力することだけ
解決策はひとつ、お互いにそれぞれの現実の創造に自分で責任を持ち、お互いが豊かな自分の現実を創造することに注力します。
そして、その双方の豊かな「自分の現実を創造」を分かち合うことを目指します。
ですから今の状況でのアドバイスは、「相手がそのままでも大丈夫な自分を創造する。」こと注力する、になります。
豊かな現実を創造する方法は、私がいつもセミナーで言っている内容ですからここでは割愛しますが、それが一番の解決策ですね。
しかし、それは本人がその知識を使って自分の創造を変えないとどうにもならないことですから。