親や家族、人の評価など気にせず、自分の情熱に従って生きる人が、最も人類に貢献する

背中の痛みが慢性的に出てしまうNさま

毎朝起きたときから、なんとなく憂鬱というか
自分がちゃんと生きていないようなそんな気持ちになるときが多いんです。

毎日自分を楽しみたいのに、何をどう楽しんでいいのかわからないみたいな。

小さいころから
人に迷惑をかけてはいけない
人を大切にしなければいけない
人が言うことをちゃんと聞かなければいけない
親を大切に
家族を優先に
などなど・・・

これは全部違います。

まずは自分を大切に!なのです。

自然を見てください。

他の虫に遠慮している虫がいますか。

他の植物に迷惑だからと葉を茂らせるのをやめる植物がいますか。

自然界はみんな自己本位なんですよ。

まずはそこがスタート地点です。

自己本位に強くたくましく育ち、大きくなったら、実を成らせたり、受粉したりして、他の生命に「自分なりのやり方で」貢献するのです。

ここは大事なところです。

周囲の言うことなど全然聞いていないのですよ。

「自分なりのやり方」で周囲に貢献しているのです。

周りの人はいい加減なことを言うんですよ。

ヒマワリに向かって、冬に咲きなさいよ!とかね。

マイペースで自分の得意なことで、自分のやり方で楽しみながら貢献する。

これは絶対です。

人の言うことを聞いていたら「分裂症」になりますよ。

自分以外に自分が何をどう感じているかわかりはしないのです。

そして、十分に強くなったら、あふれるほど豊かになったら、家族や親にも、その豊かさを気が向けば分けてあげればいいんです。

それもマイペースで決めていいんですよ

親からそれが正義のように言われて教育されてきました。

それはもちろん周囲の人はそう言うんですよ!

その方が便利ですからね。

私の言うことを聞くのが正義。

しかし、そういう人が一番正義じゃないんです。

ただ人の人生を利用しているだけです。

「正義」というのはホントうさんくさい言葉です。

この現実の創造のすべては神によります。

ですからすべては神のものであり、神から見れば「いいも悪いもない」のです。

今この時点に「すべての創造がある」というだけです。

「正義」というのは必ず「人間」が作ったものです。

それを言う人が有利になる「意図」が必ず隠されています。

創造のすべてである神の視点から見れば、善悪はないし、正義も不正義もないのです。

すべてが創造のエネルギーであり、ただ現時点の「すべての創造がある」だけです。

それに誰も針の先ほどもケチをつけることはできない見事なものです。

どんな人間も、神の宇宙の創造をすべてを理解することはできないのです。

人間には誰も評価できないのです。

ただ驚嘆するしかないのです。

あなたの体や心や魂の存在だけでも驚嘆すべき創造です。

信じがたいほど、見事なものなのです。

それら宇宙のすべてを司る神の創造のごくごく一部を切り取って、正しいの間違いの、正義だの不正義だの・・・

ただ単にその人間が愚かだということを示すだけです。

無条件の愛を理解していない人は、本当に危険なのです。

「あなたのためよ!あなたのことを思っているのよ。」といいながら一番その人のことをダメにしています。

こちらにも書きましたが「親の意向を反映する人」にするのではなく、「彼が彼自身の人生を愛し、彼が自由に自分で自分の人生を力強く選べるようにしてあげることです。」それが無条件の愛です。

