姉妹の妹さんから、姉の嫁ぎ先の姑さんが「錯乱状態で暴れている」など、姉がすごくたいへんだということで「至急 遠隔浄化依頼いたします」というタイトルでご連絡をくださいました。
先ほど、緊急の電話があり、
姑様の〇〇さんが錯乱状態で暴れていると連絡があり、 病気の夫〇〇さんをベッドからおろそうとしたりしているともうして いました。どうかおさまるよう浄化いただけませんでしょうか。K(2017年8月14日 0:12)
夜分でありますのに対応いただき本当にありがとうございます。
姉は、夫の△△さんが脳梗塞で倒れてから看病生活をおくっており、△△さんは糖尿病や腎臓病も患われ目もよくみえないので生活のすべてに介助が必要です。入院後、△△さんの実家で介護していますが、80代の姑さんとはもともと△△さんに対して愛情がないようでそのことで姉ともうまくいかず、最近は暴れたり、危害を加えそうになったりされて、ずっと見張られていたり、外にとびたしたりされそうになったり、おかしなことを話し出したりされて、目が離せす、睡眠がとれない状態だそうです。姉自体も介護の日々で食事もろくにとれず身体も痛いところだらけで目がよくみえなくなっているといっています。その遠隔もよろしくお願いいたします。K(2017年8月14日 0:46)
病気で姑さんとかかわるようになってから、いままではとても愛情が深くもの静かで優しいかたと思っていましたが、裏表が激しい方だとわかったようで、入院中も姉がすべてのお世話をしていましたが(今退院して自宅療養現在も)姉のことを病院スタッフや近所の方々に嘘の悪いことを吹聴して、(姉がなにもしないから自分がすべて介護させられているとか、食事も自分だけもらっていないなど)、はじめは姉もきがつかなかったのですが、まわりのかたから聞いたり、だんだんわかってきたようです。
・・・このようなことが沢山かぞえきれなくあるようです。姉はもともとは私と違い姑さんなどの愚痴などそのようなことは一切いわないタイプなのですが、私の母には、もしも自分が(姉が)死んでしまったとき、あることないこと嘘をいわれると信じてしまうから、と話すようになったようです。
性格や考え方がよくなるように浄化ってできるのでしょうか。できればお願いいたします。
何を考え、何を選ぶかは、その人の主権
「性格や考え方ですか!
何を考え、何を選ぶかは、その人の主権ですからね、
もしそれができたら、人を奴隷化できますからね。
認知症のはしりの可能性もありますから、頭を浄化しています。」榎本( 2017年8月14日 14:21)
先ほど、〇〇家に行った母から連絡があり、〇〇さんはうそのように、暴れることもなくとても落ち着いていて、今日はゆっくり寝ることができそうとメールがありました。すごいです。本当にありがとうございます。
榎本先生からメールでアドバイスいただいたことは、また返信させていただきます。取り急ぎ本当に感謝いたします。K(2017年8月14日 23:36)
こちらがよかれと思っていても、浄化で思考操作などと無理なことで恐ろしいですよね。私自身、冷静な考え方が出来なくなっていました。すいません。
今回このような過酷な介護になってしまったのも、詳しい内容はわかりませんが、多分姉が、△△さんが倒れて介護認定をうけてしまうと二度と仕事に復帰できないと希望がなくなるのでは、という、仕事がどう考えても復帰できるめどがないのに休職の状態にしたがったためにおきています。
自分やまわりが楽になるより、△△さん本人に生きる希望をうしなわせたくないと多分考えていたようです。そのまま、かたくなに、だれの力も借りず懸命に介護してきました。その日暮らしがやっとで・・・
介護は本当に大変ですから、積極的に公的施設を利用するといい
「介護というのは本当に大変なんですよ。
今は公の施設が充実しています。
デイケアなどもありますし、積極的に利用し、気分転換をしてもらってください。
そういう施設では、認知症予防のレクリエイションや体操などイベントも充実しており、家族だけでみるよりはるかにいいです。
せっかく介護保険料を払っているのです。
こういう時のために払ってきたんですよ!」
睡眠薬は結局神経をブロックするもの、長く飲むと副作用
具体的には、
冷蔵庫から食べ物をとりだすのも冷蔵庫の前にいてできなくしたり 、△△さんに危害を加えたり( ベッドからひきずりおろそうとしたり)、ほとんど、 眠らないで夜中されるようで、 それを姉が止めたりするので姉もほとんど最近は寝ることもできな いようです。
