ある症状を原因を解決するためのやり取りです。
何かお母様との関係でのマイナス感情に心あたりはありませんかね。
> あります。そのきっかけは、母と娘の話をした時に、娘は先生に元気がいいねと言われると話をしたところ、「私の子供の頃は大人しくて友達も少なかったから似なくて良かったね。」と言われたことです。
>
> 主人にも話を聞いてもらったら、聞き流しておけばいいと言われました。そうか、そうすればいいんだと頭ではわかっても、どうしても言われたことが気になります。
お母様も自己否定的なところがあるのではないですか。
> あります。そして、かなりのマイナス思考です。
お母さまも他の誰もがそうですが、何か言ったとしてそれは「自分について」何かを言ったのです。それは「その人の考え」なのです。その人の全人生の経験からつむぎだした「ご自分の」言葉です。
同じことに関して違う意見をもつ人がたくさんいます。
その意見はその意見を言った「その人について」表しているだけなのです。
> 母は、私のことでなく「自分について」言ったのですね。
そうです。
誰が何を言ったとしても、それはその人がそれをどう考えたかということです。
それに自分が同意すれば、それは自分の考えになりますが、「それは違うな」と考えれば自分とは関係ありません。
あなたがそれを「気にする」ことで自己否定的な面を引き継げば、確実にそれを娘さんに引き継ぎます。
> そうですよね。私は、気にしないを選びたいです。ですが、母に言われたことが頭から離れないということは、自然に気にするを選んでしまっているということですよね。
そうです。
> 普段から、母があまりに否定的、マイナス思考なので、もう少しプラスに、よい方向へ考えるように話はしています。
> それが、私の考えを越えるような事を言われると、私まで巻き込まれてしまうのです。
> 榎本先生に色んな事を教えて頂いて、大分よくなっていると思いますが、まだ完全には周りの影響を受けず、自分の思いを通すのが出来ていないと感じます。
それは「私の考えを越える」と考えているからです。
あなたの人生において、あなたの考えを越える考えなど一切ありません。
自分がそれを認めなければ。
思うことが実現するのです。
それが自分が自分の人生をコントロールするための条件なのです。
「私の考えを越える」事があると考えていると、あなたは自分の人生の権威ではないのですよ。
あなたが「私の考えを越える」と考えている相手、すべての考えが、自分の人生を翻弄することを許してしまいます。
それはあなたが許したのです。
あなた以外にそれを許す人は誰もいません。
そこが自分が自分の人生をコントロールして、思い通りの人生を自由に描けるか、誰かに翻弄される人生になるのかの分かれ道なのです。
それしかないのです。
そして、それは私の人生に影響するもので「私の考えを越える」ものは一切ないと決めるだけでそうなるのです。
ですから自分の人生を自由に生きることは一瞬ではじまるのです。
ご存知かもしれませんが、私は去年の9月末「自然の力」というところで「浄化できなくなっていますよ(伝授が切れていますよ)」という一通の電話から始まって、7年間以上も友達だった数百人に「私は自己責任で榎本さんを裏切り者と認定します」と書かれました。
それが始まった数時間後には私は自分が何の問題もなく浄化できていることを知りました。
ですから私は浄化できなくなっていないですよ、無実ですよ。
これは何かの間違いですよと必死に訴えました。
しかし、自然の力の人たちは、それに耳を傾けるどころか、私にサタンが入っている、多重人格になっているとか、ありとあらゆることを言いはじめした。
もし私がその数百人の言うこと受けれていれば、今頃あなたも私から浄化を受けることができないのです。
私はサタンが入っている多重人格として生きなければならなくなります。
誰であれ、一人の無実の魂をそのようにおとしめることはいいことではありません。
人は誰も幸せになるために生まれているからです。
もし私がそれを受け入れたら、私の一生は台無しになってしまうんですよ。
誰の人生でも尊いものです。
あなたの人生も私の人生もかけがいのない大切なものです。
そのかけがえのない自分の人生をおとしめる意見はすべて拒否していいのです。
いえ、拒否しなければなりません。
思うことが実現します。
自分を貶める意見など一ミリたりとも受け入れてはいけないのです。
数百人が掲示板に「私は自己責任で榎本さんを裏切り者と認定します」と書き、無数のメール送りつけてきたりを電話をひっきりなしにかけて、わざわざ私に教えてくれようとする人がたちがたくさんいたのです。
もともとの発端榎本さんは「浄化できなくなっていますよ」というのが真実ではないにも関わらずです。
あなたも浄化でどんどんよくなってご存知のようにこれは冤罪です。
私はそれが嘘だと知っています。
例え何百人がそれを主張しようと「私はそれを知っている」のです。
彼等はあくまで憶測でものを言っているに過ぎません。
私はそれを経験し、知っているのです。
私のことに関しては私以上の権威は存在しません。
あなたの症状も本当にたくさんよくさせていただきました。
私は遠隔浄化が大好きですから、そのことが本当にうれしいのです。
「私は自己責任で榎本さんを裏切り者と認定します」と書いた中には私の実の母もいたのです。
しかし私は一切受け入れません。
だって私はそれが事実無根の嘘であると知っているのですから!
