「生きるのに疲れた」「生きるのがつらい」「消えてしまいたい」と思ってしまう方へ

最近ご自分や身近な人が「生きるのに疲れた」「生きるのがつらい」「消えてしまいたい」というメールを時々いただきます。

 人間は本来、自然に健康でしあわせに生きることができる

人は大自然の一部であり、生命です。木々や虫たち、花々や鳥と同様に健康で元気でしあわせに暮せるように作られています。

自然な状態では健康で元気でしあわせなので、何が不自然になってしまったのか、どこが本来の自分でないのかに気づき、ただ単純に本来の自分でない部分を落としていくだけで自然な自分が残ります。

その誰もがもつ、本来の自然な部分で生きれば、健康で元気でしあわせに暮せるのです。

 ものごとを深刻に受け止めない

仕事の締め切りであるとか、試験であるとか、何か人工的な「しなければならない」ことに追い詰められてそれに応じられない自分がダメなに感じて、行き詰りを感じている人が多くいます。

その人工的な「しなければならない」ことを最終的にしなかったところで、人生は別に何とかなります。

日本のあらゆる街が空襲で焼き払われ、家はなくなり、仕事はなくなり、お金の価値はなくなり、食べ物も不足しても、私たちの祖父祖母の世代は「何とかなりました」。

その状況より私たちの状況はあらゆる面ではるかにマシです。

私たちは全員その状況を生き抜いてきた日本人の子孫です。

先日ある女性が
「自然豊かなところでのんびりと大昔のような生活を送りたいです。
現代しか知りませんが、便利すぎて窮屈に感じることがありますね。
その日その日を生き延びるためだけに働くような生活に憧れます。」とメールくださいました。(笑)

いいですね。

はっきり言って日本の田舎にはタダみたいな金額で畑つきの家を貸してくれるところはいくらでもあります。今はネットもあるし、そういうところで過ごすのもいい経験です。

そして今ではたいがいの田舎にはコンビニがありますから、そこでバイトしながらタダみたいな家賃を稼ぎ、野菜でも作ってりゃいいんです。

田舎の物件にはすでに立派な柿の木とかがあるところも多いので、そういうのも狙い目です。秋には無農薬の甘んまい柿が腹いっぱい食べられますよ!^^

ちなみに柿は葉っぱが落ちた冬に幹によく日が当たるように剪定しておくことがいっぱいならせるポイントです。

いざとなったら生活保護だってあるんだから、まあ落ち着け!(笑)

どんな状況にあっても、いざとなったら人生何とでもなると思っておくことが心の余裕を生み出します。

ちなみに私は、子供の頃、激しい受験戦争や現代社会に敗れてはみ出してしまったら、南の島に行って、バナナを食べながら魚釣りして暮すつもりでいました(笑)

現代でいえば奄美に住んだビッグダディーみたいなイメージですね。

彼も同じことを考えたんだと思います(笑)

 ちょっと一息つく

本当に「追い詰められている」と感じる人は、ちょっとブレイクしてください。
とってなかった年休をとるとか、理由をつけて会社を休むとか、今自分が「しなければならない」と感じている人工的ことをしなくても、「何とかなる」と知るのです(笑)
ちょっと体を動かして「今日も空は青いなぁ」ということを感じてください。

ちなみに笑わなくなったり、空や夕日の美しさに気づかなくなったらやばいです。

かなり煮詰まっています。

ブレイクが必要です。

体を動かし、笑ってください。

 人の期待に応え続けるとつぶれてしまう

人生の基準はあくまで自分です。
自分の幸せがすべてです。
自分の周りにあるすべてのものは自分の幸せのためにあります。

そして、いざ追い詰められどうにもならなくなりそうになったら、その前にいつでもそれを変えていいのです。

仕事でも人間関係でも、それを続けるか終わりにするのか最終的な決定権はいつも自分にあります。

自分の幸せのためにその仕事をし、自分の幸せのためにその人間関係があるのです。
自分がつぶれてしまいそうになるまで維持しなければならないものなど何もありません。

最終的に決定権が自分にあるということを知ることが心の余裕を生み出します。

誰も自分以外に最終的に自分を追い詰めることはできないことを知ることです。

仕事でもいざとなったら辞める覚悟をしておきます。

人間関係でもいざとなったら別れる覚悟をしておきます。

その覚悟をもって、仕事や人間関係に臨むとき、一方的に押されっぱなしにならなくなります。

 相手にメリットを与える

常に人の期待に応え続けると、相手は次第に無理難題を言ってくる場合があります。
言えばやってくれるので、どんどんエスカレートします。
そういう関係はよくありません。ノーということも大切です。