認知症などではないきがするそうですが、(頭はしっかりされているきがする)
あまりにおかしくなられているので、睡眠薬など(姉には詳細わからないようですが) 沢山のまれたりしているのかもと、申していました。
「非常によくあるパターンです。
睡眠薬は結局神経をブロックするものなんですよ。
マイスリーはマリファナ(大麻)
それ以上の期間飲めば当然、どんどん副作用がでます。」
施設は「社会」、 家では傍若無人な人も、 普通に振る舞える人はたくさんいる
(介護で姑さんをずっとみることができないので)最近は、
暴言などもすごく、 買い物など家をあけると△△さんになにをするかわからない状態で 、 でかけられないのでうちの実家からいるものは送ってなんとか生活 しています。
まずは、姑さんの精神が落ち着くように、また、姉夫婦との関係が良好になるように浄化してただけると有り難いで す。
「施設に入ってもらうことも考えたらいかがでしょうか。
それが義母さまにとっても幸せですよ。
施設には多くの話し相手がいます。
そして施設はやはり「社会」ですので、
あまり認知症が進まないうちに、
「完璧にお世話すると、世話した相手に恨まれる」
このような榎本先生がアドバイスいただいたようなことも姉自身が
なかなか受け入れられない状態です。 もっとまわりの手を借りたらといいますが自分で完璧に介護したい とぼろぼろな状態の今もなんとかもう、 意地に近い感じかもしれません。
母もあまり指図するとけんかになるので話をきいてやることしかできないと申しています。 〇〇さんと姉もお互いに意地の張り合いで、姉の考え方は、
もっと△△さんのことを考えてあげたらいいのに、もっと、 介護を完璧にと、到底無理なことを、理想にかかげて、 にも自分の考え方を強要する、そして、 理想にあわない考え方だと非難し責める言葉を申しているような 気がします。
こういうストレスフルな家庭環境が、お互いの人間関係、感情、身体、を痛めつけています。
それぞれの生き方に今の現実を作ってきた原因があり、それを変えなければ、原因はそのままであり、また同じことの繰り返しになってしまいます。
ひとつ知っておいた方がいいのは
「完璧にお世話すると、世話した相手に恨まれる」ということです。
孤立し仕事もない状態の人は20~59歳で162万人(2011年社会基本調査(総務省))だそうですが、親がずっと成人した子供のお世話をしますよね。
そうすると親に暴言を吐いたりするようになります。
社会や、家庭、人間関係をよく観察してください。
必ず「依存している方」が「依存される方」に暴言を吐いたりするようになるのです。
これは法則ですよ。
ですから「依存される方」は、自分は身も心もボロボロに捧げ尽くしながら、受け取るのは暴言だけなのです。
これが世の真実です。
だから「依存される方」はまったくいいことがないのです。
自分の人間関係に「依存」があれば、長期的にそれを解消する方向を意図しなければ幸せになれない
ですから、自分の人間関係に「依存」があれば、長期的にそれを解消する方向を意図しなければ幸せになれないのです。
生まれたての赤ちゃんが親に依存するのは当然ですが、長期的にそれを解消する方向、すなわち自立させ、ひとり立ちさせ、自分の2本の足で生きて行けるように意図し、育てていかないと、双方が幸せになれないのです。
そうなっているのです。
なぜなら、自分のことを自分で決め、自分の人生を自分で歩むことによって、人間の尊厳が生まれるからです。すべての人がそうしたいのです。
いつまでも「いいよ。いいよ。」とお世話すると、頼ってしまって自立するチャンスを失うんですよ。人間は安きに流れやすいですからね。
しかし、魂の奥では誰もが自立し、自分のことを自分で決め、自分の人生を自分で歩みたいのです。
それは人間の最も根源的な欲求なんですよ。
その人間の最も根源的な欲求を「いいよ。いいよ。」とお世話することで、奪っているのです。
その人間としての最も大切な自立する尊厳を得られなかったいら立ちを「お世話してくれる人」にぶつけるのです。
まぁそうして、その人間関係を破壊し、「もう依存できない」自立するしか方法がないというところまで、追い込んでいくのです。
がんばるんじゃなくて、さっさと方向転換した方がいい