しかし、人類の平均的な状態は今ようやく「無条件の愛」を学びつつある状況です。

多くの人が「支配と従属」の関係で暮しているのですよ。

その中で自分がいかにいいポジションを占めるか。

それだけを争っています。

それが現実です。

その現実から強くなって、「無条件の愛」を学ぶのは、いつでも誰でも「自分から」なのです。自分が人類の最先端なのだからしかたがないんですよ。

親も社会もまだそれができていないのですから。

しかし「無条件の愛」、「寛容性」を学ばない限り、ケンカや紛争、戦争はなくならないのです。

人類は幸せになれないのです。

自分の家庭、自分の人生に真の幸せはないのです。

ただ支配と従属の微妙なバランスがあるだけです。

ちょっとでもスキがあれば、「自分がいいポジションを占めたい」と誰もが思っているのです。それは永遠のストレスなんですよ。

自分をしっかり持った「強い人」だけが、「無条件の愛」を学べるし、人に寛容になれるのです。

人を裁かない寛容な人こそが真に強い人です。

もう自分の中で「支配と従属」から卒業した人です。

今、これが人類が向かっているところです。

これからは人を裁く人「支配と従属」のある組織、人間関係、あらゆるものが崩壊していきます。

人類は今、大きな岐路に立っているのですよ。

次元上昇(アセンション)というのはそういうことなのです。

旧人類は今、どんどんさよならしているのです。

最近見かけなくなった人がちらほらいるでしょ(笑)

いつも人に・・・自分のことを置いても人のことをと
身勝手な人間になってはいけないと。。。

だから人からの評価ばかり気にしてしまうようになりました。
でも今は
人が何と思ってもいいや・・・と、少しづつですが思っています。
榎本さんとの出会いのおかげです。ありがとうございます。

たくさん思ってください!

人の評価などどうでもいいんです。

Aさんは「〇〇がいい」、Bさんは「△△がいい」、Cさんは「××がいい」というんですよ。

人の評価を気にしていたら、人生は難破しかありません。

舵のない船です。

絶対に、自分の人生は自分で舵を握らないとダメなのです。

自分以外に自分の人生の舵を握らせては絶対にダメなのです。

人がこっちがいいと言っても。「そう。ならあなたはそっちへいったら。」

「私はこっちに行きたいの。バイバイ!」と言わないとダメなんですよ。

そうして、「自分の思いだけ」に従って舵を切ると「自分の人生」になるのです。

人には魂があり、そうなるように作られているんですよ。

何も難しいことはないんです。

文字も本もない時代から、それでうまくいくように作られているのです。

それ以外に充実した人生などないのです。

自分がないからです。

そして「あら、あなたもこっちに行くの 途中まで一緒に行こうか!」という人と一緒過ごせばいいんです。

それが幸せな人生です。

ふたりの興味、関心、人生の目的が一致しているからです。

その時初めてふたりの分かちあいは豊かなものになるんですよ。

(ただ単にひとりではさみしいから、親が結婚しろというからでは、分かちあうものがないんです。分かちあうのは「自分」ですよ。その自分がないのです。)

しかし、いざ進路が分かれたらきたら、「なら私はまっすぐ行くわね。今までありがとう」と言わないといけません。

自分の心、自分の魂をまげてまで相手についていってはいけません。

与謝野晶子は親の言うことなどまったく聞いていませんよ。

親が決めた人と結婚するのが嫌で東京へ逃げたのです。

自分の恋に生きたのです。

そして、熱い恋の歌を次々発表します。
「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」
(「エラソーに道を説いてるけど、私の熱いやわ肌の血汐に触れもしないで、さびしくないの!)

なんて、発表するんですからね。明治時代に。
親や家族、親戚はドン引きだったと思いますよ。

しかし、晶子は親や家族に何かを求めたわけじゃないんですよ。
ただ自分の胸にある思いに正直に生きたい。それだけだったのです。

そして晶子は自分の情熱に突き動かされて、熱い恋愛をし、恋の歌を詠み、
シベリア鉄道でヨーロッパへ鉄幹を追いかけていったのです。

ところがその晶子の短歌が明治時代の女性たちの熱狂的な支持を受けたのです。

人はみな同じ情熱を内に秘めているからです。

晶子がそれを解き放ったのを見て、多くの女性が勇気づけられたのです。

そして、「私も晶子のように生きたい!」という情熱を多くの女性に植え付けたのです。

今の自由な恋愛があたりまえの社会は、与謝野晶子のような女性がもたらしたのです。

親や家族、人の評価など気にせず、自分の情熱に従って生きた人が、最も人類に貢献したのですよ。女性を解放したのです。

この真理をよく理解してください。

自分の親、自分の家族、人の評価、誰かから聞いた正義に従った人は「人に仕えた」のです。

自分の魂、自分の情熱に従った人は「神に仕えた」のです。

なぜなら神が人に魂をお与えになったからです。

 
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