なぜ真実を捻じ曲げて、人を貶める人に恩義を感じたりしなければならないのですか。
例えそれが実の親であっても、真実を捻じ曲げて人を貶める意見を受け入れるわけにはいきません。
1ミリたりともです。
なぜなら人は神様によって幸せになるために命を与えられているからです。
それに反することはすべて拒否していいのです。
いえ、拒否しなければなりません。
それが唯一の神の望みに応えることです。
他の人はすべて憶測でものを言っているのです。
私だけが憶測ではなく、経験し知っているのです。
私が私に関することの絶対的権威です。
だって他の人は私ではないから、私のことは何も経験していないのです。
それなのに憶測でものをいい、憶測を根拠の「裏切り者認定」などという人を貶めることに真に受けていたら、何回生きた直しても幸せにはなれません。(笑)
みんながそれぞれの人生においてそうです。
私が自分で人生で何度も経験し、知っていることを、なぜ憶測でものを言って真実を捻じ曲げている人に屈さなければならないのですか。
なぜ嘘に屈して私が、大好きな浄化をやめ、サタンが入った多重人格者として惨めな人生を歩かなければらないのですか。
たとえ、実の母が、数百人が私にそう言おうと、私はそれが真実ではないことを知っているのです。
誰もが幸せになるために生まれています。
実の母が何と言おうと、数百人何と言おうと、それは憶測に基づく彼らの意見です。
彼等が真実でない憶測で人を冤罪にしたいのなら、それはそれでしかたがないことです。
しかしそれは私には一切関係ありません。
それは彼らの人となりを表しているだけです。
ただ単に彼等がそういう人だというだけです。
裏切り者認定は、彼について何かを表しているだけで、私には一切関係ありません。
発端が真実でないことを私は知っているからです。彼らのように憶測ではないんのです。
ですから、私はこの「裏切り者認定」で何も一切失いませんでした。
実はフタをあけてみると、浄化はものすごく強力になり、以前はできなかった、人に役立つアドバイスに集中できるようになり、その力を人に伝えられるようになったのです。
ですから私はこの「裏切り者認定」を通じて、以前よりもはるかに豊かに幸せになったのです。
何の実害もなかったのです。
いいことしか起こりませんでした。
神さまは真実を見ておられます。
ですから、自分が神と自分の魂に恥じるところがなければ、自分の実の母が何と言おうと、7年以上も友達だった人たち数百人何を言おうと、幸せにしかもたらさないことを私は自分の経験から断言できます。
ですから、何かいわれのない冤罪で貶められたら「やったぁ!これはものすごくいいことがあるぞ!」と喜んだらいいのです。
間違いありません。
不合理でり、理不尽なことほど、素晴らしい幸せをもたらします。
自分が神と自分の魂に恥じるところがなければ、一切何の害も受けず、プラスしかもたらさないのです。
私は裏切り者認定されて本当によかったと心の底から思っていますよ。
これによって大きな自由と力強さと手にしたからです。
自分の魂だけに正直に生きるという素晴らしい生き方を手にしたからです。
自分の魂だけを自分の人生の絶対的権威として生きるということは、こんなにも大切なことなのです。
またお母様が、「私の子供の頃は大人しくて友達も少なかったから似なくて良かったね。」と言われたことを気にされているようですが、大人しく友達も少ないことに一切悪いことはありません。
人は永遠の魂の転生の中でありとあらゆる経験をします。
誰もがそのような経験をもっています。
よく観察してください。実際いつも人と群れ、人の中にいることに安心し、おしゃべりを続けている人は、成長が少ないものです。
いつも成長する人は、人と触れ合っても群れない人であり、自分を見つめて内省し、自分の時間を大切にする人です。
それはちょうど、芋虫が蝶になる前に、外部と接触を断ってサナギになり体表を固めて内にこもり、自ら進化を遂げるのと同じです。
その沈黙から出てくるとき、進化して蝶となっているのです。
いつも群れておしゃべりばかりして、安心しているイモ虫には、進化するチャンスなどありません。
なぜなら周囲にイモ虫囲まれ、自分も同じイモ虫であることに安心しているからです。それが彼らの幸せです。
ある時、ふともうこんなイモ虫では嫌だ、私は蝶になりたい、そう思ったイモ虫だけが、蝶になる可能性を手にするのです。
もう他のイモ虫に囲まれて、変わりばえのしない話を延々と繰り返すのにうんざりしたイモ虫です。
私はこんなイモ虫に囲まれて一生を終わるのだろうか。私は嫌だ。私は蝶になれるはずだ!
そう思ったイモ虫がはじめて自分の可能性を探求し始めるのです。
そうすると、あんなに楽しく安心を与えてくれたイモ虫同士の井戸端会議が、本当にくだらないものに思えてきて、何の魅力も感じなくなるのです。
そして群れから離れ、ひとりになれる場所で、自分自身について考えはじめるのです。
ですから、人生のある時期、自分の内に入る時期があるのはとてもいいことですし、進化を続ける生命には必要不可欠なものでもあります。
人生で「大人しく友達も少ない」時期を過ごすのは、大切なことなんですよ。
自分が成長し、今まで付き合ってきた人たちとは異なる波動を放ち始める時、今までの波動で引き寄せていた人たちとすれ違いはじめ、新しい自分の波動にふさわしい人々が自分の人生にやってくるまで、誰もがそういう一時期を過ごすのです。
ですからそれもまた必要不可欠な素晴らしい経験なのです。