モンゴル草原最終日の朝です。
ツーリストキャンプからの眺め。
昨日最後の激走の後、馬を下りた馬留め。
草原での最後の朝食。
迎えに来てくれたプリウスに乗ってウランバートル市内に向かいます。
帰りもプリウス!
前の車もプリウス!(笑)
モンゴルは世界一プリウスだらけの国です。
モンゴルで車が普及し始めた当時はソビエトと同じ社会主義国であり、日本と反対の左ハンドルの車を前提に法整備がされました。しかし現在モンゴルも社会主義ではなくなり、結果として日本車、特にプリウスが一番選ばれたそうです。
もちろん陸続きの韓国などの車などの方がはるかに輸入しやすいでしょう。それでも走行距離が長く、未舗装道路も多いモンゴルでプリウスが選ばれたってことは、日本車がいかに耐久性があって、実用性のバランスが極めて高いことの証明でしょう。
プリウスあたりが本当は「一番いい車」と言えるのかも。
ちなみにツーリストキャンプからウランバートルへは近道の未舗装道路と舗装道路があり、今回は舗装道路の方を通ってくれました。
ウランバートルはモンゴルの人口の3分の1が住む大都市ですが、近郊はすぐに大草原が広がっています。
ウランバートルが一望ソ連友好のザイサン・トルゴイ
ウランバートルが一望できるザイサン・トルゴイと呼ばれる丘に連れて行ってくれました。
ソ連とモンゴルの友好を記念する丘だそうです。上部にはレーニンが刻んでありますね。
日章旗はやっつけられています。
日露戦争の日本海海戦で日本はロシアをやっつけちゃいましたからね^^;
でも今はモンゴルはロシアよりも日本の方に好意的なんだそうです。
朝青龍や白鳳の活躍もありますし、プリウスの影響もありますね。
驚いたことにモンゴルの文字はたった70年位前にソビエトによって導入されたキリル文字なんですよ!
現在もです。
モンゴル独自の縦文字があったのですが、ロシアの文字が現在自国の文字になっているのです。街中キリル文字があふれています。もやは70年前まで自国の文字だった縦文字を読めるモンゴル人が少なくなっているというのです。
自国の文字をわずか70年で完全に失ったのですよ!
日本が戦後、ひらがなやカタカナ、漢字を失しない、すべて英語表記になったようなものです。
これはある意味でモンゴルはソ連の植民地にされたってことでしょう。
そういう複雑な背景もあってモンゴル人はロシアがあまり好きではなく、日本やアメリカ、中国の方に親近感を持っているようです。もちろんモンゴルとロシアは陸続きの隣国ということもあって、貿易などの交流も続いています。だからモンゴル人はこういうものも壊さないと言っていました。
チンギス・ハーン広場
モンゴルが社会主義時代、チンギス・ハーンを英雄視することは禁じられていたそうです。何しろチンギス・ハーンはロシアもやっつけていますからね。彼の名前を口にすることもできなかったそう。
戦後モンゴルはソビエトの統治下にあり、自国文字も失ったわけですが、ベルリンの壁の崩壊に端を発したソ連邦の崩壊が波及し、1990年にモンゴルの社会主義一党独裁体制が崩壊、国号もモンゴル人民共和国からモンゴル国に戻されました。
その後チンギス・ハーンはモンゴルの英雄として復権し、今では政府宮殿の中央にデーンと座っているわけです。
日本人にしてみたら、歴史上の天下人、例えば徳川家康とかが現在の政府庁舎の中央に位置しているようで違和感がないでもないですが、チンギス・ハーンは、群雄割拠するモンゴル平原を統一したモンゴル建国の祖と言える人物で、日本で言えば神武天皇にあたる人物なのかもしれません。日本も霞が関官庁街や国会議事堂、最高裁判所の横にそれをはるかに上回る広大な皇居があって今も天皇がお住まいなっているわけです。それと同じことなのでしょう。
ある調査によるとチンギス・ハーンの遺伝子は現在世界で3千万に受け継がれているそうで、世界で最も遺伝子を残した人物だそうです。(後宮には5百人の女性がいた。)
もちろん祖先は神話になっていてチンギス・ハーンは「上天より命ありて生まれたる蒼き狼」の子です。
当然、現在のモンゴル人ほとんどの共通の祖先であり得るわけで、国父となってこのように位置づけられるのも当然と言えば当然でしょう。
