ご質問をいただきました。
先日、大日如来様を調べていたら、勘違いでしょうか、天照大神と同じと書いてありました,仏と神が同一・・・?ただ、思うに心の拠り所は物でないので、うまく言えないのですが、なんでも良い・・・先人が人に解りやすい様に、示した物?神という観念なのでしょうか?今、大日如来様にイメージ的に救われています(勝手にそう思っておます)、何故か有り難い事で御座います、ここまで書いてきて何を書いてきたのか訳わからなくなっつてしましました、駄文にて失礼いたします。S(2017年1月29日 11:05)
空海は実に現実主義の人ですからね。
せっかく自分が中国から日本にもたらした、仏陀の教えの精髄を途絶えさせないために、一計を図ったと考えています。
大日如来あくまで、虚空にあまねく存在する「万物の慈母」、「万物を総該した無限宇宙の全一」です。
わたしたちの言葉でいう創造主であり、神のシンボルです。
しかし、「水」という文字が、水という物質を表す「シンボル」であり、水そのものではないことはあきらかです。
それを空海が知らないはずがありません。
しかし、密教のような「異教」を持ち込んだのでは、のちに廃仏毀釈されて、自分のもたらした真理が途絶える可能性があることを知っていたのです。
彼は大変な見者ですからね。
ですから、自ら大日如来という名前を選び、それは天照大神と同じであると宣言することによって、日本における最大の権威、天皇制による保護の裏付けを取り付け、末代まで教えが伝わるようにしたのです。
当時は奈良仏教勢力が巨大仏像、東大寺大仏の権威を背景に、大いに政治にも干渉していた直後の時代です。その影響から脱するために京都平安京に遷都したのですからね。自分の教えを「天皇制」に合致するのもにしなければ、日本においてそれを後世に伝えることはできないと気づいていたのです。
そういう空海のような現実主義者がいなかったから、インドでは仏教が廃れ、中国でも仏教が廃れました。
今のようにビッグバン宇宙論が疑いようのない観測事実であり、量子物理学が疑いようのない観測事実であることがわかっていなかった時代です。
奈良の大仏が最も人々に受け入れられる時代です。
目に見えることしか信じない時代です。
仏陀の教えやそれを伝えた空海の教えが、人びとの常識として理解されるには、ビッグバン宇宙論や、量子物理学が常識になる世を待たなければなりませんでした。
それまで、空海は東寺に巨大な大日如来像を作り、それを天照大神と同一であると宣言するしか、廃仏毀釈をまぬがれ、自分の教えを後世まで守ることはできないことを知っていたのです。
ですからそうやって自分の教えを守るための、「東寺」で人びとにありがたい大日如来(天照大神)を拝ませ、本当の教えは「密教」秘された教えとして、遠く離れた高野山で守り継がせたのです。
そして高野山で奥義を理解するころには、これらの空海の意図をすべて理解し、決して大日如来が天照大神と違うなどとは誰も言わないのです。
空海のありがたい「方便」を理解するのです。
わたしたちが日本において、弘法(大師)のダイヤモンドの教え(金剛)をあまねく受け取る(遍照)には、必要な「方便」であったことが理解できるからです。
南無大師遍照金剛。
さすが空海ですよ。
それが私の見方です。