山本太郎さんは、前回自分が当選した東京選挙区から出れば当然、当選できたし、比例でも3位でなければ当選できた。これは「わざと」であることはわかっていたが、その理由、戦略はよくわからなかった。やはり確実に国会議員になった方がよかったのではないかという思いもあった。
しかし、山本太郎氏の驚くべきビジネスモデルというページに彼の戦略が解説してあった。
山本太郎さんの戦略
「山本氏は当選せずとも確実に介助者として登院し、スポークスマンとなるだろう。彼が党首討論に加わると半端な党首だと完全に喰われるだろう」と、Facebookで投稿をしたの読んで、なるほどこれか!と納得した。
船後、木村両氏には確かに登院の際に介助が必要だ。山本氏は「前議員バッジ」を持っているのでいちいち手続きも不要。そして国会内でテレビ局のぶら下がり取材に山本氏が毎回答えれば、各局は喜んで放送するだろう。
今回れいわ新選組は政党要件である得票数の2%を確保する見込みである。つまり山本氏は維新の松井一郎代表のように非議員の党首でも党首討論には参加できる。
山本氏は当選する必要はなく、政党要件を満たす約100万票でよかったのだ。そして議員でなくても、他の野党党首だけでなく自民党の有力政治家よりよっぽど目立つ存在になる。
だから今回の山本氏落選をもって彼の戦略ミスだという見方は残念ながら完全にピント外れだ。
山本氏およびれいわ新選組の政策には賛同できないが、政治家ないし政党としてのこんなすごいビジネスモデルは初めて見た。本当に驚いた。
欧米ではグローバリズムによる格差拡大で左右のポピュリズム政党が議席を増やしている。れいわ新選組の政党要件獲得は日本初のポピュリズム政党の誕生、あるいは山本太郎という初のポピュリズム政治家の誕生ということなのかもしれない。
そんな手があったのか!
介助者として国会に登院し、政党代表として、ぶらさがり取材に応じ、党首討論に参加する。
そして議員でなくても、他の野党党首だけでなく自民党の有力政治家よりよっぽど目立つ存在になる。
なら、問題ないわけです。
私達は彼にそれを期待している。
れいわ新撰組ではなく、自民党がポピュリズム
この記事にはなるほど!と思ったけれどひとつだけ気に入らないことがある。
れいわ新選組の政党要件獲得は日本初のポピュリズム政党の誕生、あるいは山本太郎という初のポピュリズム政治家の誕生ということなのかもしれない。
という部分だ。
Wikipediaによると、ポピュリズムとは
ポピュリズム(英: populism)(平民主義)(公民主義)(人民主義)(大衆主義)とは、一般大衆の利益や権利、願望、不安や恐れを利用して、大衆の支持のもとに、既存のエリート主義である体制側や知識人などと対決しようとする政治思想、または政治姿勢のことである。日本語では大衆主義(たいしゅうしゅぎ)や人民主義(じんみんしゅぎ)などのほか、否定的な意味を込めて衆愚政治や大衆迎合主義(たいしゅうげいごうしゅぎ)などとも訳されている。
>一般大衆の利益や権利、願望、
そもそも一般市民の利益、基本的人権、幸福追求権を実現するために、政治というのは存在するのである。
日本国の主権者は国民であると憲法に定められている。
>不安や恐れを利用して、大衆の支持のもとに
北からミサイルが飛んでくるぞと、机の下に隠れる避難訓練をして、不安や恐れを利用して、兵器購入を正当化しているのは自民党ではないか。
>既存のエリート主義である体制側や知識人などと対決しようとする政治思想、
「上級国民」は何をやっても逮捕されず、訴追も受けず、どんなに重要な書類を改ざん、紛失してもおとがめなし、過去最高の内部留保をもつ大企業の法人税を減税し、重税にあえず国民の消費税を増税するならば。そういうエリート主義的な体制側の人間、知識人などと対決するのは、当然である。
それこそが民主主義というものだ。
>衆愚政治や大衆迎合主義などとも訳されている。
中身のないタレント議員を立てて、大衆に迎合しているのは、どこの政党なのか?
「〇〇でございます。選挙のご挨拶に参りました。」
「〇〇、がんばって戦って参ります。」
「〇〇、あと一歩で御座います。」
「〇〇、最後の最後まで戦って参ります。」・・・
などと中身のない愚かな選挙を繰り返して、愚かな大衆の票をかき集めているのはどこの政党なのか?
自民党こそポピュリズムである。