ちなみに向かって左には息子のオゴディ・ハーン。
日本の教科書では彼を「オゴタイ」と習うんですよ。だから私も最初「オゴタイ」「オゴタイ」と言っていたら全然通じない。モンゴルでは「オゴディ」です。そういう通じない「日本独自の名称」を学校教育で教えるのはやめてもらいたい!><
向かって右はフビライ・ハーン。
彼は「フビライ」で通じました。「ハーン」は王って意味ですね。
チンギス・ハーンの孫で、モンゴルが世界史上、最大領土を誇った時の王です。
コロンブスのいわゆるアメリカ発見が1492年であり、モンゴル帝国の最盛期が1265年 – 1361年ですから、当時「世界はユーラシア大陸しかなかった」わけです。
ヨーロッパ方面では地中海やバルト海にまで達していたから、当時の世界のすべてであるユーラシア大陸の大半を支配下に置いてしまった。
ちなみに赤いモンゴル帝国の北はシベリアであり、「人間の住むところではない」ので征服すべき国はありません。まぁアナスタシアのご祖先くらいタフじゃないととてもじゃないが住めない。
北アフリカやアラビア半島も砂漠であり、「人間の住むところではない」ので征服していません。
モンゴル人は寒さに強く、ロシアは占領しましたがインドはあまりに暑くて途中で帰ったそうです(笑)
ですから、チンギス・ハーンたちは西ヨーロッパと暑いインド東南アジア、日本以外当時知られていた世界のほとんどすべてを支配下に置いていたのです。
日本にも元寇として責めに来たことはよく知られていますが、当然ながら海戦になり、日本はモンゴルみたいな大平原ではないので、彼らの卓越した騎馬戦闘能力を生かすことができなかった。
モンゴル人は馬に乗るのがうますぎるので、もし日本が陸続きで騎馬戦に持ち込まれたらやばかった。あれにはかなわん><
海戦なら日本人には一日の長があるわです。モンゴルには海がないしね。
日本人は海流がどう流れ、こうなると海が荒れるというのを熟知していた。
神武天皇ゆかりの「駒宮神社」と「日向シャンシャン馬」
しかし神武天皇の日本統一の一因に、宮崎が馬の産地だったからだとも言われています。神武天皇が幼少過ごした場所は現在は「駒宮神社」として知られていて「日向シャンシャン馬」発祥の地と言われています。
宮崎「駒宮神社」の神武天皇像と、「日向シャンシャン馬」発祥の地の像。
宮崎の都井岬は現在でも野生馬が生息しています。
結局、馬を制する者が日本を統一し、世界を統一したんですね。
鉄道や自動車が発明されるまで、馬が世界最高の機動部隊だったわけです。
ミノンデパート
次男はここでベルトを買いました。モンゴル人にどっちの方が皮の質がいい?と聞き一番いい質のものを買っていました。1500円くらい。さすがモンゴル人は皮の目利きが違うわけです。
ナウシカの帽子
次に次男が欲しがったのがナウシカの帽子です。
ちょっとぶれてますが、美しい刺繍が耳のところまで覆っています。
とってもかわいい^^
風の谷のナウシカみたい♪
じゃがな!
お前は男の子なんじゃよ!
かぶる?
本当に日本でこれかぶる勇気ある?
と私に問い詰められ、何度も鏡を見返し・・・
日本じゃ無理かも・・・とあきらめました(笑)
このナウシカの帽子が似合う素敵な女性はぜひ買ってください。
それなりにかわいい服も必要です(笑)
ミノンデパート6階にあります。
モンゴル岩塩日本価格1800円也は現地でいくら?
私も小さなゲルの模型に心動かされましたが、どうせホコリかぶるしな・・・と見送ります。私は海外でほとんどお土産「モノ」を買わない人です。思い出は心の中と写真だけ。
ただ馬旅中ずっと料理の基本の味付けは岩塩であり、日本に帰って秘密基地で岩塩を使って料理し、時々馬旅をしのぼうかなと岩塩を買いました。
この日本語で書いてある岩塩がモンゴルで売ってました。
定価1800円なり。
私は今回空港から夜直接草原のゲルに行ったので、現地通貨に両替していません。
草原ではお金を使うところはまったくありません(笑)
だからここでの買い物はすべてカードです。
モンゴル人にレシートを見せてところでこの塩日本円でいくらくらいですか?
と聞いてみました。
いくらと思います?
ちょっと考えてみてください。
答えはこの下。
「130円くらい」
へっ?
