人類はひとつがわかるには、「みんなの幸せが自分の幸せ」を堅持して、あとは愛する順番の通り、神様とご祖先の次の自分を愛し大切にしたらいいのです。
ただ単に、自分の好きなことをするだけではただのエゴです。
でも「みんなの幸せが自分の幸せ」を入れておくと、自分が好きなことをやってもそれが、みんなの幸せにつながっていきます。
自然界はそうなっています。
例えば、ミツバチは、ただ自分の幸せのために花から花へ密を集めてまわります。でもそれが、受粉という形で、関係する花々の幸せにつながります。
むしろ花たちは、ミツバチが自分の欲しいだけの蜜を遠慮なくやりたい放題、集めてもらった方が幸せでしょう。
それが自然なあり方です。
ではなぜ、小さなエゴで誰かと衝突するのでしょうか。
例えば、今全財産が千円だとします。この千円をこれからどう使って、これからの生活を切り開こうかと机の上において考えています。
するとドアが開いて泥棒がいきなりその千円を奪って走り去りました。
きっと怒り狂って、そいつを追いかけるでしょう。
では、机の上に1千億円積み上げられているとします。
ドアが開いて泥棒が千円札1枚奪って走り去りました。
しかし、あなたは「彼も生活に困っているのに違いない、1万円くらいもっていって家族に食わせてやればいいのに」と思うかもしれません。
外部で起こったことはまったく同じです。
なぜ、そんな反応の違いがでてくるのでしょうか。
それは自分がもっているお金に対する感覚だけの違いです。
自分が満たされていると考えていると、相手を思いやることができるのです。
それは愛でも同じことです。
自分で自分を100%愛して満たしている人は、相手を思いやり愛することができるのです。
自分で自分を100%愛していないと、その不足感、満たされていないという感覚が、小さなことに腹を立て、相手に対する不寛容につながるのです。
自然の力では、財布におつたえで聞いた金額を、いれておくというアドバイスをしています。
そうして、財布を満たしておくと、相手に対する不寛容がなくなるのです。
これは泥棒に対する1千億円をもっている人と同じです。
そして見えない世界でも愛する順番の3番目「今の自分を自分で無条件に認め、100%愛してください。」
条件のつきの愛は本当の愛ではありません。
今の自分は100%の愛に値しないと思ってはいけません。
あなたがいい子にしていたら愛します。
あなたが宿題をやったら愛します。
いい学校に入ったら愛します。
そんなのは本当の愛ではありません。
どんなことがあっても、「あなたの幸せが私の幸せ。」が本当の愛です。
自分で自分を幸せにする方法を見つけなさい。
自分で考えて行動しなさい。
その過程で失敗しても、挫折しても、私はあなたを愛している。
そんなことであなたを嫌ったりすることはないから何も心配することはない。
さあ、自信をもって、自分で選んだ人生で自分の幸せをつかみなさい。
そんな無条件の愛が本当の愛です。
しかし、私たちは必ずしもそんな愛を受けてこなかったかもしれません。
でもそれは親の責任ではありません。
親は神様ではありません。不完全なのはあたりまえです。
いつまでも、過去の条件付けにとらわれるのではなく、「今自分で自分を100%愛する」と決めればいいのです。
その愛に満たされた思いによって、すべての不寛容、怒りは消えてゆくのです。
自分を救えるのは自分だけです。