だからお世話する方も歯をくいしばってがんばるんじゃなくて、さっさと「もうダメだ!」と方向転換した方がいいのです。早ければ早いほどよくて、がんばればがんばるほど事情が複雑になっていきます。
ですから、初めから自分の人間関係に「依存」があれば、長期的にそれを解消する方向を意図しなければ幸せになれないのです。
それがこの手の問題が生じる根本的な原因に対する理解です。
だから、「介護を完璧にと、到底無理なことを、理想にかかげて、
その考え、生き方を自然なものに変えること。自分の人間関係に「依存」があれば、長期的にそれを解消する方向を意図しなければ、幸せにはなれないのです。
「誰かを世話すること」を「自分の存在理由」にしちゃいけない「誰かを幸せにすること」を「自分の存在理由」にしなくちゃいけない。
子の親離れも大切ですが、親の子離れもとても大切なのです。
親は子供ひとりに20年間前後も自分の人生を捧げますから、子育てが「自分の存在理由」になりがちなのです。
どんなに仕事がつらくても、家族のため、子供のためと思って歯をくいしばって生きている人が大勢いる。
「自分の存在理由」を家族や子供で支えているんですよ。
そういう人は、「子供のお世話」が自分の人生からなくなったら、自分の人生が空っぽになったように感じるのです。
「自分の存在理由」を失いたくないがために、「子供のお世話」をすることから降りられない。
しかし、「誰かお世話すること」を「自分の存在理由」にしちゃいけないんですよ。
「誰かを幸せにすること」を「自分の存在理由」にしなくちゃいけない。
そして、「誰かを幸せにすること」とは、最終的にその誰かを自立させ、ひとりで自分の人生を生きるように手伝うことなのです。
最終的には「自分はいなくてもいいように」手伝うのが、本当の愛なんですよ。
それが本当に相手を思うことなのです。
「お世話をすることをやめないと」「お世話したことを感謝してもらえない」
そして相手を自立させ、ひとりで自分の人生を歩ませたとき、誰かの世話をし始めるとき、「あ~ 人をお世話することはこんなにたいへんなことなんだなぁ」ということがわかります。
そして、自分がしてもらったことをふと思いだし、ありがたかったなと思うのです。
だから、お世話してもらう必要がなくなって、自分以外の誰かをお世話するくらい強くなって、初めて「自分がしてもらったお世話」に感謝できるのです。
だから「お世話をすることをやめないと」「お世話したことを感謝してもらえない」のですよ(笑)
この世の真実はそうなっているのです。
だから、さっさとお世話をやめる方向でがんばった方がいいのです(笑)
しかし、この世に諸般の事情があることも知っています。
現実問題として、お世話を必要とする人もたくさんいます。
そして誰かがそれをかって出てくださることは、本当に尊いことですよ。
ありがたいことです。
それでも、「誰かをお世話すること」を「自分の存在理由」にしちゃいけない、
「誰かを幸せにすること」を「自分の存在理由」にしなくちゃいけない。
自分の人間関係に「依存」があれば、長期的にそれを解消する方向を意図しなければ幸せになれない。
今は依存しなければならない人がいて、お世話をしなければいけない人がいても、長期的にすべての人が、自分の二本の足で立って、自由に自分の人生を選ベる、健康で生き生きと喜びにあふれた「依存しなくていい」人生を生きられるように意図しなけれ、幸せになれないのです。
ですから、今生「依存しなくて生きられる可能性」がある人が最大限それをお手伝いするし、今生は「依存しなくて生きられる可能性」がない人は、できるだけ余生を快適に過ごしてもらい、「来世は自分の二本の足で立って、自由に自分の人生を選ぶぞ!」と思ってもらい、その時がきたら送り出すというのが、「お世話することを選ぶ人」にできることです。
「誰かをお世話すること」を「自分の存在理由」にする人がいると、「依存を固定化」させるんですよ。
だから「お世話すること」を理想にかかげちゃいけない。
「誰かを幸せにすること」を「自分の存在理由」にしなくちゃいけない。
そして、その人にとって真に喜びにあふれた幸せな人生とは何か?と問うたら、最終的にはすべての人が、自分の二本の足で立って、自由に自分の人生を選んで生きたいのです。
今はそれは叶わなくても、遠くの視点はそこにあわせておかないとうまくいかないのです。
今はそれは叶わなくても、遠くの視点をそこにあわせていれば、何かとスムーズに流れるのです。