仕事なら自分の給料以上に会社に利益を与え、人と付き合うときも、「自分の意志で」自分の方が相手に多く与えているくらいにしておきましょう。

そうすると常に相手に与えているので、自分はいつ辞めてもいつ別れても問題ありません。

その上、いつでも辞め別れる覚悟をしているので、一方的に押し込まれることはありません。

その覚悟を察知すると、相手もこちらが辞めるほど追い詰めると、自分のメリットが失われること知っているから、そこまで無理難題を言わなくなります。

 人生は自分の自由と幸福の追求のためにある

人生は自分の自由と幸福の追求のためにあります。

人間の歴史は自由と幸福の獲得の歴史です。

江戸時代よりも明治は自由で幸福ですし、明治よりも現代は自由で幸福です。

私たちも、赤ちゃんのときよりも歩ける幼稚園の時代はより自由だし、小学生、中学生、高校、大学ともっと考えや行動範囲が広がり自由になります。

ですから大人になっても、自分にとって自由と幸せとは何かを考え、それを追求するのが人生です。

自分にとって自由や幸せをもたらすために仕事をするし、人と付き合います。

そのバランスを上手にとるのが人生です。

その際相手にメリットを与えておけば何も問題ありません。

日本国憲法第13条にも「自由及び幸福追求は公共の福祉に反しない限り(みんなの迷惑にならない限り)最大限に尊重される。」と書いてあります。

日本の最高の決まりにそう書いてあるんですよ!

ちなみに、この憲法に反するすべての法律は違法です。

この憲法に反するすべての社内規定、一般常識などもすべて無効です。

これに反するものをすべてが無効であると定めている憲法が、「自由及び幸福追求をしなさい!」それは国是である。と高らかに宣言しているのです!

自由と幸福の追求こそあなたの任務だ!それ以外はすべて無効!(笑)

相手にメリットを与えておけば、自分の自由と幸福を追求しても何も問題ありません。

いえ、自由と幸福の追求は最大限に尊重すべきものです。日本国憲法にもそう書いてあります。

ですから仕事をする場合は、会社と自分双方に利益があるように、付き合う人と自分双方が幸福であるようにバランスをとりながら、それぞれの自由と幸福を拡大してください。どんどん追求してください。

それが人間の、生命の進化の歴史です。

 みんな違ってみんないい

その人にとって何が自由であり、何が幸福かは人それぞれです。
親に決められた結婚ではなく自由に恋愛したい人はそれがその人にとっての自由と幸せであり、みじめな人間関係にある人は、別れることが、その人にとっての自由と幸せかもしれません。

自分にとって何が自由であり、何が幸せかは自分で決めていいし、それを最大限追求するのが人生です。

安定した仕事に就き家庭をもつのがその人の幸せならそれでいいし、仕事をほうりだして世界を旅するのがその人の幸せならそれでいいのです。

もしかしたら、世界を旅しながら仕事をして家庭ももつというバランスを追求する人がいるかもしれません。

それがその人の幸せならそれでいいのです。

そういう自分のやりたいことに知恵と能力のすべてを使って挑戦するのが人生です。

今は高校野球の地方大会が行われていますが、高校球児は髪を丸め彼らの生活は相当ストイックです。しかしそれが「自分の幸福の追求」であればそれでいいのです。

自分がしたいことをして、関係する相手にメリットを与えながら、自分の幸せを追求する。そのバランスを追求するのが人生です。

 個性を大切にする

自分の自由と幸福を追求していけば、おのずと個性的になります。

今の世の中は人と同じことをしていたら、より安い時給で働く人にとって代わられますし、自動化された機械やロボットに置き換えられます。

相手にメリットを与えながら、自分の自由と幸福を追求する時、そのバランスから生まれるものはその人独自のものになっていきます。

その人独自のパンであり、その人独自の服であり、その人独自の料理であり、仕事です。

そのような仕事は余人に替えがたいものになっていきます。

それは自分の好きなことですから、どんどんその仕事が得意になります。

相手にメリットを与えながら、自分の幸福を追求し、自分の得意なこと、自分のやりたいことを追求するとどんどん個性的になり、まずます自分の価値が高まります。

生命は原初は同じ単細胞生物だったかもしれませんが、花や木々昆虫や魚もこんなに個性的になってきました。

それが豊かさです。

それぞれが自分に適したフィールドで、自分の得意なやり方で、個性を発揮していく方向がいい方向です。

自分の人生で常にその方向を選んでください。

 どこで間違ってしまったか?

