【メタモルフォーゼ06】大切なのは適切な問いを発すること、それを自分の人生で経験すること

数年前からずっと、特にこの数か月、世界はひとつ。世界は愛。
私自身も愛そのものであり、神であり…すべての人がそうである。
そしてパラレルワールド。いまここにすべてがある。
こういったことを知りたくて、というか、思い出したいと思ってきました。
でも探す限り見つからないというし、すぐそばにあるというし、
だから、思い出したい気持ちを放っておきました。
そうしたら榎本さんのところにたどり着いた。
私もそれらを思い出す準備が整いつつあるのかもしれません。そうだったらいいな。

「求めよされば与えられん。」

「教師は、生徒の準備ができた時に現れる」

という言葉があります。

これは本当です。

求めたら、答えは与えられるのです。

問題は、答えがないことじゃなくて、そもそも「適切な問いを持っていない」ことです。

大切なのは適切な問いを発すること

それは私についてもいえることです。

例えば、ある本が気になって入手し、読み始めたけどさっぱり頭に入ってこない。

しかしある経験をします。

その後、その本を読むと、「あっそういうことだったのか!」とはっきり理解できる。

つまり、自分の準備が整わないと、それが理解できないのです。

そういうことは、私も毎日のように経験しています。

答えが問題なのじゃなくて、私たちが、問題の本質がつかめず、「適切な問い」で求めていないことです。

そうれで見当違いのところを探すから迷宮に入ってしまう。

答えがないと思う。

答えはいつでもつねに、用意されています。

受け取る準備がある人には、この瞬間に与えられます。

要は受け取る側が適切な問いを発することなのです。

生徒の適切な問いほど大切なものはない

私は学生時代の家庭教師に始まって、先生として多くの経験をしてきました。

生徒の適切な問いほど大切なものはないのです。

生徒が「わかりません」と言います。

「どこがわからないの?」

「全部」

こういう生徒に対して適切な教育成果をあげられたためしがありません。

彼は「何がわかっていないかわかっていない」のです。

だから、家庭教師の場合は、「いったい彼は何がわかっていないのか」ということを一緒に探究するところからはじめました。

ある中学生の家庭教師をしていて、それをずっと紐解き、最終的に「何がわかっていないか」見つけた時は、驚いたことがあります。

方程式を教えていたのですが、彼は九九が言えなかったのです!

はじめから「僕は九九がいえません」と言ってくれれば、膨大な時間を無駄にせずにすんだのに・・・。

しかし「何がわかっていないか」明確になれば、道筋は見えてきます。

それを愚直にやるしかない。

「次の時間までに九九のここまで言えるように」と宿題を出し、来週の最初にそれを確認するのです。そういうところから始めるしか、決して成果をあげられない。

しかし、「あ~彼は小学校の時に、先生も親も誰も彼がどこでつまづいているか真剣に考えてくれなかったのだな」と思いましたね。

しかし、これは私にとっても同じことです。

私自身が、「こういうことを知りたい」と明確になれば、答えは私が既に持っている本の中にあったということなどは本当によくあります。

すでに絶版になっている中古の本から見つけることも多いです。

そんなものなのです。

知ることは知識を元に経験を創造すること

私自身も愛そのものであり、神であり…すべての人がそうである。
そしてパラレルワールド。いまここにすべてがある。
こういったことを知りたくて、というか、思い出したいと思ってきました。
でも探す限り見つからないというし、すぐそばにあるというし、
だから、思い出したい気持ちを放っておきました。

はい。みんな愛そのものとして生まれてきます。

こちらの記事で書いた通りです。

愛は生得のものです。

すべての人がそうです。

そして、「神は愛なり」なんですよ。

知識を知ることは大切です。

そうしないと「その存在を認識できない」からです。

りんごという言葉をしらないと、世の中にりんごというものがあるのを認識できません。

丸くて、甘酸っぱくて、赤くて、上にヘタがあって・・・

これが知識です。

しかし「りんご」という言葉を知ったからといって、りんごを知ったことにはならないんですよ。

りんごを実際にみて、食べるまでは!

それはただの、紙にインクで書かれたものにすぎない。

知識を元に経験を創造すること。

それで初めて「知った」といえます。

私は「りんごを知っている」と。

ただの言葉には意味がありません。

それをあなたの人生にもたらすこと、

それを自分の人生で経験することなのです。

地球は経験の星です。

自分の経験にしなければ、それを生きた、それを知ったとは言えないのです。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

Loading Facebook Comments ...