実に10倍以上~っ!@@
横にはヒマラヤ岩塩も売ってましたけどね。
同じくらいの値段です。
まぁ今回はモンゴルなのでこちらにしましたけどね。
次男にここで大量にこの岩塩買って、その例のメルカリとやらで売るか!と持ちかけると、メルカリでは同じ塩が450円で売られていて送料もこっちもち。モンゴルから日本に運ぶ費用もかかるからあまりうまみはないなと指摘されてしまいました(涙)
まぁしかしモンゴルとかヒマラヤの岩塩はメルカリで買った方がいいですよ。
多分モンゴルの留学生とかが、ウランバートルで仕入れて出品しているのでしょう(笑)同じものです。
私もまだ使ったことないけどメルカリ登録してみるかな・・・
130円のものを日本で1800円で売るとは!
送料込みで450円でメルカリで買おう!(笑)
それでも4分の1です。
チベット密教 チョイジンラマ寺(興仁寺)
次に連れて行ってくれたのがチベット密教興仁寺。
社会主義時代に宗教が弾圧され現在は博物館になっています。
五種類の文字で寺の名前が書かれていますが、キリル語しか読めないモンゴル人には今はいずれも読めず、漢字の読める私たち日本人には寺の名前がわかるのは皮肉ですね。
チベット密教の寺院としては中国や台湾、日本よりも非常によく保存されていて必見でした。モンゴルでこういう非常に質の高いものが見られるとは思わなかった。
実にシュール。
次男は今まで見た寺の中で一番おもしろかったと言ってました(笑)
ウランバートルのレストラン
今回はせっかくのモンゴルなのでモンゴル料理を食べに行きましたが、はっきり言って草原のキャンプとほとんど同じというか、草原の方がおいしいと言うか・・・。
草原の食べ物はいわば、天然水、天然ハーブで育った家畜なのです。だから乳製品も肉もウランバートルよりもおいしいとモンゴル人も認めていていました。
ウランバートルでは、ロシア料理、ウクライナ料理がほぼご当地と同じレベルの味で楽しめるそうです。
ウクライナ料理はスープが非常においしいそう。
草原ではモンゴル料理(しかない)、ウランバートルではロシア料理、ウクライナ料理を味わうのがいい作戦かもしれません(笑)
しかし人口一億二千万人であり長年世界の経済大国の2~3位を続けている国(日本)が、人口が4千分の1の3百万人しかいない国(モンゴル)に多くを求めるのは酷というものでしょう。
世界一頭のいいウエイトレスさん
しかし、ウランバートルのレストランで世界一頭のいいウエイトレスさんに出会いました!
夕食はモンゴル、中国、韓国、日本料理を頼めるレストランに行ったのです。
ここのウエイトレスさんがすごかった。
次男が次々メニューのページを開いてどんどん指さしで注文していくのです。
それをにっこりとほほえんでうなづきます。
まったくメモを取らないのです!
ドリンクもみんな違うのです!
メモをとらないのか?と聞くとまたにっこりうなずきます。
料理の確認の復唱もしないのです。
間違えて持ってこないか、じっと見ていましたがドリンクひとつ間違えずに持ってきました!
すごい!めちゃくちゃ頭がいい!
こんなウエイトレスさん世界中で初めて見ました!@@
写真は撮ってないですが美人です。
モンゴルの女性は美人が多いです。
最初の日の朝ゲルで、ツーテーツァイを作ってくれた女性も色白の美人でした。
まさか、こんな大草原の真ん中でゲルしか日陰がないようなところで、こんな色白の人がいるのかとびっくりしました。
たぶんチンギス・ハーンが世界中から美女を連れて来た子孫なので、美女が多いのでしょう。(笑)
モンゴル民族音楽・舞踊 TUMEN EKH ENSEMBLE
夜は、モンゴル民族音楽・舞踊「TUMEN EKH ENSEMBLE」を見に行きました。
入場料は10ドルで当日受付でカードで払えます。
モンゴルの伝統音楽などが鑑賞できます。
馬頭琴で馬の鳴き声を演奏した時は、あまりの見事さに場内から拍手が沸き起こりました。
モンゴル独特の倍音、ホーミーも聞けます。
次男は民族衣装のお姉さんたちの踊りが一番よかったと言ってました(笑)
入場料も安いし、チンギス・ハーン広場から近いのでウランバートルに行ったらぜひご覧ください。
こうしてウランバートルで最終日を過ごし、空港に送ってもらい、
中継地点ソウルに向かって離陸したのであった。