私たちは学校や受験などを通じて、個性よりも親や先生の期待に応えること、出された問題を上手に解くことを求められます。

それは何かに自分をあわせることです。個性など関係ありません。

個性的な答えや、個性的な解き方をすると×がつけられます。

これって正解ですよ!

たとえエライ人が否定しても、私は宣言します。あなたは正しい!

これを海だって思ってる人はあってるんですって!だって私もそう思うもの。

試験が自分の得意分野である子供は、大いに自尊心を高められますが、そうでない子供は時に「自分はダメなんだ」とコンプレックスを持ちます。

しかし、私たちが生きていくうえで、大半の人は方程式や古文漢文、物理や化学の知識はほとんど必要ありません。それ以外に生きていくうえで発揮している能力の方がはるかに多いのです。

ですから「ダメな人」はいません。

ただ人生で使いもしない能力がたまたま得意でなかったというだけです。

そんなことができなくても何も困りません。

そんなことよりも「自分はダメ」という思いが大いに私たちを困らせます。

人は思うことが現実化しますから「自分はダメ」だという思いがあると、それを現実の世界で体験することになるからです。

「自分はダメ」という思いこそが真の敵です。

ですから今の現実がどうであれ、この素晴らしい肉体と精神と魂をもつ自分は奇跡的に素晴らしい存在であると知ることです。

実際、私たちの身の回りにあるすべてのモノと比べても比較にならないほど私たちは高度で精緻で完璧な存在です。

ですから私たちは肉体と精神と魂をもつ神の最高傑作であり途方もない存在なのです。

本当は私たちの中には無限の可能性があります。しかし「自分はダメ」「自分を制限する考え」でそれを解き放てないでいます。

私たちが自らを神の最高傑作であり途方もない存在であると知ることによって、その可能性が開きはじます。

なぜなら人は思うことが実現するからです。

私たちの成長過程で親や先生や周囲の大人たちが不完全であり、私たちのある側面を否定したのはしかたありません。

あらゆる生物が進化の途上にあるからです。

ですから、親や先生や大人たちがあなたにさまざまはマイナス感情やコンプレックスを植え付けたことはすべて許します。

子供のあなたにとって、大人たちによって拒絶され、見捨てられ、裏切られ、侮辱され、虐げられたことは許しがたいことだったかもしれません。

しかし、それが彼らの限界だったのです。

それを理解し、許してあげます。

そして、自分の内面を見つめ、自分にとっての幸せ、自分にとっての自由を個性的に表現しはじめてください。

自分のやりたいことを自分のやりたいように、関係するに人にもメリットを与えながら追求するとき、それはどんどん育ちはじめます。

そして、いざとなったらどうにでもなります。

そのセーフティーネットをいつも心に持ちながら、肉体と精神と魂をもつ神の最高傑作であり途方もない存在である自分の個性を、自由と幸福を追求しながら発揮することを楽しんでください。

私は以前山登りをしましたが、今思い出すのは、中央アルプスで遭難したとか、北アルプスでものすごい嵐にあってテントが張れず雨の中を撤退したとか、ロクでもないことばかりです。(笑)

その当時は「えらいこっちゃ!」「死ぬかも」と思いますが、過ぎてみれば一番の思い出です。

その渦中にいる時、とてもそんな気分でないこともよくわかります(笑)

しかし嵐はいつか過ぎ去ります。

すごい嵐の中で、妙に冷静に地図を出して自分の現在地と進路を確かめるのも悪くないです。

というかどうせ今は嵐なんですからね。

じたばたしても始まりません。

どうせなるようにしかならないのですから、どっしりかまえてやり過ごし、エスケープルートに思いをはせてください。

よっしゃあ、何とかたどり着いたら、あったかい温泉に入ってヒゲをそり、大好物のあれを食うぜ!とか思っておくと、元気がでます。

また日は昇ります。

何度でも昇ります。

格言!【下手の考え休む以下】マイナス思考の時はさっさと寝ます。「なんとかなるさ」という内面になってから思考を始めよう

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